インド開発発展の可能性

技術同友会卓話 2005/2/15

自己紹介

日本人の苗字では清という苗字は、珍名まではいかないまでも、わりあい少ない苗字でございます。

バイオデータのほうに入れてございますが、昭和13年生まれ。いまの坂井さんと同い年でございます。三菱商事におりまして鉄鋼輸出、日本の鉄の輸出をずうっと手掛けておりました。

実は外語のインド語に入学しまして、在学中に一度、自分の選んだ語学が実際どんなところで使われているか見てみたいなということで、1961年、友人3人と数ヵ月インドを旅しました。その時、いろんな方にお世話になって、インドを一周回ってカルカッタまで帰ってきました時に持った印象は、『この国は20年住まないとわからないんじゃないかな』という素直な印象でした。

三菱商事に入社

それで何とかインドに関係あるところに就職したいなということで、たまたま縁あって三菱商事に入りまして、そのへんの話をするとくどくなりますからやめますが、その当時はまだ電話なんかございません。内定の電報が来るんですね。翌日、「内定ありがとうございました。ただし私のほうも条件があります。5年以内にインドに出してくれなかったら三菱商事辞めますけれども、それでよろしいでしょうか」と人事部長に掛け合ったんですね。そうしたら人事部長は「いいでしょう」と。本気でそう思ったのか知りませんけれど
も、とにかく入りまして、4年目にインド・カルカッタ駐在ということで出していただきまして、インドに都合、三菱商事から3回にわたり16年駐在しました。

日印調査委員会事務局長経てJICA専門家

その後、三菱商事を辞めて、大来三郎さんが昔やっていた日印調査委員会という会がございますが、そこの事務局長をやり、そのあとでJICAの専門家として対印投資促進ということで、インドの商工会議所に3年おりまして、足掛け19年インドにおったことになります。

ですから最初20年経たないとわからないだろうなといって19年ですから、まだ完全にインドをわかってない。あと1年、どうにかして駐在することができないかなということで、いま盛んに工作をしておりまして、できれば今年の中頃、三井金属さんの仕事で向こうへ1年くらい滞在したいなと。そうすると満願ということで、多少インドのことも言えるようになるんじゃないかと思いますので、今日は至らないところがあるかと思いますけれども、よろしくお願いします。

自分探し

先ほど私の清という名前について申し上げましたが、これもまったくインドに縁のない話ではございませんで、実は私の先祖は鎌倉時代のちょっと上まで遡れるのですが、大内という名前だったらしいんですね。頼朝に追われた日蓮が、富士川をずうっと遡って逃げてまいりまして、その当時、私の先祖は、いまの富士宮市に編入されております芝川村というところに住んでおりまして、日蓮をかくまったんです。そうすると頼朝のほうから、その地方の豪族に対して、日蓮をかくまうとかなんとかいうことがあっちゃいかんぞという指令が来ていたんでしょうね。先祖が呼ばれまして、「おまえ、日蓮をかくまってるんだろう。」「いや、かくまっていない。」と押し問答になったんです。
その時、さすが私の先祖だと思うのですが、「かくまってない証拠をご覧にいれる」といって、その豪族からもらっていた大内という名前を返上しまして、身の潔白をあらわす清というのを名乗り直したという大詐欺師でございまして、そのせいで私はずっとおしゃべりで、学生時代、英語で「SAY」と綴っておりまして、死んだらお墓に「SAID」と書いて、言い残すことはないというふうにしたいなという、そんな曰くのあった名前でございます。ですから鎌倉時代にできた姓で、清少納言とかそういうものとはまったく関係ございませんで、新しい姓ですね。

静岡県にそういう清というのがありまして、もう一つ九州の指宿のほうにも清というのがあるんです。元西鉄のピッチャーで清というのがおりましたが、これと関係があるかどうかは、そこまでまだ調べが行き届いておりませんで、そんな私ですから、完全な日本人です。

高校の世界史の中でのインド

実はインドと日本ということで、高校の世界史でだいたい1年の中で45分から50分かけて、インドのことを先生が教えるという時間配分になっているという話を、高校の先生から聞いたことがございます。

こんなこと皆さんすでにご存じのことだと思いますが、ちょっとインドのことを思い出していただくために繰り返しますが、この45分の中で、アーリア人が北の西のほうから入ってきて、ヒンドゥ教というかバラモン教というのをつくって、バラモン教には四姓制度というのがあって、僧侶階級、武士階級それから商人階級、奴隷階級、その下に不可触民――その当時は不可触賎民という言葉を使っていましたが――というのがあってという話が行われるわけです。カースト制度があってというようなことを言われるんですね。

なぜ日本の高校でそれだけ詳しくインドのことを、カースト制度まで教えるかといいますと、実は日本には仏教というのがあるわけですが、仏教はインドで生まれました。しかもそれはヒンドゥ教のアンチテーゼとして生まれてきたので、その仏教を説くためには、アンチテーゼの元になるバラモン教を教えておかないと、仏教の話に入れないということで、高校でカーストのことまで教えるというのが日本です。

それで最後は英国から独立してということで、インドの歴史は終わるわけですが、この話だけしていても一日くらいたっちゃいますので、それはそこでやめますが、それで仏教が日本へ入ってきたんです。

神道と仏教

その当時の日本では神道があったわけです。神道というのは、皆さんご存じだと思いますが、始まりの宗教なんです。ものの始まりについていろいろ哲学的に、現象的に説明しようというのが神道であって、終わりに関してその当時の日本はどうしていいかわからなかったんです。だから神道で終わりは、死骸は不浄なものということで、目に見えないところへ持っていって、黄泉の国へ捨ててくるというような感じだったんですね。

そこへ仏教が入ってきて、仏教が「終わり」ということを日本人に教えて、日本人はいたく感激したわけです。終わって来世があるなんて、すばらしい科学を持ってきてくれた。科学の一端として、そういう仏教思想が日本に入ってきて、なるほど、これで始まりと終わりがはっきりしたというので、日本人は始まりは神道、終わりは仏教で処理するような格好になっていったんですな。

