2005/4/11自由社会研究会 講演  
「インドの現状、将来そして日印関係について」

 清宮 おはようございます。まだちょっと早いかもわかりませんけれども、大体食事も済まされたようですから、できるだけたっぷり清さんの話を伺うことにして、これから始めたいと思います。
 皆さんのところに清さんの大体の経歴は配布してありますのでおわかりだと思いますけれども、三菱商事でとにかくインドに前後十九年おられた。日本でこれだけ長く向こうで、しかも言葉をちゃんと専門に外語で学ばれて、行かれたわけですから、これだけ深く勉強しておられる方はないのじゃないかと思いまして、きょうは来ていただきました。槙原さんにも伺ったら、彼が第一人者だよ、ということを言っておられました。現在は三菱商事を退かれておられますけれども、今でもしょっちゅう行き来をしておられるようで、ついこの間帰ってこられて、今度は再来週ですか。またすぐに行かれるようですから、生々しい現地の状況もよくご存知だと思います。
 それでは、早速、清さん、よろしくお願いします。

 清 好延氏
 実は東京外国語大学のインド語に入りまして、自分の選んだ語学の話されている国が一生を懸けるに足る国かどうかというのを学生時代にみておきたいという気持ちがありまして、その当時、インド語の学生三人で「日印親善学生使節団」というのをつくりまして、日本の企業の方々から協賛を得まして、六一年に三カ月ほどインドにまいりました。その時、船で行きまして、カルカッタに上陸して、一周回ってカルカッタへ帰ってきて、帰りは飛行機で、DC3かなんかそんな小さな飛行機だったと思いますが、それでホッピッグで帰ってきました。
 その時、帰りの飛行機の中で感じたのは、インドというのは複雑怪奇な国だな。どうも二十年ぐらい住まないとわからないんじゃないか、というのが私の印象でした。ということは当然、一生懸けるに足る国だということは大前提として飲み込んじゃったみたいなのですね。それですぐインドに行かせてくれる会社を、というふうに探しまして、たまたま三菱商事に拾っていただきまして、三菱商事の駐在員としてカルカッタ、デリー、デリーと十六年駐在しまして、その後、日印調査委員会という日印間でつくった合同委員会みたいなものの事務局長を仰せつかりまして、そこで海部(俊樹)先生を名誉会長に頂いて、インドとの間でいろいろなセミガバメント的なコンタクトをして、その後、JICAのほうから、インドに商工会議所連盟というのがあるんだけど、そこへ座ってくれないかと。で、対印投資促進ということで、インド商工会議所連盟のジャパンセルというところに三年間座りました。それで合計十九年インドにいることになったのですが、私の最初の直感の二十年にはまだ一年足りませんので、私のインド論も多少不備なところがあるのではないかなと。こう思って、話を進めたいと思います。
 インドといいますといろんな方がいろんなことをおっしゃっています。その方々の言っていることはみんな正しいというふうに僕は理解しています。〃群盲象をなでる〃という言葉がございますけれども、インドは多様性の国ですから、なでたところによって違った印象を皆さんが持ってくる。したがって、いろんなマスコミ、あるいは本なんかで紹介されているインドそれぞれが全部正しいと。お経の文句ではございませんが「如是我聞(我かく聞けり)」という意味で、我かくインドをみたよ、という感じで皆さんがお書きになっている。これは皆、正しいことだと思います。ただ、それはごくごく一部のものをみているにすぎなくて、全体を論ずる、あるいは断じたりしてはいけないのじゃないかなというのがインドの正直な印象です。
 日本に来ているインドの影響というのはずいぶんいろいろありますけれども、インドは日本に対して非常にいろいろなものを与え続けてきました。皆さんご存知の地鎮祭なんかに行きますと祝詞をやりますが、祝詞の一番最初に神主さんが(大声で)「アーウームー」と言います。これはオウム真理教のオウムでもありますけれども、インドでもこれは神音(しんいん)ということなのです。いつの時代か、仏教が入る以前だろうと思いますが、日本へこれが伝わってきて、日本では神を呼び出す音だということで、祝詞の最初に付けるということが行われたのだろうと思います。
 それから仏教が入ってきまして、仏教が入ってきた時に、詳しい話はやめますが、一つだけ。日本の神道では終わりに対する結末のつけ方が非常に難しくて、人が死ぬと汚れたものとして、洞窟の中に捨ててくるというような考え方があったわけですね。それが黄泉の国の入り口がどうのこうのという話になるわけですけれども、仏教の中で終わると来世があるという考え方、要するに終わりを非常にきれいに処理してくれるのが仏教だということで、この終わりの思想が日本に入ってきまして、人間だけじゃなくて、すべてのものの終わりに供養というのを持ってきて、針供養だとか、ウナギ供養に至るまで終わりに関してはこれでけりをつけるという習慣がついた。これは一つの仏教の知惠をそういうふうに日本人は利用したのだと思います。
 聖武天皇が大仏をつくって、この開眼式をやろう、入魂式をやろうと言った時に、日本の坊さんは恐れ多くて開眼式なんか要しきらんということになったのです。それで中国へ坊さんを呼びにいくのですが、中国の坊さんは「エッ、倭の国。そんな国へ行くなんて」と言って、誰も手を挙げないんですね。その時に南インドから出てきていた仏教徒が中国におって、仏教の坊さんだろうと思いますが、名前も今、伝わっていないのです。菩提僊那(ボッデセイナ)という言葉だけで、菩提というのは仏教という意味です。僊那というのはグループを表すことですから、仏教徒というような意味でしか今、伝わっていないのですが、この菩提僊那さんが日本へ来まして、大仏開眼の供養、マスター・オブ・セレモニー(MC)をやるわけです。それで終わった後、彼は中国へ帰って中国の坊主の下で下積みをやるよりは、日本で大事にしてくれるのだから日本にいたほうがいいということで居続けまして、ここで梵字、梵学を教える。これが奈良五山の開祖じゃないかと僕は思うんです。これがずっと脈々と日本のサンスクリット学につながっているわけです。
