インドあれこれ

2006/3/16


 私は清と申しますが、この清というファミリーネームについて2分ばかり時間をいただきます。

私の名前
 日蓮聖人が頼朝に追われて富士川を遡上し、身延まで逃げていく途中に芝川村という村がありますが、その村で、私の先祖が日蓮をかくまったという話がございます。大内という名前をもらっていた私の祖先は、近所の豪族から呼びつけられ、「日蓮をかくまっているのだろう」、「いや、かくまっていない」という押し問答になったそうです。そこで、私の先祖は、日蓮をかくまっていない証拠をお目にかけようと、身の潔白を表す「清」という名前に名乗り直して大内姓を返上したわけです。そういう大嘘つきが私の先祖でございます。それ以来、「清」という名前が、現在では富士宮市に編入された芝川村にあります。もう一つ「清」という名前は九州の指宿の方にあって、これが西鉄のピッチャーだった「清」という流れになります。「清」には、この二つの流れがございます。

インドとの縁 初縁
 私は東京外国語大学を卒業して三菱商事に入りましたが、外国語大学でインドパキスタン語を勉強していた当時、一橋の学生が??ゼミでインドへ行ったという話を聞きました。その学生が、ここにいる林会員です。そこで、その翌年、外語の学生3人で「日印親善学生使節団」というのを作り、インドを数ヶ月間ぐるっと回ってきました。その当時ですから船でしたが、まずカルカッタへ上陸し、再びカルカッタへ戻ってきた時に感じたことが二つあります。一つは、文明が最も進んでいるアメリカの一番未開なニューヨークの下町を見てみたいという気になったこと。もう一つは、インドという国は生半可な国ではない、20年くらい住まないと分からない国ではないかということでした。

腐れ縁
 そこで、三菱商事で鉄の商売をやっている間にニューヨークに行き、1日ズル休みをして、友達になったトーマスという黒人の運転手と一緒にニューヨークの下町で一日を過ごしてみました。私は三菱商事で16年間鉄の商売をやったあと、ジャイカの専門家としてインドの商工会議所連盟に3年ばかりおりましたので、足かけ19年間インドにいたことになります。しかし、まだ20年には1年足りないぞ、何かチャンスはないかなと狙っておりましたところ、三井金属さんの方から手伝ってくれないかという話があり、今またインドに行って、三井金属さんのインド進出のお手伝いをしております。

インドでの仕事
 インドは中国と違って環境規制にやや厳しく、自動車に関してはユーロ3の適用を2008年からやろうということで規制を出しております。そうなると、インドの全ての乗り物に触媒を付けなければ走れない状況になる。三井金属さんは鉱山でも有名ですが、自動車の部品に関してもかなり有名で、触媒とドアロックでは世界的なシェアをもっています。そこで、先ず触媒工場を作ろうではないかと、今年の2月頃から工場建設を始め、今日現在、一日の遅れもなく工場建設は着々と進んでおります。

インド進出日本企業
 お手元の資料に、インドに進出している企業の地図と名前が載っておりますが、現在、日本からインドに進出している会社は、商社のようなサービス業でダブっているところを除くと大体200社、毎日新聞の数字を読みますと、中国に進出しているのは2万社といいますから、中国とインドを比べると、インドには中国の約100分の1しか出ていない。そんなことでいいのかなあと私は悲憤慷慨しているわけです。

インド紹介
 ここでちょっと、皆さんの頭の中にはないインドについてご紹介したいと思います。先ずインドというのは、日本と同じように非宗教国家、セキュラリズムの国です。周辺国のパキスタンでは回教を国教としていますし、タイやスリランカは仏教を国教としています。そのように宗教国家が多い中で、インドは非宗教国家です。ただし、インドの中の80%はヒンドゥー教徒であり、12%が回教徒、その他キリスト教徒、シーク教徒、ジャイナ教徒、それから仏教徒が少しずつおります。このように、インドは非宗教国家でありながら6つの代表的な宗教に関しては、ヒンドゥーのお休み、回教のお休み、仏教徒のお休み、シーク教徒のお休みというように祝祭日があります。シーク教徒というのは、例のターバンをかぶった人達ですね。