日本人宗教

その間をつなぐのが儒教というようなものがあって、さらにこれを冗談めかして言いますと、楽しみのためにはキリスト教というのがあって、やれクリスマスだ。バレンタインだ。カーニバルだと。さらにそれをいくと戦いのためには回教。日本人くらい宗教心に富んだ人達はいないのではないか。こうインド人に説明すると納得してくれるんですが、インド人に対して「日本人は無宗教である」というとびっくりします。「えっ」とびっくりして、「How」というんですね。「Why」じゃないんです。

インド人にとっての宗教

なぜHowかというと、インドでは、インドに住んでいるあらゆる人がどこかの宗教に属しているんです。その宗教に基づいて日常生活が成立しているわけです、朝起きて夜寝るまで。あるいは生まれて死ぬまで宗教に依るのです。インドにある宗教はヒンドゥ教、先ほどのバラモン教がヒンドゥ教になりました。回教がございます。回教徒人口は12%くらいおります。そのほかにヒンドゥの一派から分かれたシーク教徒。ターバンをかぶった人達です。それからキリスト教があります。キリスト教も古いユダヤ教がずうっと流れてケララのほうに住み着いた非常に古いユダヤ教から、新しいクリスチャンから新教、あらゆるキリスト教があります。そのほかに仏教徒もいます。

そういうふうにあらゆる宗教がインドにあるんですが、それのどこかに属しているんですね。だから宗教に属さないで、どうやって生活ができるの?ということでHow、いかに生きていくんだという質問になってインド人から返ってきます。このへんが日本人の宗教観とインド人の宗教観のものすごく違うところです。

三大社会主義国

こっちの話もすごく面白いんですけれども、これも時間がかかりすぎますので、こっちのほうへ置いときまして、実は世界三大社会主義国という時代がありました。それはソ連と中国とインド。これが人口的にも非常に大きくて、社会主義国といわれるレッテルが張られたわけです。
その当時、1980年代ですけれども、ゴルバチョフだとかケ小平だとかインディラ・ガンジーだとかいうすごく優れた人が指導者となって、三大社会主義国が世界で存在していたわけです。こういう国の独裁者に近い人達が外国へ旅行すると、分刻みでスケジュールがずうっと行って、ピシッと終わる。彼らが国内で何かやる時も、ピシッーといくんです。
この人達は、それだけのトップに立つ人ですから頭がいいんですね。よく観察してみると、外国では自分だけじゃなくてほかの人も、一般の人もピシッとやっているようだと。だけど自分の国に帰ってきてみると、自分はピシッといってるけれども、ほかを見ると、どうもそうではなさそうだ。『一将功成って万骨枯る』ような格好で国が運営されている。これはおかしいぞと、さすがに頭のいい方々ですから、いまの隣の隣の国の人とちょっと違いまして、そのへんに気がついたんですね。

それで時期をだいたい同じゅうして、この3人が言い出した。ゴルバチョフが言い出したのは『ペレストロイカ』ケ小平が言い出したのは『外国文化の学習』インディラ・ガンジーが言い出したのは『最新技術の導入』ということを言い出したんです。それぞれがこれをやらないと、自分の国は日本やアメリカみたいに、あるいはヨーロッパの国みたいに、万民が幸せになれないんじゃないかということを感じたわけです。

例えば私、三菱商事の駐在員をして向こうへ行って、副社長がインドへ来るなんていうことになりますと、飛行場の出迎え、飛行場の中へ入る許可を特別にもらって、通関がスムーズに行くように。車はいつも陰に1台空の車を走らせといて、何か事故があったらそれにくっ付けるとか、お腹が減ったといったら、すぐおむすびができるように、奥さん方に待機してもらうとかいう大変な努力して、副社長のスケジュールをやるわけです。社長までは来ないんです、なかなか。そうすると副社長は、なかなかインドもやるね、という格好で帰るわけですけれども、そのあと万骨枯るで、引っ繰り返る駐在員とか引っ繰り返る駐在員の奥さんとかいっぱい出てくるわけです。

そういうことをしないためには何かしなきゃいけないということで、インディラ・ガンジーは、最新技術を導入すればインドもよくなるんじゃないか。ゴルバチョフは国の再編成、見直しをすればということを考え、ケ小平は外国の技術だけじゃなくて、その背景にある文化を知らないと、外国の要求を満たすような輸出製品はできないよと。それには外国文化を学習しなきゃいかんよということをやったわけです。

その結果、ソ連は見事に崩壊してロシアになっちゃったわけですね。見直したら、やっぱりソ連というシステムはよくなかったとわかったんでしょうね。その結果そうなっちゃった。

ケ小平の言う外国文化の学習というのはどういうことか。年をとってきますと、文化の学習というのは、映画を観たり本を読んだり情報誌を見たりして、ああ、これが外国の文化というものか、ということになるわけですけれども、若者達にとっては学習ということはキャリアウトなんですね。実際ディスコで踊って民主主義の投票をやってということで、天安門まで走っちゃった。

唯一インドだけが近代最新技術の導入ということで、インディラ・ガンジーが生きている間はできませんでしたけれども、1991年に門戸開放いたしまして、それまで自立、自給自足、セルフリライアンスということを言っていましたマハトマ・ガンジーの思想から180度転換しまして、国際相互依存、インターディペンデンスというふうに180度国の政策の転換をやったんです。
それが三大社会主義国の背景にあるということを、まず頭に入れていただきたいというふうに考えます。

インドのIT

アメリカのカーネギー・メロン・ユニバーシティというのは、すでに皆さんご存じだと思いますが、そこに私の名前、SEI――Software Engineering Instituteという機関がございます。アメリカの国防省が金を出してそのインスティテュートをカーネギー・メロン・ユニバーシティの中につくるんですが、ここでやっていることは、世界のソフトウエア開発会社のランキングをやっているんです。