 明治時代になりまして、その当時の日本の偉い方々、明治時代はすごく偉い人がたくさん輩出したわけですが、その中で西欧を勉強して、英語だとか、フランス語だとか、ドイツ語だとか西欧の言葉にはグラマーというものがある。日本もグラマーをつくらなきゃいかんということでやろうとして、まずつくらなきゃいけないのは、英語だったらアルファベットがある。日本にも何か音韻表をつくらなきゃいかん。いろは四十八文字でもあるまいということで、五十音というのを日本は明治時代に定めたわけです。この五十音というのはどこから出てきたかといいますと、私は外語のインド語へ入ってびっくりしたのですが、私が習ったのはヒンドゥー語です。ウルドゥー語も習いましたが、ヒンドゥー語の辞書の並び方はアイウエオで始まっているのです。最初がアなのです。その次がイウエオ、その後にサンスクリットのリという母音があって、その次がカキクケコなのですね。なんと日本の五十音という気はサンスクリットの音韻表をお借りしてつくったものなのですね。これは日本の小学校でも、中学校でも、高校でも、大学でも教えてくれないんですよ。インド語やった人だけが、ウーン、そうか、というのがわかる。もっとはっきり紹介すればいいと思うんですがね。
 それから非常に日本的なものだということで評価されているお能の謡、これが実はインドの影響を受けているのです。と言うとちょっと変に聞こえるかもしれませんが、インドでは『四大ヴェーダ』といいまして、神に捧げる讃歌を集めた「サーマ・ヴェーダ」というのがございます。「リグ・ヴェーダ」というのは哲学的な要素で、「サーマ・ヴェーダ」というのは神に捧げる歌を集めたものです。この「サーマ・ヴェーダ」の歌をうたう歌い方がいまだにインドでは伝わってきているのです。これが当時生まれたインドの仏教のお経の上げ方に影響を与えまして、このお経が中国、韓国を通って日本へ来て、日本のお経の上げ方だとか、声明なんかにつながっている。室町時代に世阿弥がそれのいい部分を取って、今の謡というのをつくった。だから謡というのは今、インドに残っているボーカルとちょうど〃はとこ〃ぐらいの関係になるのかなと。ですからインドが歴史的に日本に与えた影響というのはずいぶんいろんなところでいろんなものがございます。
 急に戦後へ飛びますけれども、サンフランシスコ条約の時に例のパール判事というのが、裏のことはいろいろありますけれども、とにかく戦勝国が敗戦国を裁くようなやり方は正しくないということで、インドはサンフランシスコ条約の批准を蹴りまして、日本と独自に平和友好条約を結ぶのです。日本はインドに対してニコバル・アンダマン諸島およびインパール作戦等で多大な迷惑をかけているにもかかわらず、インドはその平和友好条約の第一番目のところで賠償の放棄を宣言しています。戦勝国が敗戦国から何かもぎ取るというのは結局、歴史は同じようなことを繰り返すだけだという原則論でもってインドはそれをはねるのです。それで独自に平和友好条約を結んでくれている。
 それからこれは森(喜朗)総理が最近、インドへ行った時に言ったのですが、戦後、日本の製鉄メーカーさんが一ぱいずつ鉱石を買って、ようやくしのぎながら鉄をつくっていた時にインドが初めて長期契約で鉄鉱石をサプライすることをやってくれた。しかもできた鉄をその当時アルゼンチンとインドが大量に買ってくれまして、それで日本の製鉄業というのは回転していくようになった。それからまたインドはインド国民軍、インディアン・ナショナル・アーミーと言いますが、チャンドラ・ボースに代表されて、日本にどうのこうのというのがありますけれども、この話はまた後でやります。
 そんなインドが一九八〇年代、僕に言わせれば世界的なウィルス性の熱病にかかるのです。非常に面白いのですが、一九八〇年代というのはゴルバチョフ、ケ小平、インデラ・ガンジーという非常に優れた社会主義国のリーダーが現れた時です。この人たちは非常に頭が良かったものですから、彼らが自分の国内を旅行する時に自分たちのスケジュールが分刻みでピシピシといっている。だが、待てよ。外国へ行くと一般の人もみんなそういうふうにいっているのじゃないか。自分の国に来ると自分のスケジュールはそうだけれども、〃一将功成りて万骨枯る〃で、一般庶民のスケジュールはそうなっているか。生活はそうなっているか。一人の大名が快適に生活するノウハウはあっても、その藩民全体が幸せに生活するノウハウは自分の国にあるかいなあ、ということに気がついたのは、この三人だと思うのです。その結果、ゴルバチョフは「ペレストロイカ」ということを言い、ケ小平は「外国文化の学習」ということを言い、インデラ・ガンジーは「近代技術の導入」ということを言って、自分一人、トップの為政者だけが快適に過ごす生活ノウハウじゃなくて、万民が幸せになるようなことを考えなきゃいけないということに思い至ったのです。その結果についての議論はここでは僕はやりません。
 ただ、インドはこのインデラ・ガンジーの宿題を官僚が勉強するのです。七年にわたって研究した結果、その間にインデラ・ガンジーは死に、ラジブ・ガンジーがどうのこうのというのがありましたが、一九九一年に門戸開放、経済自由化、これをやらないと近代技術は入ってこないということで、インドはその当時、マハトマ・ガンジーの言っていた「セルフ・リライアンス(自給自足、自立)」ということから、「国際相互依存(インターディペンデンス)」というほうに百八十度方針を転換するのです。ご存知のように外国文化の学習ということをやったために、中国の若い人たちは外国文化の学習というのは映画や本を読むのじゃなくて、ディスコへ行って踊ることであり、選挙をやることじゃないかということで、天安門まで行っちゃったわけです。ペレストロイカをやった結果は、ソ連が消滅して、ロシアになっちゃったわけです。インドは政権はその後、替わりましたけれども、マハトマ・ガンジーの方針を百八十度転換した、国際的にもみんなで仲良くやっていこうというほうに方針を転換して、外資を歓迎してということを一九九一年にやって今日に至っております。