プロレスラー
 先ほど会長の方から力道山の話が出ましたが、その力道山の時代に活躍したダラシンというインド人のプロレスラーがいます。最近ではタイガー・ジェット・シン、これがインド人だと言われておりますが、このシンが、実はペルシャ語のシェア、ライオンという言葉と関係がございまして、タイのシン派、シンガポールのシン、スリランカで話しているシンハリ語のシン、これらのシンはみなシシという意味を表し、これが日本に来てシシになっている。要するに、言葉というのは、ずっと繋がっているということです。そのシン、つまりシシという名前の付いたインド人は沢山おります。シーク教徒はインドの人口の約1.6%ですが、その1.6%の代表が、現在のインドの首相で、先日、日経新聞が単独会見をやったマンモハン・シンです。

白虎
 そういうふうに、インドのシンというのは、日本まで来て獅子舞になっています。タイでは白象というのが非常に貴重なものだというふうに紹介されますけれども、インドでも白というのは縁起がいいんです。ですから結婚式の乗り物は白馬です。この白を珍重する風潮は、インドから日本まで流れてきて、日本でも白虎隊というように白が珍重されていますし、カルカッタやニューデリーの動物園に行きますとホワイトタイガーが動物園で飼われているという事実があります。この白に対する珍重というのは、インドの支配階級であるアーリア人が北西の方から白い顔をして入ってきたという、その白に対する信仰とちょっと結びついているのではないかなあという、いやらしさもあるんですけれども、そんなことが起こっています。

皆正しいインドの紹介
 日本とインドの関係については皆さん色々なことを書いておられまして、それらは、それぞれが正しいというふうに認識していただいていいのですが、皆さんがあまり書いておられないことを一つ二つご紹介したいと思います。

大仏開眼
 我々が小学校で習う「あいうえお」という50音があります。実は奈良の大仏さんが完成したとき、時の天皇が日本の坊主に、これの入魂式をやれというと、日本の坊主は、「そんな大きなことは出来ない、マスターオブセレモニーだけは出来ません」と断るわけです。そこで、仕方がないから、中国から偉い坊さんを呼んで来いといって中国に呼びに行きます。中国に行って色々な坊さんに頼むんだけれども、中国の坊さんは「大和? そんな田舎に行けるものか」と、みんな断るんです。その時に、中国のお寺にいた名も知れぬ、というのは、名前が未だに伝わっていないのですが、ブッディセーナ、インドの仏教徒、盲目だったそうですけども、この方が「じゃあ俺が行って入魂式をやろう」と日本に来て、開眼供養のマスターオブセレモニーをやるんですね。入魂式が無事終わった後、「中国へ帰りますか」と聞くと、「いや、中国の坊主の世話をするより、日本でこれだけ歓迎してくれるのなら日本で骨を埋めましょう」と、彼は死ぬまで日本にいるのです。

五十音 
 このインド人が、おしゃべりのインド人ですから、黙っていた筈がないんですね。で、彼が残りの生涯、日本にいて恐らくサンスクリットを教え始めたと思います。それが奈良五山とか京都五山といわれる仏教学の一番の始まりじゃないかと思うんですね。それを称して日本では悉曇学と表現しました。悉曇学というのは密教的な要素が強かったため、学問としては正しく認められていませんが、その悉曇学に基づいて日本語の音を整理すると50音になるということを日本人が研究したのが、大体10世紀から12世紀あたり、50音というのはその頃出来たものなんです。

明治の元勲たち
 明治になり、明治の元勲の家来達がヨーロッパへ旅行する。若いときに見聞を広めるため、他の国を見るというのは非常に必要なことであり、これが日本を変化させる原動力になると思います。ところが今はそれを忘れて、遊興に行くというような格好になっているんですが、彼らは見聞を広げに行ったわけです。で、フランスの民法を入れる、ドイツの刑法を入れる、色々なことをやりました。そうした中で、「西洋の言葉にはグラマーというものがある。日本語にもグラマーというものを作らなくてはいけないなあ」ということを感じたわけです。それで帰って来てみたら、日本はいろはです。いろはじゃないだろうと。じゃあアルファベットを入れようかな、アルファベットは日本語には合わないと。そうしたら、これがありますよといって出てきたのが悉曇学でいった50音ですね。それを明治政府は日本の小学校で教えるようになった。だけど、この事実は、我々が小学校に入っても教えてくれません。中学校でも教えてくれません。高等学校はもちろん、私は外語の印度語へ入ったんだけれども、そこでも教えてくれなかった。私はヒンディーをやりましたが、ヒンディーの辞書を引いてびっくりした。ヒンディー語の最初に出てくる言葉は「あ」なんですよ。ヒンディー語の辞書は「あいうえお」で始まっているんです。本当ですよ。その次には「かきくけこ」がくるんです。その後はちょっと違って「がぎぐげご」ですが。