いろんな会社が申請して、ランクがレベル1からレベル5までありまして、レベル5がいちばん高いんです。米国の国防関係組織がのソフトウエアを発注する際に、関連企業あるいは国防関係の工場が、どの企業にどのへんのソフトウエアを頼んだらいいかというのをわかるために、1、2、3、4、5というレベル5まである。2002年の4月現在ですけれども、世界全体で69社、レベル5にランクされています。そのうちの約7割がインドの会社です。アメリカの会社よりもインドの会社のほうが多いんですよ、そこに出ているのが。

これが2004年、去年の5月の数字だと、75社がインドの会社なんです。中国の会社が1社入っています。日本の会社はどこも入っていません。差し支えがあったらごめんなさい。大きな顔をしている東芝だとか富士通だとかNECだとか何とかかんとかというのは全部入っていません。どこで入っているかというと、去年の暮れ私、インターネットでいろいろ調べてみたんですが、レベル3の会社が散見される。その中の一つが日立さんであり、オムロンさんなんですね。

森首相の時に日本のコンピュータ会社が、総理がコンピュータについてなんだかんだ言うから、一生懸命やらなきゃいかんということで、アメリカのコンサルタント会社にある日本の大手さんが、自分の会社どのへんのレベルにあるか診断してくれと頼んだ。
そうしたらその会社が来て、膨大な金と時間をかけてだと思いますけれども、調査して判定した結果、「おたくのはレベル2だ」といわれたんですね。日本のその大手会社はレベル2じゃ、総理の意向にかなわず言っているあれで大変だからといって、これをレベル3に引き上げるにはどのくらい時間がかかるかと聞いたら、そのコンサルタント会社は、「私が引き受ければ48ヵ月でやりましょう」と。4年ですよ。レベル2から3に上げるのに。それでその会社は慌てて、インドのコンサルタント会社に頼んだ。そうしたら「私だったら1年半くらいでワンランク上げることは可能ですよ」という返答があった。その後、その会社はどうなったか知りませんけれども、とにかく日本のコンピュータのソフトウエア開発は、世界の中でも相当遅れています。レベル5なんて行ってないんですね。レベル5というのは、定義を見ればわかりますけれども、要するに問題点の指摘をしてソリューションができる会社なんです。

日本の大手の会社も、インドのソフトウエア技術開発能力に関して、注目は始めています。それで向うに支店だとか学校だとか、組織をつくってやっている会社も出てきていますが、まだまだアメリカなんかと違うんですね。

アメリカのNASAの職員の30%以上が、インド系の職員だといわれています。IBM、マイクロソフト、みんなそうです。だいたい2割から3割くらいがインド人です。だからアメリカのIT産業はインド人なしでは、もう動かなくなってきているんです。

その証拠があります。実は1974年にインドは核実験をしました。その時の核実験装置は、日本の小学校の教室くらいの大きな装置だったといわれています。それが、1998年の5月にインドは核実験をまたやりまた。その時はミサイルの弾頭に付くようなコンパクトな核の実験をやったというふうに言われています。

ここのところで、ちょっと関係ないことかもしれませんが、日本にはすごく記憶力のいい橋本総理という方がその当時、総理大臣をやっておりまして、インドが核実験をやりました。途端にその日のうちに彼は、中国が核実験をやった時の例をちゃんと覚えておりまして、非常に記憶力のいい方ですから、あの時、無償援助を停止したということを明確に覚えていて、すぐその日のうちに「インドに対する無償援助は中止」というふうに言ったんですね。

その時、日本の外交官も世界のマスコミも、大ボケをやっちゃったんです。インドが核実験をやったと発表した時に、誰も「これで終わりですか」ということを聞かなかった。誰一人聞かなかったんです。インドは予定どおり粛々と二日後にもう1回実験をやった。橋本さん1回目やった時に、「無償援助停止」といっちゃったんですね。二日後にまたやられたら、「円クレ停止」といわざるを得ない羽目になっちゃった。

そのあとすぐG7があって、橋本さんが「サンクション」という言葉をG7で言ったら、ほかのG6ヵ国から笑われたんです。それで橋本さんが言った「サンクション」という言葉だけが独り歩きして、橋本総理のインドでの評判はガタ落ちになりました。
本当は橋本さん総理大臣らしく、やったすぐ「無償停止」じゃなくて、1週間くらい考えた振りをして、2回目が終わったあとに「無償停止」といえばよかったんですが、あまりに記憶力がよすぎたんでしょうね。言っちゃった。最近はどうも記憶力が落ちているみたいですけれども、そんなことがあったりしました。

で、アメリカがインドの核実験をやったあとの対応がすごいんですよ。タルボットという長官が、そのあとでインドの外務大臣になったジャスワント・シンという男と、1年半にわたって8回会談をしているんです。1998年の5月から1年半かけて8回。ほぼ2ヵ月に1回の割合で、本当に真剣に世界情勢、世界の核の問題、あらゆる問題について、アメリカとインドは話合うんですね。その結果、両者一応認め合うような格好になって、それ以降、アメリカは国際外交の場で、インドを無視してはできないところまで行ったんです。

なぜそうなったかというと、タルボット長官も、いまのアメリカ人の政府筋も、インドがNASAをはじめとするコンピュータ産業にものすごく深く食い込んでいて、ちょうどアメリカの金融界がユダヤ人なしでは動かないと同じように、アメリカのコンピュータ業界はインド人なしには動かない状況になってきちゃっているんです。いまアメリカにいるインド人の数は、150万人とも300万人とも言われています。300万人を超えているという議論もあります。

実はインドから海外に行っているインド人の数、どのくらいいるかといいますと、2000万人いるそうです。世界110ヵ国にインド人は行っているそうです。そのうちアメリカが150万から300万いる。
アメリカに行っているインド人は三つに分けられます。一つは、アメリカで勉強してコンピュータ以外の部門、物理学もありましょうし、特に医学、要するにドクターの称号を取るのは、アメリカではいまインド人の比率がいちばん高いそうです。アメリカ人も入れてですよ。そのくらいインド人はアメリカで勉強しているんです。英語を勉強するためにアメリカへ行こうなんていう不届きな日本人とぜんぜん違うんですよ。