 インドの現状なのですが、実はアメリカのクリントン大統領が現職の大統領として、二〇〇〇年にインドに五日間滞在するのです。往復にかけた時間を考えると約一週間かけてインドにいるのですね。現職のアメリカの大統領が五日も滞在する国がほかにあっただろうかというふうに考えますと、これは大変なことなのですね。なぜこんなことが起こったのだろうか。実はアメリカは今やインドなしにはやっていけない状態になっているのです。これはちょっとオーバーな言い方だなとお思いになるかもしれませんが、アメリカの経済界がユダヤ人なしでは動かないと同じように、アメリカのIT産業、情報関係産業はインド人なしには動かなくなっているのです。現在、世界に出ているインド人は二千万人いると言われています。そのうち三百二十万から三百五十万人がアメリカにいると言われています。この間、外務省が発表した数字によりますと、アメリカにいる日本人の数がちょうど三十万から三十五万の間ぐらいの数字だというふうに言っていますので、その十倍のインド人がアメリカにいるのです。このアメリカにいるインド人は通常三つに分けて分類されています。第一のカテゴリーに入るのはニューヨークを中心にして住んでいる貿易商だとか、宝石商です。トラディショナルな商売をやっている。結構小金をためて、いい暮らしをやっているようです。第二番目のグループが医者、法律家、技術者、こういう人たちで、非常に真面目にアメリカで勉強して、今、アメリカでドクターシップ(博士号)を取るのはインド人が一番数が多いそうです。アメリカ人も入れてですよ。そのぐらいインド人は真面目にアメリカで勉強しているのですね。そういう人たちが第二のグループをつくっています。第三のグループがIT関係です。
 実はインドは一九四七年の八月十五日に独立しました。ご存知だと思いますが、実は八月十四日の二十三時五十九分にパキスタンは独立するのです。一分インドより早いんですね。要するに自分の国はインドと違うんだということをアピールしたがために、そういう小細工をやったわけです。この辺、非常に面白いのですけれども、ネパールとインドの時差が昔は十分だったのです。十分というのはいかにも困るというので今は十五分、ネパールのほうが進んでいるのです。ネパールの王様の考え方としてはネパールはインドより進んでいなきゃいけないということで、十五分時差を上げてあるのです。しかもネパールの話をしますと、ネパールという国は貧しい国であるから、ほかの国が休んでいる日常も働かなきゃいかんということで、日曜日は休みじゃないのです。オフィスは開いているのです。お役所もやっているのです。その代わり土曜日を休みにしてやるというおとぎの国みたいな国がネパールです。こういう国がインドの周りにはあります。インドの周りの国は一つの塊をつくっておりまして、その中でインドが図抜けて大きくて、その次にパキスタン、バングラデシュ、ネパール、スリランカ、ブータンなんていうのがくっついてあるわけですけれども、判官びいきというんですか、日本人で結構ネパールびいきの人がいるのです。この話は後で出てきますけれども、そういうことでアメリカにいるインド人というのは、ほかのエスニックの国々の人とは違いまして社会的に非常に高い評価を受けておりまして、政治のロビー活動なんかでもかなりの発言力を持っているというふうに言われております。
 インド人は先ほど二千万人いるというふうに申し上げましたけれども、アメリカからアジアも含めて各国で代議士だとか、大臣だとかというふうになっている人が結構いるのですね。これはびっくりするぐらい数がいます。そのぐらいインド人というのは国際的に活動していますし、ロンドンなんかのシティ、いわゆるマーケットでは、いろんな部門で大きな役割を占めているのもインド人です。このインド人が一九四七年に独立して、僕は外語に入ったのは昭和三十三年ですけれども、その当時、外語に来るインドの専門家の先生方はウソを教えていまして、インドの高級官僚や財界人は子弟を英国へ留学させて勉強させているということを盛んに言っていたのです。実はそうじゃなくて、その当時、インド人はもう英国に見切りをつけて、次はアメリカだという見通しでもってアメリカに自分の子弟を留学させていたのです。で、アメリカで非常に優秀な成績で大学を卒業するのですが、ご存知の通りアメリカというのは非常に人種差別の激しいところでして、有色人種がなかなかいい職に就けないのです。伝統ある立派な企業なんかにカラードはアメリカ人に伍して仕事に就けないというのが当時のアメリカだったと思います。
 その中でそのころ台頭してきたシリコンバレーを中心とするIT産業にインド人が入っていくのです。IT産業ですからベンチャー企業が非常に多かったのですが、そういう中でインド人が活躍して、だんだんそういうIT産業の中核をなすようになっていくのです。アメリカ人がトップで、その下にインド人が就くような格好で、たくさんのIT会社がシリコンバレーを中心にできました。それでインド人に、お前ら優秀なインド人だな。お前らみたいな優秀なインド人はアメリカへ来るけど、本国にはそんなに優秀なのはいないだろう、とアメリカ人が問いかけると、インド人は、そんなことはないよ。インドにはゴロゴロしているよと。エッ、ほんと? それだったらばプログラムのバグのチエックぐらいインドでできるかな。うん、できるよ、と言って、ソフトウエアのバグのチエックをインドに任せたのがインドのIT産業の始まりなのです。最初にアメリカのプログラムのバグのチエックを引き受けたのが、今では世界有数なコンピュータソフトウエア開発会社になっているタタ・コンサルタンシーという会社です。タタ・コンサルタンシーがバグのチエックをやると、ちゃんと期日通りやる。しかも、非常に緻密にやるということで、バグのチエックはインドという定評ができまして、どんどんそれをアメリカ人がインドに頼むわけです。そのうちにこのコンピュータのこの塊のところぐらい向こうでできるんじゃないの。いや、もう少しこの幹あたりは、そのうちにこのプログラムをトータルで全部、というような格好で丸投げするというようなところが出てきて、航空会社の管理システムだとか、証券取引所の管理システムなんかを総合的にインドが開発するような格好になっていくのです。