アイウエオはインドから
 要するに日本語の50音というのは、日本の発明と勘違いなさっている方がいるようですが、これはサンスクリット、梵字、今のヒンディーの借り物なんです。日本語は50音プラスいくつかで、大体100ぐらいの音素で成り立っており、世界でも最も単純な言葉ですが、印度語には200から300ぐらい音素があってもっと複雑なんです。日本の50音はそれを纏めたものです。

祝詞の中にも
 それからもう一つ、皆さんは忘れていると思いますが、地鎮祭なんかで神主さんが祝詞をやりますね。その時、最初に何て言うか。大きな声で「オーム」と言う。オーム真理教のオームです。これはインドでは神音といわれており、神が宇宙に存在したときに初めて出た音が「オーム」という音だったと。日本の神道では、これは神を呼び出す音だとして便利に使っているわけです。だから、これは仏教より前に恐らく入ってきたのだと思います。皆さん驚かれると思いますが、日本独特の神道みたいなところにまでインドの影響があるわけです。

能だって
 最も日本的だといわれ、世界の無形文化遺産になっているものに、第3番目として先日間歌舞伎が取り上げられましたけれども、その以前に浄瑠璃とお能があります。インドには4大ヴェーダというのがございまして、サマヴェーダで神に捧げる賛歌集とその唱え方があります。この唱え方が、インドで始まった仏教のお経に継承されるんですね。今でもインドではサマヴェーダを唱えるやり方の色々なボーカルがあります。それが仏教に乗って中国へ渡り、韓国に来て、日本に来て、日本のお経の唱え方だとか、声明というものに繋がっているわけですね。チベットのお経なども日本と非常に近い。
 室町時代に、世阿弥が謡というものを作りましたが、その謡の節回し、発声法はその当時のお経と声明の影響を受けている。従って、最も日本的だと思われているお能ですら、インドの又従兄弟ぐらいの関係にあるといえます。そういうふうに考えると、実は日本には何にもなかったんです。だから中国やインドの影響がそのまま未だに残っているわけですね。何かあれば、こちらから向こうへ浸みだしていくんですが、何にもないので、こちらに染みこんできたんです。それが日本という島国で今までずっと保存されているということなんですね。

仏教
 実は、そういう日本の中で一番影響のあったのが仏教ですね。当時の神道では、始めはあったけど終わりはないという格好だった。終わるとどうなるか、死体は汚らわしいから山の祠に捨てちゃおうというのは、例の悪魔が5人集まってどうのこうのという格好になるわけですけれども、聖徳太子が入れた仏教が、要するに来世というもの、死んだ後にも生きる道があるんだということを教えた。これが日本人にとってショッキングだったわけですね。その当時、皇室でも終わりを仏教にした天皇が何人もいらっしゃいます。終わりを整理することが出来たため、仏教は非常に便利だということで、日本人には、終わりに関しては仏教、始まりは神道というような格好が段々と定着していったんですね。ですから地鎮祭だとか、棟上げ式だとか、渡り初めだとかお七夜だとか、始まりはみんな神道宮参りから始まるんですね。終わりは針供養からウナギ供養みたいなものもありますけれども、供養という格好で終わりを仏教に持っていき、非常に上手い具合に繋げたんです。

日本の文化
 その間をどうしたかというと、陽明学や朱子学、あるいは孔子や孟子の中国の儒教というものを持ってきて日本は成り立っている。言うなれば、楽しみであるクリスマス、カーニバル、バレンタインなどはキリスト教で、更に言えば戦いは回教徒のごとく、これをいうと顰蹙を買うので言いませんが、そんなふうに日本には何にもなかったから、世界の良いものをみんな入れたのです。それで今の日本が形成されているんですね。中国やインドはその4大文明の発祥地ですから、全てのものがそこから始まったんですよ。アジアからインドと中国の影響を取り除いた後に何が残るかという議論があるんですが、実は何も残らないと。要するに、全てはそこから流れて来たんだと。ですから、我々はもっと謙虚に、インドや中国の文化というものに敬意を払うべきではないかと思っています。

インドに住む
 現在も私はインドにいますが、インドに20年いて全く退屈していません。インドでは毎日新しいことに遭遇しています。これを30分で話すというのは無理な話で、24時間テレビというのが流行っていますが、あれが一日の出来事をやっただけでも大変面白いので、本当は20年掛けてしゃべりたいという気持ちです。