インドのカレッジでは共通試験があります。全部序列がつきます。点数がつきます。そのカレッジ卒業の成績と、カレッジの校長の推薦状があると、アメリカの大学は彼が行く前から、ボストンだったりマサチューセッツ、カリフォルニア、ロサンゼルス、そういうところの大学が、あなたの奨学金は3000ドルです、5000ドルですと、前もって大学がコミットしてくれるんです。だからインド人は国を離れる前に、自分がアメリカの大学へ行った場合、奨学金を幾らもらえるかわかっていてアメリカへ留学するんです。それで一心不乱に勉強するんですよ。

要するにパチンコをやったり、ディスコへ行ったり、そんな遊びの精神なんかまったく歯牙にもかけないで、そういう低級な楽しみにインド人は興味を示さないんです。知的なものに異常な関心を持つんですね。

アレキサンダー大王とインド

話は飛びますが、知的なものにインド人は関心を持つというのに、西洋人でいちばん感心したのはアレキサンダー大王なんです。いまアレキサンダー大王、200億かけた映画をやっていますけれども、アレキサンダー大王がマケドニアからインドのほうへと来るわけです。最初、出始め、何人だか知りません。5000人か1万人の軍隊か知りませんが、マケドニアからずうっとインドのあたりまでは、完全に不毛とは言いませんが、だいたいちょっと小高いところへ上がれば、一望千里で向うが見えるんですよね。

あの当時はみんな都市国家ですから、先を見ると煙が何本上がっているから、だいたい人はこのくらいしかいないだろうというようなところで、ずうっと行くと、そこの都市国家の王様は、攻められて滅ぼされちゃ大変だということで恭順の意を表して、自分の娘といって娘をアレキサンダー大王に捧げて、この国は大王の名前をいただいてシカンドラバードにしますとか、シカンドラにしますとか、アレキサンドリアにしますとか、国の名前を全部変えちゃうんです。それで恭順の意をあらわして、ワーッといってアレキサンダー大王は1週間か一月そこへ滞在するわけです。捧げた女は、まあ今日は女性がいませんから、そういう言葉を使っちゃいますけれども、自分の娘と称する奴隷の娘かもしれないのを、アレキサンダー大王にやるわけですな。

アレキサンダー大王はそういうふうにやりながら、だんだん軍隊が増えていって、インダス川のほとりまでくるんです。インダス川のほとりまで来て、びっくりするんです。陰がある。ヒルがいる。樹の陰にはどんな動物がいるかわからない。一望千里不毛のところからジャングルのところへ来て、気味悪くて入れないんですね。谷崎潤一郎じゃないけれども、陰のある世界というのは、あんまり歓迎できなかったんでしょうね。
それでインダス川のほとりで、インドの七つの国から7人の王を集めて、「インドの地はインドの王達に任す」といって、彼は帰ることにするんです。帰る時に、陸路を帰ると便利なんですよね。その当時、軍隊が最終的に何万人になったか、何十万人になったか知りませんが、ぞろぞろ帰ればマケドニアに帰れるはずなんですが、ずうっと征服した都市国家があるわけです。来る時は1週間か一月でよかったけれども、そこにお妃がいるわけですよ、1ヵ所1ヵ所に。帰りに寄って2年3年といったら、一生かかってもマケドニアへ帰れないということもあっただろうと思う。それで海路帰ることになる。

海路帰ることになりますと、船に乗るのは人数限られますから、全部帰れないです、何十万なんて。せいぜい数千人か数万人。数万人、船で帰るって大変ですよね。そうするとインドに住み着いちゃった人がいるんですね。

しかもアレキサンダー大王はそこでびっくりしたのは、自分は戦って征服するということしか考えてなかった。ところがインドへ来て、インドの王達と話をして、いろいろインドのことを聞いてみると、インドでは宇宙と人間の関係を考えているという人達がいる。ヒンドゥ教の僧侶達にびっくりしたんです。宇宙の本質と自我とを合一させる梵我一如なんていう思想をやっているやつがいる、とびっくりしちゃった。そういう知的なことは考えたことがなかった。それでインドの坊主を7人だか10人連れて帰るんです。その分、船は人数が乗れなくなるんです。そうすると残っちゃう人たちが出てくる。

それでインドにはいまだに、その当時残った人が住み着いちゃって、ヒンドゥ教徒に改信して、インドに住んでいる人達がいるんです。マンガロールという港がボンベイのずっと南のほう、ケララに近いところにございますが、そこから数百キロ山奥側に入ったところにクールグという地域がございまして、そこに住んでいる人はクールギというんですが、これが「おれ達はアレキサンダー大王の末裔である」ということで、いまでも住んでいる。ヒンドゥ教徒です。顔はギリシャ人みたいな顔をしています。彼らはマケドニアからずうっと来て、牛肉を食べる習慣がずっとありましたから、いまだに牛肉を食べてます。
したがってヒンドゥ教徒は牛を食わない。インド人は牛を食わないなんていうのはとんでもないことで、インドではキリスト教徒、回教徒、これは牛を堂々と食います。ヒンドゥ教徒の中にも、牛を食う人達もいます。だから安易にインド人は牛を食わないということを信じちゃいけないなというような気がします。

アレキサンダー大王がすごく感心したのは、知的なこと、宇宙の本質と自我とを合一させることによって、なんていうことを考える人がいるというのにびっくりした。インド人はその当時から、そういう知的なことが非常に得意だったんですね。

それがゼロの発見にもつながりますし、それから中国人みたいに時間の流れというものを書いてというのじゃなくて、時間というものは本質的なものじゃないというようことで、インドでは時間というのは不変でずうっと流れていくのだから、これをあまり重きを置いてもしようがないということで、クロノジカルに時間を述べた歴史的な書物がないんです。これが中国とインドのものすごい大きな違いです。