 ご存知のようにアメリカのカーネギーメロン・ユニバーシティというところに私の名前、SEI(Software Engineering Institute)というのがありまして、これはアメリカの国防省が肝入りで、そこの大学にソフトウエア開発会社のランキングをやることを任せたのです。なぜかといいますとアメリカの国防関係の企業が何かコンピュータのソフトウエアの開発を頼む時に、どの会社にどのレベルのものを頼むかというのがわかるように会社のレベルをつけよう、ランキングをしようということが最初の考えだったと思います。これでレベル1からレベル5までありまして、レベル5が一番上なのですが、二〇〇二年のレベル5の会社は全体で六十九社あります。そのうち四十六社インドの会社でした。アメリカの会社は十一社。これが二〇〇四年の五月にはインドの会社はレベル5が七十五社がです。昨年の十二月、インドの会社は八十五社がレベル5です。残念ながら日本の会社でレベル5までいっているところは、大変失礼な話ですが、まだないというふうに僕は理解しています。今、インターネットで調べると、麗々しく自分の会社はレベル3であるということを言い切っている会社が何社かあります。オムロンさんがそうですし、日立さんがそうです。だけど、レベル3なんていうのは恥ずかしくてインドでは言えないんですよ。レベル4というのもインドでは恥ずかしくて言えないくらいなのです。日本はまだレベル3の段階なんですね。このくらいインドと日本のソフトウエアに関する差がついちゃっているのです。それで非常に困るのは、レベル5の会社に対しては欧米の会社はプログラムを全部丸投げするのです。これやってくださいと。もちろんイギリスやアメリカで開発するわけじゃなくて、インドでオフショアでインドの会社でやるわけですから、向こうの人件費でやれますから実質的には安い。だけど、安いとか安くないとかじゃなくて、これだけ高度のプログラムを開発してくれるところは、ソリューションを与えてくれるのはインドの会社しかないという理解なのです。日本ではそうではなくて、インドの会社にソフトウエアの開発を頼めば安くできるのじゃないかというような考え方でまだインドをみている。その辺が非常に残念なところですね。
 森総理が盛んにITというのを言いだした時に日本の会社も自分の会社が世界でどの辺にランクされているのだろうということで、アメリカのコンサルタント会社にある大手がどのくらか判定してくれと頼んだことがあるそうです。そしたらアメリカの会社が膨大な金を取って調査して、おたくの会社はレベル2であると。レベル2だとやっぱりまずい。総理も言っているんだしということで、レベル3にするにはどうしたらいいかと言ったら、その会社が社内教育をいろいろやって、システムをつくり換えて、四十八カ月かかると言ったそうです。お金もべらぼうなことを言ったそうです。その会社はびっくりして、インドの会社に打診してみた。コンサルタントのビフラという会社です。そしたらそのインドの会社がレベル3にするには二十四カ月でできるでしょう、と言ってくれたというのです。費用もアメリカほど高くない。その後、その会社がどこにどういうふうにしたかという情報は私は知りませんが、というようなことで、インドのソフトウエア関連はものすごく進んじゃっているのですね。
 どんなに進んでいるかという一つの例として、アメリカのNASA、IBM、マイクロソフトなんかにいるインド人の率というのが半端じゃないのです。これは数年前のデータなのですが、NASAの三六%がインド人だそうです。マイクロソフトは三四%、IBMは二八%、インテルは一七%、ゼロックスは一三%。そういうところにインド人が入っているのです。そうするとアメリカのコンピュータ業界というのは全部インド人に筒抜けになっているわけです。したがって、ペンタゴンにインド人が入っているかどうかというのは知りません。けれども、ペンタゴンに納めるソフトウエアをつくっている会社には全部インド人が入っているわけですから、おそらくペンタゴンにあるコンピュータは全部インド人がハックしちゃっていると思うんです。
 インドは一九七四年に核実験を行います。この時の核実験の装置というのは小学校の教室ぐらいあったというふうに言われていました。一九九八年、インドは核実験をやります。この時はもう戦略核になっていて、弾頭に付けけられるようなところまでコンパクト化されていたというふうに言われています。ウソか本当か知りません。僕は見ていませんから。その時に核実験が行われて、日本は唯一の被爆国として、当然のことながらインドに対して抗議をしました。その時の総理が橋本(龍太郎)さんですが、橋本さんがすぐに、やった日の夕方です。無償停止ということを宣言したのです。ここのところでおかしなことが起こったのです。これは世界のマスコミもそうなのだけれども、日本の外務省の悪口を言うわけではないのですが、抗議はしたのですけれども、誰一人として「これで実験は終わりですか」と確認しなかったのです。で、インドは二日後にまたやったわけです。そうすると一回目にやった時に無償停止と言った橋本さんは、二日後にやった時に円クレ停止と言わざるをえなくなっちゃったのです。それで中国より厳しいペナルティがインドに課されるような結果になった。その後、G7で橋本さんは出かけていって、「サンクション」という言葉をインドに対して使ったのです。ところが、出席したほかの六カ国は「サンクション」という言葉はオーケしませんで、「カウンターメジャー」という言い方でもって措置を取るという格好だけでやったのだけれども、日本のサンクションだけがインドで一人歩きするような格好になって、橋本総理は後で非常につらい目に遇うような格好になりました。中国が核実験をやった時、日本は無償停止だけだったのです。円クレ停止までいかなかったのです。インドの場合はそういうようなことがあって円クレ停止までいっちゃって、ここのところで今はやりの言葉で言えば空白の何年間というのができちゃった。これは非常に残念なことです。