インドのIT
 今のインドで注目を浴びているのがIT関係です。カーネギーメロンユニバーシティというところにアメリカの国防省がお金を出して、世界のコンピュータソフトウェア開発会社のランキング付けをやり始めました。何故かというと、アメリカの防衛関係あるいは先進産業がソフトウェア開発の注文を出すときに、格付けが出来ていないと、どこへ注文書を出していいか分からないということで、国防省がソフトウェア開発会社の格付(SEI=ソフトウェアエンジニアリングインスティチュート)をやることになったのです。これは、かなり前から始めています。現在100社前後が一番上のレベル5というところにいっていますが、うち約7割がインドの会社です。日本の会社はNECさんとNECさんの中国の子会社、これら2社か3社がレベル5、中国の会社も1社か2社入っています。つまり日本はすごく遅れているわけです。もしレベル5に格付けされると、全てのソリューションをその会社に丸投げできる格だということです。

アメリカにいるインド人
 先ほどもメンバーの方とお話をしていたんですが、インド人は世界中色々なところで活躍しています。アフリカでもそうですし、中近東でもそう、アメリカ、ヨーロッパでもそう、どのくらいのインド人が海外雄飛をやっているかというと、大体2000万人から3000万人の間だといわれています。そのうちアメリカには 350万人から500万人のインド人がいると言われています。アメリカにいるインド人は3つの分類に分けられます。一つはボストン、ニューヨーク辺りを中心に住んでいる伝統的な貿易商だとか宝石商をやって大金持ちになっているインド人、これが第一。第2は医者だとか技術者になり、向こうで博士号をとって悠々と仕事をやっている人達。それから第3が、いわゆるIT関係に行った人達です。

インドと周辺国
 実は1947年の8月15日にインドは独立します。8月15日の午前0時、ここは東京だから堂々と言っていいんだろうと思うのですが、この間大阪でやったらちょっと失笑を買ったのです。東京の人は大阪の人をあまり意識していませんが、大阪の人はものすごく東京を意識しているんですよね。これと同じように、パキスタン、バングラディシュ、ネパール、ブータン、セイロン、モリジブの6カ国でサークというグループを作っているんですが、これらの国はものすごくインドを意識していまして、パキスタンは 1947年8月14日の23時59分に独立しているんですが、彼らいわく、「俺たちはインドより1分早く独立した」と。

 いまネパールは共産化して大変な騒ぎになっています。その前の王様は非常に出来る方で、日本の東大で勉強をなさった方です。この方も非常にインドを意識していまして、ネパールは非常に貧しい国であるから、他の国が休んでいる日曜日も働かなければならないと、ネパールのお役所は日曜日も開けています。その代わり土曜日は休みです(笑)。この国とインドには10分間の時差があって、ネパールはインドより早いんですよ(笑)。10分ではいかにも扱いにくいと言って、最近では15分にしていますけどね。そのぐらいインド周辺国はインドを意識している。そういう関係にあります。

 なぜ、そんなバカな話を私がしたかと言いますと、実はバングラディシュというのは、ウエストベンガル州、カルカッタが州のキャピタルになってカルカッタとくっついています。それからアッサム州やヒマーチャールなんかとネパールはくっついています。パンジャム州とパキスタンがくっついています。南の方では、スリランカとタミルラロと同じ言葉をしゃべったりしている。そういうところから出身したITエンジニアはインドに沢山いるんだけれども、反対側にはいないという事実なんですね。バングラディシュやネパールにSEはあまりいないのです。インドと同じ民族ですよ。そうでありながら、インド側にだけITエンジニアが出てくるのは一体なぜだろうなと。これについて私はインド人に色々聞いていますが、未だに明快な解答は得られないでいます。

アメリカITの中でのインド人
 そのくらいインドのITエンジニアは進んでおり、NASAの35%、IBMやマイクロソフトの25%がインド人なんです。つまり、アメリカの国家中枢を抑えるようなITエンジニアが、全部とは行かないまでも、数多くのインド人で抑えられているわけです。NASAから35%のインド人がいなくなったらナサは動かなくなるんですよ。IBMも成り立っていかない。IBMはアメリカの会社だって言っていますが、ハード部門は中国に売ったわけだし、残ったソフト部門はインドですから、IBMはもはやアメリカの会社ではありません。そういうふうに、インドはアメリカのIT産業の中に入り込んでいるわけです。