中国の場合は、何年の何月何日に誰が何をしたということを、歴史を全部書いて残しておくんですね。国書というのができて、代々の皇帝がそういう専門家をつくって残しておくんですが、インドではそういうことはないんですね。要するに宇宙の本質と自分とをどうのこうのというような考え方のほうに行ったのがインドで、同じ四大文明の発祥国あれで
もずいぶん違うなというような気がします。
先ほどのちょっと横のほうの話の続きですけれども、クールグに住んでいるクールギという人達は、いまだにインドの軍人だとか銀行家の中にたくさんいます。非常に信用がある人達です。彼らはいまだにアレキサンダー大王の末裔であるということを誇りに思っていますが、私に言わせれば、「アレキサンダー大王は帰ったんだ。その重要な家来達、親戚も一緒に船で帰った。その下の部下の主だったのも帰っただろう。譜代はみんな帰っている。外様あるいはその家来の家来の召使くらいの末裔が、いま残っているおまえだろう」と、こうインド人に嫌味を言うんですけれども、そういう人達もインドに住んでいます。

インドの多様性と周辺への影響

だからインドというのは、そういうふうに非常にバラエティがあります。先ほどもちょっと言いましたけれども、ユダヤ教の人達がいまだに住んでいるんです。それも新しく入ってきた人達じゃないんです。ずうっと昔に流れ流れてインドに着いた人達が残っているんですね。

そういう意味では日本なんかもインドの影響を受けているんですよ。いちばん受けているのがはっきりしているのは桃太郎の話です。桃太郎というのは、岡山県出身の人がいたら怒るかもしれませんけれども、あれはラーマーヤナの焼きなおしなんです。インドでは困ったことに、地名、どこで何が起こったかという、「どこ」はわかっているんです。だけど「いつ」というのがわかってない。ラーマ王子が生まれた場所もわかっている。どこで猿と一緒になったかというのもわかっている。鬼が島がどこだというのもわかっている。鬼が島はセイロン島なんですね。セイロン島へとラーマ王子と猿が攻め入って、悪魔を滅ぼすんです。

その話をしても1時間くらい必要になるから簡単に言いますが、その時に猿がラーマ王子と一緒になって攻め入って、焼いちゃうんですね。終わったあと猿がこう顔をやったら、猿の顔が黒くなったということで、黒い顔をした猿というのは神のお使いであると、インドでは非常に珍重されているんです。日本猿みたいに赤いやつはたいしたことはないんだけれども、ハヌマーンという黒いやつが非常に崇拝されたりしているんですが、それがセイロン島、鬼が島、そのあたりからずうっと流れ流れて、フィリピン諸島あたりまでインド人は進出しているんですね。タミルナドのいまのマドラス中心の人達が、シュリランカだとかシンガポール、マレーシアにいっぱい進出していると同じように、昔から海岸伝いで、あっちのほうの諸島に行っている。それが台風かなんかで紀伊半島などに流れ着いた人達が、先祖の話として、要するに「昔むかし、あるところに」というような格好で桃太郎が日本へとくっ付いたというようなのが、真相じゃなかろうかなと私は思います。

さらにこれは日本史のほうで、僕らはわりあい知らないんですが、高校のさっきの45分間の歴史の中で、やればいいのに教えてくれないんですけれども、聖武天皇が大きな大仏をつくって、私はいま国分寺に住んでいますが、全国に国分寺をつくりまして、大仏の開眼供養をやろうと思ったら、日本に大仏の開眼供養というか、入魂式を仕切ることができるようなMC、Master of Ceremonyがいなかったんです。それで聖武天皇しようがないから、「中国から誰か偉い坊主呼んで来い」といって、中国へ坊主を呼びにやらせるんです。
中国へ行きますと、「なに、倭の国?倭の国の儀式、MC。そんなのはご免だよ。そんなところへ行ったってしようがないよ」というんで、中国の坊主誰も興味示さないんですよ。そこのところへインド人の仏教の坊主がいるんですな。これ、坊主の名前すら残ってないんですよ。菩提僊那というんですよ。要するに仏教徒ということしか残ってない。そのインド人を、その当時誰だか知らないけど、日本人がそれを日本へ連れ帰って、大仏の開眼供養をやるんです。

めでたく大仏は入魂式を終わりまして、全国の国分寺も威信が置かれるようになって、開眼供養をやったインドの菩提僊那というのは、中国へ帰っても、また中国の坊主の足洗ったり飯つくったり、そんなのやるよりも、こうやって厚遇してくれる日本にいたほうがいいなということで、日本へ住み着いちゃうんですな。この人が奈良五山の梵学の祖なんです。この人がサンスクリットを日本へ教えるんですよ。それの教えが脈々脈々と続いて明治まで来るんです。

アイウエオの採用

で、明治時代に日本の当時の偉いさんが西洋へ行って、法律だとかなんとかいろんなことを勉強してきます。その中で、西洋の言葉にはグラマーというものがある。日本もグラマーをつくらなきゃいかんだろうということで、日本文法をつくろうと。その基になるのは音韻表じゃなかろうか。英語のアルファベットを入れてもどうもうまくいかん。いろは四十八じゃ、ちょっとこれは……、ということで思いついたのが五十音なんです。

私、外語のインド語に入りまして、ヒンディ語の授業でいちばん最初にびっくりした。土井教授というとんでもないできる教授がいまして、いちばん最初、黒板に梵字を書くわけです。僕に言わせれば梵字ですね。ヒンディ文字を。「これは、ア・アー、イ・イー、ウ・ウー、エ・アイ、オ・オゥ」というふうに読むと。1時間目それだけなんです。次の週は、それでいきなり読めというんですよ。要するに自分で勉強しろ。