 実はそういうインドはアメリカの戦略核に関してもコンピュータをハックしている可能性が十分ありましたし、七四年に核実験をやってから、いろんな研究をその後やっているわけですから、アメリカはインドが核実験をやった後、ちっとも驚かなかったのです。ただし、インドはやっぱり放っておくわけにいかないぞということで、九八年の核実験の後、一年半の間にその後、外務大臣になったジャスワント・シンとタルボット(米国務副長官)が八回会うんです。八回会って、インドとアメリカは世界戦略の話から、世界の核の話から、この地球上の問題について、あらゆる視点から話し合いを行うのです。それでお互いに理解し合って、アメリカはもうインドなしには世界戦略を立てられないなということを実感するのです。それでその後、クリントンが五日間インドに滞在するような結果になるのです。クリントンはインドへ行って何をやったかというと大したことやってないんですよ。ハイデラバードみたいな田舎まで行ってコンピュータ会社を見学したりというようなことをやって、とにかく五日間、クリントンはインドにいたのです。これほどインドとアメリカの関係が緊密になっちゃったのですね。もちろん根本的な哲学が違いますから同盟までは結びませんけれども、アメリカはもうインドを無視しては世界戦略は立てられないなというところまで来ちゃっているのです。
 そのインドで日本がどういうふうに評価されているかといいますと、実はインドの歴史の教科書、社会の教科書では、日本という国は日露戦争で初めてヨーロッパに勝った国だということで、日本の力を非常に評価しています。それからインドのお役人の上層部の連中と腹を割って話をすると、戦後の日本の外交というのは素晴らしいと。金のかかる軍隊に金を出さずに、それはアメリカの核の傘に任せちゃって、経済のほうに傾注した。この日本人の知惠というのはすごいね。アメリカを上手に使ったね、というのがインド人の分析なのです。ただ、日本は建前論が多すぎるねと。非核三原則とか四原則とか言って、核を持ち込まないとかなんとか言っているけれども、日本人は本当にアメリカの空母や戦艦が横須賀やそういうところに入ってくる時に、グアムやハワイで核兵器を武装解除して入ってきているというのを信じているの? そんな建前論は通用しないんじゃないのと。ですから実はインドともっともっと本気で本音でもって話ができるようなところまで突っ込んでもらいたいなあ、というのが僕の望みです。
 日本政府、官はインドで非常によくやっていると僕は思います。変な言い方ですが、よくやっているというのはどういうことかといいますと、私はここ十年間、「二十一世というのは唐・天竺・コンピュータの世紀である」というふうに言い続けてきているのですけれども、日本の官もその通りで、インド・中国・コンピュータというのは疎かにできないよというのは気がついておりまして、いろんな配慮をやった結果、今、ODAはインドが一番になっています。これはやっぱり官の努力だと思います。それから普通の国に対しては集中豪雨を起こして何か問題が起こった時、何とか研究会というのが行われるのですが、インドの場合は問題が起こる前から通産省、大蔵省、それぞれの部署でインドに対する研究やシミュレーションが行われていて、インスティチューショナルな研究がインドに対しては先に進んでいるのです。民間が集中豪雨を起こす前にこれが行われている。これは官主導でやったのだろうと思います。そのぐらい官はインドに対する認識はしっかりしていたと思います。
 民は、これはちょっと残念なのですが、ちょっと遅れているような気がします。もちろんメリットベースでやるわけです。それで結構ですが、今、中国に進出している企業は二万社というふうにこの間、毎日新聞に書いてありましたが、インドに進出している日本企業は約二百社、百分の一です。これでいいのだろうかなというのは正直なところです。二万社、中国に進出している日本企業、そのうち何社が儲かっているかというデータはないから知りませんが、いろいろ聞いてみると、どうも二〜三割は儲かっているけれども、ひょっとしたら八割ぐらいの会社はまだ赤字じゃないかという噂を聞きます。インドに進出している会社はメーカー関係で百六十社前後、商社とかサービスを入れて二百社ぐらいになるわけですが、おそらく八割が黒字で経営しています。残りの二割も一〜二年すれば黒字になるという目算をみんな持っています。このくらいインドは儲かるところだというにもかかわらず、みんな口チャックで儲かった話をしていないから、この事実があんまり日本に広まっていないのです。民は石橋を叩きながらメリットベースでインドに出てくる。過去にインドでひどい目に遭ったという経験が経営者の方々にあるせいだろうと思うんですけれども、ちょっと出遅れている感じがします。ちょっと出遅れているというのは、実は韓国に比べてというのが僕の念頭にあるのです。韓国は四大財閥をはじめロッテまで含めて大挙してインドに進出してきているのです。すごいです。ラッキーゴールドスター(金星)だとか、サンスイだとか、現代だとか、ダウムはちょっとあれですけれども、白物電化製品は韓国がインドを席巻しているような感じです。
 民はメリットベースでやっているから中国に比べれば出ているのが少ないから、ちょっと残念ですけれども、一番遅れているのが政だと思うんです。政界の方で、インド人と腹を割って話のできる政治家が何人いるのでしょうかという疑問があるのです。僕はぜひそういうコネクション、パイプをつくって、建前論だけじゃなくて、インドはもう七四年に核実験をやっているんだ。それが九八年までたって戦略核まで昇華するのは当然でしょうと。そういう中でインドは原則論として核をすでに持った五カ国だけが世界にどうのこうのと言うのはよくない。核を持てる実力のあるところは、持っているなら持っていると言うべきじゃないかということで、はっきり宣言したわけですけれども、そういう本音で話せる国と本音で話す政治家が出てきてもいいんじゃないかなあというふうに僕は感じています。