インドITの実力
 ですからアメリカの会社が、何かコンピュータのソフトを開発しようというときには、これはヨーロッパも同様ですが、全部インドの会社に丸投げするんですよ。「済みませんが、これ作って下さい」と頭を下げる。日本はその辺のことがよく分かっていませんから、未だに日本がインドに大規模なソフトウエア開発を丸投げで頼んだところは1社しかない。ご存じの八代さんがやった新生銀行です。八代さんがシティバンクにいた時、シティバンクのソフトは全てインドの会社がやったのです。それを見ていた八代さんは、インドの小さなコンピュータ会社2社にソフトウェア開発を頼みました。一番の最盛期には 200人ぐらいのインド人が日本に来て、日本の会社に頼んだ場合の恐らく5分の1から6分の1ぐらいの費用で、新生銀行のあのトータルシステムを作り上げたといわれています。だからこそ、他の日本の銀行がたくさん取っている手数料を、新生銀行は無料にできるんですよ。
 インドに発注しているのは、日本では八代さんの新生銀行だけですね。例えば日本のある会社なんかがインドに頼もうとしたときには、必ず日本のSEが上に立ってスーパーバイズしなければ出来ないだろうなんていう勘違いをしているんですね。そうではなく、「うちのニーズはこうです」と書き出しをやり、丸投げをしてインド人に教えを請うのが本当の姿と思うのですが、まだそこまで日本人は気が付いていません。1998年にインドが核実験をやった時、日本以外の国はインドとアメリカのそういう関係をよく知っていますから、インド人あるいはインド政府がアメリカのコンピュータ関係のデータを既にハックして、宇宙開発や原子力開発をやっていることを薄々と知っていたわけです。びっくりしたのは日本だけです。

アメリカのインド認知
 アメリカではその後、タルボットという人と、インドの外務大臣をやったジャスワント・シンという人が1年半に掛けて8回ミーティングを行い、両国で世界情勢、世界の原子力関係、コンピュータ関係、あるとあらゆる問題を話し合うのです。それで1年半経った5月、現職のアメリカ大統領であるクリントンが5日間インドを訪問するんです。インドとアメリカは、そのくらい深い関係になっています。それを見ていた韓国は、アメリカが見捨てず、アメリカとハネムーンになっているインドというのは 21世紀に大変な可能性を持った国だと、大統領以下国を挙げて、全ての財閥がいまインドに進出し大成功しています。

ブッシュも
 クリントンだけではなく、ブッシュ大統領も今年の3月1日から3日間インドを訪問しました。アメリカのブッシュ大統領は、2006年3月1日から3日までインドを訪問して、インドに対して、平和利用を目的とした原子力技術の供与の約束をした。核非拡散条約を批准していない両国が核開発に関して平和利用に関してと限定したとしても技術協力をするということは、何か国連をあるいは国際社会をコケにしているようにも見えるのですが。でも、多くのインド人がアメリカの先端産業に従事している事実を考えると、隠してもしょうがないというアメリカの判断だったのかなとも思えます。インドはIEAIに対しては、平和利用についての施設の査察は認めるが、軍事に関しては査察締め出しを公言しています。独自の立場で外交をやっている国です。

インドへ行く日本人 
 先ほども申し上げましたが、日本からの進出企業は250社程度です。日本では困ったことに、インドへ行くのはビジネス関係と、全く観光で行く人との2極に分かれてしまっています。これを何とか出来ないものか。例えばなくなられた高田好胤なんていうお坊さんは毎年、何十人という人を連れてインドへ行くわけです。インドでは仏教関係の遺跡を回り、インドは貧しいといって帰ってくるんだけれども、IT関係の人はインドはすごいなあとショックを受けて帰って来るし、自動車部品をやっている人は、これは売れるぞ…と。みんな、こんなところしか見ていない。

 
結語
 仏教が始まったインドでは、仏教が衰えても、東の国からもう一度仏教がインドへ戻るという予言が法華経の中にあると言います。しかし私曰く、「そのためにいろいろな坊さんが向こうに行っているけれども、何を今さら木魚を叩いて南無阿弥陀仏だとか、うちわ太鼓叩いて南無妙法蓮華経と言っている時期ではないでしょう。いま日本の仏教をインドへ持っていって、もう一度、仏教の花を向こうで咲かせるということは、先ほど申し上げた入魂式に意味を見つけて、現在の日本の技術力の繁栄、この技術をインドへ持っていってやることが、一度衰えた仏教をもう一度インドで花咲かせることに他ならないのではないか」と。

 

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