何のことはない。ヒンディ語というのは、アイウエオ順なんです。いや、そうじゃないんです。日本のアイウエオというのは、サンスクリット、ヒンディをそのまま写したものなんです。アの次にアーという長母音は来ますけれども、長母音を抜かすとアイウエオなんです。アのあとにもう一つ母音。日本では母音として認められませんが、サンスクリットの「リ」というのが母音としてインド語にはありますが、これを抜かしますと、アイウエオの次に来るのはカキクケコなんです。インド語の辞書がですよ。カキクケコのあとに来るのは、やはり向こうは音韻学が進んでいますから、同じ系列のガギグゲゴが来るんです。これは嘘じゃないんですよ。アイウエオって、そのままインド語なんです。
これが日本人は、五十音は日本の発明だと大勘違いをしているんですね。そうじゃないんです。インド語から持ってきた。しかもそれは大仏開眼をやった菩提僊那という男に端を発した梵学が影響を与えて、明治維新に五十音となって、こうなっている。

インドというのはそういうものを日本に与えているんですよ。仏教だけじゃないんです。仏教だけじゃないというのは、差し支えがあったらごめんなさい。神道で祝詞というのがありますが、祝詞をあげる時に神主が最初、何と言います?地鎮祭でも何でもいいですわ。「オウーム」というんです。オウム真理教のオウムです。これは神を呼び出すヒンドゥの儀式の最初の音なんです。

日本の当時の神道は、神に呼び掛ける音がなかった。どうしていいかわからない。お辞儀をして拍手だけじゃどうも頼りない。何か祝詞の前に一声掛けたいなということで、その当時バラモン教の「オウム」というのが入ってきて、これは便利だ。神を呼び出す音があるじゃないかということで、いまだにこれを神道の祝詞の前に使っているんです。これを神主さんの前で言うと、すごく神主さん困った顔をします。神道は日本古来のものだと思っていますから。そうじゃない。そういうものを日本は輸入しているんですよ。

これはしようがないんです。日本列島というのはアジアにくっ付いていますよね。日本で明石原人なんていたかいないか知りませんけど、それがいまのわれわれにつながっているかどうか知りませんが、いまの定説では、アフリカで人類が生まれて、ずうっとシナイ半島あたりで左右に分かれて、流れ流れて日本に来ている。どう見たって向こうのものがこっちに来たに違いない。こっちのものは向こうに行ってないです。

人類の流れ

おかしなもので、実は人類の流れに沿って、文化とかそういうものが流れやすい傾向があるんですね。ちょうどシナイ半島で生まれたキリスト教は左のほうへ行って、回教はこっちのほうへ来て、それに基づいて文化が流れてくる。だからこういう流れがあるから、それに乗った仏教というのは、こっちに流れるだけで遡らなかった。

ここでもう一つ、ちょっとよけいなことを言いますが、シナイ半島へと上がってきた最初の人類、あそこで夫婦喧嘩するんですな、為政者が。女が東のほうへ行って、男が西のほうへ行くんです。その女というのは呪術的な能力を持った女で、その当時まだ生きていた恐竜に乗っていたんですな。男は「あんな女の顔も見たくない」といって、西洋のほうへ行っちゃった。その時に、あんな悪女、悪魔ということで、女のことをデビルと呼んだんですよね。
だけれども、女を奉じた東のほうへ行った人達は、「いや、女神様だ」と、こう言ったわけです。だから英語のデビル、悪魔というのは、デビ夫人のデビ、女神と裏表になっているんですよ。同じ女の名前が、デビというんだったかデビルというんだか知りませんけれども、男から見れば、あれは悪女だとなるし、悪魔だとなるけれども、女神を奉じたほうは神様になるわけですな。
それで西洋では女神、悪魔、悪女、要するに悪魔をやっつけるためには、魔女をやっつけるためには、その使いであるドラゴン退治をしなきゃいかんということになっているんですね。だからドラゴンは、西洋では悪魔の使いになっている。
ところが東洋では女神に仕えた動物ですから、ドラゴンは神格化されて良いいい動物なんですね。このへんが西と東の考え方のすごい違うところで、中国でも日本でもインドでも、ドラゴンは神格化されているんですね。西洋では退治すべき対象物として扱われている。このへんはすごく面白いなと思う。

三菱商事にいてインドにいますと、夜、何にもやることないんですね。そうするとみんなでくだらん話、こういう話をしながら時間を過ごさざるを得なかったというのがあって、こんなことが頭の中に妄想として浮かんできて、これは定説でもなんでもありません。私の妄想です。だけど考えてみれば正しそうだなという感じはしますよね。

東から西へ流れたものは、重要なものが幾つかあります。例えば小麦の殻を取る手法。これは中国で開発された手法ですが、西洋にも流れて、すごく珍重されましたし、火薬がそうです。紙がそうです。羅針盤がそうです。チェスがそうです。こんなのみんなインド、中国で生まれたものが、西のほうへ行ったものです。こういうものは非常に数が限られていて、だいたいは西のほうから東に流れるという格好で動いてきています。

現職のアメリカ大統領の訪印

また話を元へ戻しますが、タルボットが8回にわたってインドのジャスワント・シンと話合った結果、クリントンが辞める前にインドを訪問するんです。クリントンはインドに五日間滞在するんです。アメリカからの距離を考えますと、実は七日かけているんですね、行き帰りもかかりますから。現職のアメリカ大統領が一つのほかの国に五日間滞在した例というのはほとんどございません。

なぜクリントンがそうまでしなきゃならなかったかというと、これが先ほど言いましたアメリカのIT産業、情報産業、コンピュータ産業は、インドなしでは成り立たない状況まで追い込まれているというひとつのエビデンスですね。

韓国の読み

日本の政治家はなかなかそこまで読み取っていませんで、その点、韓国の大統領、韓国政府は、インドとアメリカの関係というのはそこまでいっているんだから、21世紀はインドとアメリカの蜜月、ハネムーンとなる。そういうインドを前もって自分達はやらにゃいかんということで国を挙げて、政府が韓国系財閥の尻を引っぱたいて、インドに進出させています。