 インドは、さっき日露戦争の話をしましたけれども、日本に対して秋波を送り続けてきているのです。ただ、送り方が不器用なもので、日本ではなかなかそれを感じないみたいなのですけれども、実は一九九一年に門戸を開放した時に、その当時、マンモハン・シンがこのドラフティングをアショカ・デサイという男と七年かけてやっているんです。その時に僕はマンモハン・シンに会って聞いたのでよ。そしたら実は日本に出てきてもらいたいというのを念頭に置いて、この門戸開放をやっているんだよ、ということを彼は言ってくれました。だけど、私の小さな声は会社でもどこでも取り上げてくれませんでした。ただ、ソニーさんがインドへ進出する時に、こちらへ出てきたインドの首相がソニーさんのどなたとお会いになったのか。あの時は盛田(昭夫)さんですかね。十五分間会っているはずなのです。その時にソニーさんのほうから、ソニーがもしインドへ出てくるんだったら一〇〇%で出るよと。それからもう一つ、カルカッタの眼鏡屋がソニーという商号を使っているけど、こういう知的所有権の問題について、インド政府がそれなりの措置を取ってくれないとソニーはインドへ行きませんよ、ということを言ったのに超法規的にインドは対応して、一年半以内にその条件を整えて、ソニーさんの進出を大歓迎するような格好になったわけですが、その時にインド側は条件をつけて、ソニーさんのほうに最新技術を持ってきてくれよ、ということを言ったと思います。これも秋波の一つで、その当時のアルワリア次官に僕は聞いたのです。なぜソニーにそういう特別措置をやったんだ、と言ったら、破顔一笑、アルワリアは、ソニーを入れたということはショーウインドー効果があるからだ、ということをはっきりきました。インド政府はそういう超法規的なこともやるのです。ただ、そのウインクを日本側はきちっと感じていなかったような気がします。
 それからYKKがファスナーで向こうに出ようとした時に、YKKのファスナーというのは向こうの中小企業向けにリザーブされた業種なのですけれども、タロンに並ぶ世界のYKKが出てくるのであれば、特別にそれを認可しましょうということで、中小企業のほうを抑えて、YKKに進出の認可を与えています。また、日立さんが現地法人化をしようとした時に、何でそんな肝の小さいことを言うの。ホールディングカンパニーつくっちゃいなさい。そして日立がいろんな分野で全部投資ができるような格好の会社にしなさいよ、とインド側から言われて、日立はホールディングカンパニーの現地法人設立をやるのです。ただ、日立さんはまだそこまでいろんな分野に進出していませんけれども、ほかにそんな認可をもらった会社はないんです。それからジャイコという小さな会社があります。これは学生です。学生が一千万ぐらいの観光会社をベナーレスというところにつくろうと。それに対してインド政府は六億ルピーまでオーケーしたのです。好き放題やっていいよと。だからこの会社は将来、ベナーレスで大観光事業をやるとこまで発展できる可能性を持っている会社です。
 それからラジブ・ガンジーがインド祭で日本に来た時にファーストトラックというのやって、日本側とインド側で何かもめ事が起きたら、そういう窓口を使って解決したらいいんじゃないですか、ということを提案して、それができたのです。ただ、日本側はこれを勘違いしまして、インド政府といろんな政策論をするところだと思っちゃったのです。ところが、これはそうじゃなくて、問題が起こったらそこへ行くと、千葉に昔できた〃すぐやる課〃みたいな格好で、すぐ取り上げて解決してくれるんですよ。僕はその理解をしていましたから、税金だとかなんとかで問題が起こるとすぐそこへ行ってやると、すぐその場で税務署長に電話をかけてくれて、この問題こういうふうに措置しないさいとやってくれる。そういうことをやってくれる窓口をつくってくれたのです。それを漏れ聞いた西独が日本だけにそういうのをつくるのはけしからんと言ってインド政府にねじ込んで、後から西独にもそういう窓口をインド側は嫌々ながらつくるのです。日本にいつもそういうふうに配慮しているのです。
 それから小山五郎さんと森総理に対して勲章が与えられましたね。これは先ほど言った橋本さんと非常に対照的なのですが、橋本総理は総理を終えた後もいろんなセミナーだとかなんとかで呼ばれて、インドに行く機会があるのですが、橋本総理が行っても、インドのお役人だとか大臣、誰も会ってくれないんですよ、大使館がいくらやっても。これは中国に対して無償停止したのに対し、インドに対しては「サンクション」という言葉を使い、円クレ停止までやった橋本総理に対するインド側の一つの措置じゃないかなというふうな感じがします。インドは非常に思慮深く過去のことも分析してやっています。その裏には、インド側の調査が行き届いていまして、橋本総理がネパールびきだというのをインド側はちゃんと知っているのです。その辺のことをインド人は非常に正しくやっています。
 それから三菱総研に中島正樹さんという方がいらっしゃいましたが、この方が要するに戦争というのが起こらなくなった時にどこかに息抜きをつくらなきゃいけないということで、グローバリズムということを永野重雄さんあたりと言いだしたわけです。世界的な大規模プロジェクトをいろんな国家を挙げてやって、そこで軍備に使うべき技術だとかなんとかを……ということで、例えばマレー半島に運河をつくるだとか、いろいろあって、その中の一つがヒマラヤの水をデカン高原に、というようなのがあったと思います。その話を中島正樹さんがインドに行った時にあるところでポロッとやったのです。それを聞いたインデラ・ガンジーが、それは素晴らしいアイデアだ。ぜひ一度、座を設けますのでインドへ来て講演をやってください、と言うのです。で、インデラ・ガンジーは死んじゃいました。その後、この言葉はラジブ・ガンジーに引き継がれて、中島正樹さんはインドの国賓として呼ばれて、アショカホテルに泊められて、インドのお役人を集めて講演会をやるのです。インドはそのぐらいに日本に対して配慮をしているのです。