韓国の四大財閥、金星だとか現代だと大宇だとか三星だとか、みんな出てきました。大宇はちょっと本国のほうでだめになっちゃいましたけれども、相変わらずこの三つの財閥は、インドで隆々たるものです。最近は韓国の大統領がインドを訪問しまして、その時に付いていった韓国の人達というのは、200人以上いたというんです、実業家が。小泉さんが出かける時、日本の経済界、何人が随行者として付いていくかというのはわかりませんけれども、そんなことはないと思いますね。ロッテなんかもその時に行っております。
ロッテなんかすごいです。次はインドだと。ガムとインドってあんまり関係ないのかなと思うかもしれませんが、インドではパーンという、キンマの葉にいろんなものを包んで噛む習慣があるんですね。これをペッペッと捨てるのは汚いからということで、だんだん禁止のほうへいっているんですが、噛む習慣は残るだろうということで、ガムが非常に有望だということで、まず韓国のロッテが進出し、日本のロッテもいま北のほうへ進出しようと思っています。

インドで何かをやる場合に、金星なんかもそうですし、三星もそうですし、現代もそうですが、本社が本気になって力を入れてやっているんですよ。そうしないとインドでは成功しません。インドで失敗例としてあげるには、ちょっとまだ時期が早いんじゃないかなと思いますけれども、ウーン、ちょっと……と思うのはソニーの出方なんですが、腰掛的に出て行っているんですね。

ところがスズキ自動車の出方はそうじゃないんです。社運をかけて出て行っているんです。これはインドのマルチウドヨグという会社の会長が、その当時は社長だったですが、日本の晴海へ来て自動車ショーを見た時に、「三菱自動車に決めようかな」と、ある日言ったんですね。

ところが翌日、朝10時から夕方4時まで、鈴木修さんが帝国ホテルへ乗り込んで、ひざ詰めで一日かけてクリシュナムルティさんと修さんが話合って、すべてのペンディング事項を二人でさばいて、スズキがインドへ進出することに決めたんです。これはインドが門戸開放する1991年よりも5〜6年遡った時です。スズキは全社一丸となって、このインドプロジェクトに進めるんむんですね。それで大成功をおさめるんです。

インドではその当時、アンバサダーという車とフィアットという車がありまして、細々とつくっていましたが、桁が違うんですね。一時は90%くらいスズキ自動車がシェアをとってやっていました。いまはスズキ自動車、マルチウドヨグのシェアは、乗用車で約6割くらいになってしまいましたが、それでも一つの工場で乗用車を50万台つくっているんです。一つの自動車工場で50万台乗用車をつくる工場が、世界中に幾つありますか。ほかにないと思いますね、まだ。生産能力は50万台あるというのはあるかもしれませんが、実際つくった例というのは、私、聞いたことがないんです。だいたい自動車というのは10万〜20万台前後を一つの塊としてやっていますが、いまスズキは一つの工場で50万台つくっています。

インドの自動車生産台数は今年度、インドも暦年じゃなくて、財政年度は日本と同じで04―05で110万台くらいになりそうです。2010年には200万台だろうと。あそこに旭硝子が、アサヒ・インディア・セーフティガラスという工場をつくっておりますが、ここが自動車ガラスのインドの需要の9割5分くらいサプライしています。

一昨年の話ですが、そこに行っていろいろ話をしていたんですけれども、そこの方が曰く、2030年にインドの乗用車生産台数は1000万台を超えるというんですよ。なぜそれがアサヒ・インディア・セーフティガラスに予測できるかというと、95%のシェアを占めている自動車ガラス会社に対して、自分の生産計画を理解していただいてサプライしてもらわないと、自動車会社はどこもやっていけないわけですよ。

そうするとすべての乗用車が、ベンツも現代も、タタもマルチも全部自分の生産計画を、10年先の計画を、20年先の計画を旭硝子に持ってくるんです。お宅でサプライして下さいとお願いせざるを得ない。だからすべての自動車会社の本当のデータが、インド・アサヒ・セーフティガラスに集まっちゃっているんです。インドにもインド自動車工業会、AIAMというものがございますが、そこに出てくる数字は非常に政治的な数字が多いんですけれども、自分の生産計画に合わせた数字というのは、旭硝子さんが全部持っているんです。当然のことながら、旭硝子さん、儲かって儲かってしようがないです。95%のマーケットを持っていたら、儲からないはずがないですよね。

マルチウドヨグ、スズキさんも、鈴木修さんが「スズキの世界戦略は」なんて大きな話ができるのは、インドで儲かっているからなんですね。すごい儲かっている。この蓄積というのは大変なものですね。だからパキスタンでどういうふうにしよう。東欧でどういうふうにしようなんていうことを修さんが言えるようになったのは、インドで大成功をおさめたからなんです。これは社運を賭ける覚悟で進出したからにほかならないと思うんですよ。
片手間でインドでやると、インドという地は非常に商売的にも厳しいし、インド人も商売が非常に上手ですから、なかなか成功しない。やっぱりきちっと社運を賭けるような形でがっぷり四つに組んでいただかないと、うまくいかないような気がします。

先ほどちょっとお話しましたが、いま私は三井金属さんのアドバイザーをやっておりまして、これはもう新聞発表されてますから構わないと思いますが、三井金属さんがインドに新会社をつくって、そこで触媒をつくろうという計画をしております。

インドは核不拡散条約に加盟していません。インド人というのは原理原則を非常に大事にする人達です。だからすでに核を持っている5ヵ国だけが、言いたい放題のことを言えるような世界システムというのは、地球にとって好ましくないということをはっきり言っているわけです。アメリカに対し、核を持っている国に対し。で、自分も核を持っていますよということで、先ほど橋本さんが顰蹙を買うような結果をもたらした核実験をやったわけですよ。
エイズにかかっている人が、「自分はエイズにかかっているよ」というふうに言うほうが、私は正直だと思うんですよ。日本政府の立場は、エイズにかかっている。それはいいと。だけど黙っててくれよというのが日本政府の言い方で、核は持っていてもいいけれども、持ってない振りをしてくれよというのが、どうも日本政府の言い方のような気がしてしようがない。