 先ほどちょっと言いかけましたが、チャンドラ・ボースを中心にしたインド国民軍というのがございまして、日本軍と一緒にインパールやニコバル・アンダマンに攻め入るわけです。インドにだいぶ迷惑かけるのですが、インド政府はもう恩讐の彼方です。このインド国民軍に参加したインド人の兵士に恩給が出るんですよ。それはもちろん英国軍の下でインド側で戦った兵隊に比べれば率は少ないにせよ、日本軍と一緒に戦ったインド人の兵隊さんに対しても手当てが出る配慮をしているのです。その当時の日本側についたチャンドラ・ボースもちゃんと英雄として国会に掲額されて、讃えられているのです。このくらい日本に対してインドはウインク、秋波を送り続けているのですが、日本はそれにこたえていないような気がするのです。
 インドというのは一言で言えば多様性の国です。それで民主主義の国です。この前、大統領だったナラヤナンという方は不可触民出身の方です。大統領といえば元首ですよ。不可触民出身の人が元首になる。現在の大統領は回教徒です。インドでは一二%しかないマイノリティーの代表が大統領です。現在の首相のマンモハン・シンはシーク教徒です。人口の一%ぐらいしかいないのです。それが首相になっているのです。インド人は非常に不器用な面がありまして、日本人の扱い方を知らないのです。その点、中国人なんかは日本人の扱い方をよく知っているような気がします。インドはまたカレーの国です。それから非常におしゃべりです。皆さん数カ国語、あるいはインド国内では言語がいっぱいありますから幾つかの言語を操ります。こういうところが日本と全然違います。けれども、こんなに違うインド、これは日本でこの間、旭日大綬章をいただいたアスラニ元大使、外国人は珍しいのですけれども、この方が「サイコロジカル・ディスタンス(心理的な距離)」という言葉を使っていらっしゃいますけれども、インドと日本の間にはそういう心理的な距離があります。全然違う国だというふうに感じられる面があります。
 ただ、共通点があります。その共通点は何かというと、これは僕、最近つくづく感じるのですが、インドと日本の共通点は木に竹を接ぐ能力を持っていた国だということです。日本の場合、江戸時代から明治、明治の天皇制からマッカーサー体制、自民党から村山(富市)政権、それでまた今の政権、こうみていますとずいぶんいろんなところで木に竹を接いでいるのですが、接いた時点で今、イラクやアフガンで起こったような暴動が起こって、日常生活が妨げられたことがあったでしょうか。ずっとスムーズに来ているのです。インドも英国からの独立、それからマハトマ・ガンジーのセルフ・リライアンスからインターディペンデンスへの百八十度転換、コングレスからBJP(インド人民党)への転換、BJPからコングレスに戻った時、全然混乱は起こっていない。国民の生活は乱されていないのです。木に竹を接ぐ能力を持った国だと言えます。先日、BJPAが負けた時にBJPの党首であるバジパイは何と言ったかといいますと、「BJPは選挙で負けたが、インドの民主主義が勝利した」と言ったのです。こんな国、世界でありますかね。一日もストが起こるわけではなし、騒動が起こるわけではなし、それだけの能力を持っている。そういう国がインドだと思います。
 ゴールドマン・サックスによれば、二十一世紀はBRICsの時代だというふうに言われますが、その中でインドは独自の発展をしていくと思います。アメリカに影響を受けることはあっても和して同ぜずで、付和雷同なんかせずに自分の主義主張を通していく国だと思いますし、違ったいき方をしていく国だと思います。例えばの話、もしエーリアンが地球に来た時に、おそらく地球代表として主はアメリカでしょう。副が中国でしょう。だけど、地球文化の哲学的なことを論じられるのは、ローマ法王じゃなくて、僕はインド人じゃないかなというような気がするのです。その時、日本人はおそらく勝手口のほうから行って、「えー、電機関係でどっか壊れたとこがあったら修理しましょう」ぐらいのことしかできないのじゃないかというような気がするんですがね。
 そんなインドと僕は長年温めてきた十大プロジェクトというのがあるのです。このうち幾つかはすでに日本政府が手がけているものなのですが、一番が、先ほどグローバリズムで言いましたけれども、ヒマラヤの水をデカンへ。これは悲願です。ヒマラヤの雪解け水というか、氷河のやつをデカン高原へ持っていきますと、まだまだインドには耕作可能な土地がたくさんありますので、食物の量産ができる。インドが今、中国に冷たい目に遭わないでいる一つの理由は、インドには余剰穀物があるからなのです。数千万トンの余剰が毎年出るのです。中国はある意味では飢えている部分がございますので、いざとなった時にシカゴマーケットからだけじゃなくて、インドからグレーンを入れたいという下心がありますので、中国はインドと対立しないという世界的な図式になっていると思います。
 二番目は、アメリカとインドが軍事演習もやっているくらいですから、日本も防衛関係でインドともっともっと協力し、例えばインドは赤道近いところにあるわけですから、宇宙開発、宇宙船の打ち上げ等もインドと協力してやっていったらいいのじゃないかなと。それから最近、マラッカ海峡の海賊の話も出ていますけれども、インド海軍と日本の海上自衛隊はもう実際に協力して、いろんな作業をやっているのです。こういうところをもっと進めていっていいのじゃないかなと思います。
 三番目として、ベンガル湾の原油および天然ガスの探鉱と開発です。これはぜひやっていただきたいなあと思います。
 四番目は、マラッカ海峡の平和開発。変な言い方ですが、言わんとするところは、ニコバル・アンダマン諸島をインドの軍事基地化するということじゃなくて、あそこに平和のシャングリラをつくろうじゃないかと。工業開発もいい、農業開発もいい、観光開発もいい、とにかく平和目的でニコバル・アンダマンを開発して、インドと日本が協力して、シンガポールやマレーシアを引き込めばマラッカ海峡の緊張が一挙に弱まる。これは素晴らしいプロジェクトになるのじゃないかなというような気がします。そういうところで日本は貢献すべきじゃないかなというような気がします。
 五番目は、インドのソフト開発能力を利用して、反対はあると思うのですが、世界最大のデータバンクをつくる。何のデータバンクかというと二十桁の地球人総背番号制をつくって、これにICを組み込んだIDカートを持てばテロが一切なくなるのですよ。どこで誰が何をしているということが把握できるのです。プライバシーがどうのこうのなんていう議論よりも、テロのがなくなるほうが先だというような気が僕はします。こういうことも考えてみたらいいのじゃないかなと。
 それから太陽エネルギーをはじめとするクリーンエネルギーの開発について日印というのは協力すべきだと思うし、七番目、バイオテクノロジーの分野でもそうです。例えば日本ですでに消えつつある筑波にある蚕糸研究所なんかをインドに移しちゃって、まだまだ絹が珍重されるインドで、この絹の技術を引き継いでもらうなんていうことも僕は素晴らしいプロジェクトじゃないかなと思います。
 先ほどのマラッカ海峡の開発の中に地震の研究なんていうのも入るかと思いますけれども、それは次の八番の海岸線の開発です。インドはいろんな理由がございまして、海岸線の開発が非常に遅れています。これはちょっと説明しますと、インドは北西のほうからアーリア人が入ってきまして、ヒンドゥー教というバラモン教徒をつくりました。したがって、その先祖たちが入ってきた方向が尊い方角にあたるわけです。だからヒマラヤは「神の座」と言われます。その対極にある海は悪魔の住むところだと。その海の中に浮かんだセイロン島は悪魔の島だということになっているのです。そのセイロン島には『ラーマーヤナ』でおなじみのラーマ王子が鬼退治に行くのです。だからいまだにインドの神話ではセイロン島は鬼が住む島になっているのです。海は悪魔の住むところだから、北西のほうから入ってきた海を見たことのないような人は海洋開発に意をそそがなかったのです。だから優秀な立派な家柄の人たちはあまり海のことに関心がなかった。したがって、海洋開発が遅れているというような事情がありまして、そういう意味では日本は海岸線が全部あるわけですから、こういう技術をインドに持っていくというのは非常にいいことじゃないかなということがあります。
 それからガンジス川が非常に汚れているのですが、日本の皇居のお堀が透き通ってきたのです。中途半端に透き通っているのですが、あれ以上透き通らせると底にある汚いものが見えちゃうから、あそこで止めてあるという説があるのです。そのくらい日本の水浄化システムの開発は進んでいるのです。これをガンジス川に持っていって、ガンジス川をまた復活させるというのは一つのいいことじゃないかなと思います。
 最後が、アジアの共通点というのを考えると何かといいますと、残念ながらアジア各国の共通点は脱亜なのです。アジアから脱出しようと。〃脱亜入欧〃までは言いませんが、脱亜ということを目指している。これがアジアの国共通なのです。これは非常に悲しいことなのですよ。二十世紀の三大イベントというのがあります。オリンピックであり、博覧会であり、ノーベル賞。これはみんな手垢が付いている。今、愛知は頑張っていますけれども、二十一世紀は二十一世紀のイベントがほしいんです。この二十一世紀のイベントの中には、アジア発信のイベントもあっていいのじゃないかなと思います。オリンピックでアジアの国がなかなか勝てないのはなぜか。これはオリンピック種目はほとんどがヨーロッパの種目なのです。テコンドーだとか、柔道の種目を持っていけば、アジアの国だって勝てるわけです。そういうふうにアジア発信のイベントもあっていいのじゃないか。そのためにはアジアの共通深層研究をやってアジアをずっと掘り下げて、アジアには何か共通意識はないのだろうかと。インド、日本、あるいは中国、そういうところを全部引っ張り込んでアジアの共同認識の研究というのをやって、三年かかるかもしれない、五年かかるかもしれないけれども、それでアジアにこういう共通のものがある。そこから何かを世界に対して発信できるようなことをやったらどうかなという気がします。
 もうだいぶお喋りしましたが、実は日本に紹介された仏教の中で、かなり重要なお経の一つに法華経というのがあります。法華経の中に仏陀の生まれたインドで仏教は廃れて、それが東の国で栄えて、それがもう一度インドへ戻るという釈迦の予言が書いてあると。こう言うのです。私が法華経を読んでもようわからんのですが、偉い坊さんが読むとそういうふうに読めるらしいのです。それでいろんな日本の宗教の宗派の方々がインドでもってもう一度、仏教を盛んにしようと。今、インドは仏教徒は六百万か八百万ぐらいしかいません。マイノリティーです。ということで一生懸命、活動しておりますけれども、今、インドへ日本の仏教を持っていくということは、南無妙法蓮華経や南無阿弥陀仏をインド人に唱えさせることではないという気がするのです。日本がここまで来れたのは、インドの仏教をはじめとするいろんな影響を世界の国々から受けて今の日本がある。その中で仏教のやった役割というのは非常に大きなものがある。その結果、今の日本の現状があるということで、今のこの日本の近代技術をインドへ持っていってやることが、仏教がもう一度インドに行くということにほかならないのじゃないかと僕は最近感じるのです。そういうようなことを最後に言って、きょうの私の話は終えたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)

 

BACK HOME