原子力関係の方もここにいらっしゃるから、耳に逆らうかもしれませんけれども、インド人は私に言うんですよ。「日本人はアメリカの航空母艦や軍艦が日本へ寄港する時に、核をグァムだとかハワイへ行って下ろして入ってきていると本気で思ってるの?」と言うんですよ、インド人は。「だから持ち込まないというのは、とっくのとうに反故になってるんじゃないの?そういう日本人の建前論には自分達は付いていけないよ」とインド人は言います。

それから日本という国は、もしアメリカの核の傘の中に入っていなければ、歴史上から5年前、10年前あるいは20年前に消えていたかもしれないねという言い方を、本当に腹を割って話すことができるインド人は指摘します。反論のしようがないですね、これは。インド人のほうがきちっと日本を見てます。

インド人の対日感情

日本に対して批判的かというと、そうじゃない。日本の外交というのはすごいねと。自分の経済発展のために、国防費をアメリカにかじけてここまでやってきた日本人の知恵ってすごいねと感心するんですよ。インドの教科書では、日露戦争でアジアの国で初めてヨーロッパを負かした国が日本だということで、日本を褒めたたえているんです。

日本にも若干ではありますが、インドの留学生が来ています。日本にもインド人が何人かいます。日本に来た、日本で経験を持ったインド人で、日本を嫌いになったという例を私はまだ知りません。アジア、ほかの国から日本へ来ている留学生で、日本嫌いになって帰る留学生が3割とか、あるいは7割とか言う人がいます。そんなインド人一人もいません。みんな日本びいきになって帰って、本国へ帰ると熱く日本について語ります。こんな親日国はないと思います。インドで世論調査をしますと、外国でどこの国がいちばん好きかというと、日本はいつもトップです。こんな国ないんですよ。

インドの治安

インドでテロはたくさん起こります、小さなテロは。例えばオールドデリーなんかでは起こります。パキスタンとインドの間でカシミールというのがあって、これをああでもない、こうでもないとやっていますので、その関係でテロは起こりますが、外国人を対象にしたテロというのは一度も起こっていません。日本人がそういう不愉快な目にあったことは一度もございません。そういう意味では日本人が生活をするには、精神的にはすごく楽に生活のできるところですね。

相違点

ただし、風俗習慣がまったく違うんですね。まず食べ物がまったく合いません。私、言うんですけれども、世界は三つに分けられる。一つはタンパク質発酵調味料圏。これは日本からビルマまで。それからアルコール発酵文化圏。これはだいたいブドウ酒ができるところですね。その間、インドからギリシャのちょっと手前くらいまで、乳酸発酵文化圏。ミルクですね。調味料としてはスパイスなんです。
インドにはカレー以外ありません。私、学生時代に旅行した時に、サイクル力車というのがございまして、インド人というのはだいだい日本へ一方的にみんな与え続けたんですが、日本人がインドに与えた数少ないものの一つには人輪力車。日本で言う輪タクをサイクル力車というんですよ。人がこうやって引っ張る人輪力車ですね。これはカルカッタにいまでもあります。一時戦後はやった輪タクというのがありますが、これはインド各地にあります。
サイクル力車という輪タクの運転手と仲良くなって、学生時代に話をしたら、彼曰く。「おまえ、カレーを食うか」というから「食う」と。「日本ではどのくらいカレーを食うか」というんですね。「おれは一月に1回か2回は食うぞ。ひどい時は1週間に1回食うこともある」といったら、その力車が「気の毒だな。おれは少なくとも1週間3回は食う」というんですよ。何のことかなと思った。
そうしたらカレーというのはおかずという意味なんですね。だから日本人はおかずのある日が一月に二日か三日。おかずのある日が一日ある週もある。インドではいちばん下級の労働者は、豆の粉を水でこねて食べて、青い唐辛子をバリバリ、塩がちょっとあって、それが普通、いちばん下の人達ですね。カレーを、というのはおかずがあってご飯だとかチャパティだとか食べるというのは、大変なぜいたくなんです。そういう人達にとってみれば。僕はすごく同情されまして、カレーをおごってやろうかといわれましたよ。だからカレーという意味は、そういう人達にとっては日本で言うちょうどおかずに当たるかなという意味です。

そういう意味では、日本人が向こうへ行きますと、インド人にとってみれば全部がカレーですから、例えば1週間日本から交渉に行く。「じゃあ全部食事はおれのほうで面倒みる」といって、昼夜、昼夜呼ばれるわけですよ。彼らにしてみればおかずの種類を変えようということで、昼夜、昼夜違ったカレーを1週間出すんですよ。で、違ったおかずを出したというふうに彼らは思っている。

日本人にしてみれば、田舎の定食屋へ行くとカレーライス、ハヤシライス、ラーメンに天丼というふうに書いてあって、あのカレーなんですね、全部が。そうすると「なんだ、毎日カレーか」ということになる。

日本人は中国へ行った時に、例えば中国人と1週間いて全部二食、昼夜、昼夜と、今日は北京料理、今日は四川料理、今日は上海料理、広東料理、いろいろやってくれているなと。だけれども、言ってみればカテゴリーとしては全部中華料理なんですね。

それと同じように、インド人はカレー料理の中でいろいろ細部やっているわけです。インド人自身は感覚的に中華料理があり、フランス料理があり、インド料理がある。日本料理がある。そのくらいにインド料理というのは確立した文化だというふうに彼らは考えているわけです。

だから日本人は、「なんだ、また。行ってる間ずうっとカレーじゃないか」という不愉快な目をするけど、だけどよく考えてみれば、それはこっちの勘違いだということに気がつかなきゃいけないと思います。

ただし向こうで生活するには、気象状況だとか食べ物も含めて瘴癘の地といわれる地ですから、非常に生活しにくいところです。

日系進出企業は儲かっている

ただし、JETROで調査したものがございますけれども、あそこに進出している日本企業のうち、だいたい7割から8割くらいが黒字または儲かっているんです。中国の2割か3割しか儲かってないのに比べれば、大きな違いだと思います。現在向こうに進出している日本企業はだいたい200社。中国は2万社といいますから、100分の1ですよ。進出している企業は、黙っていますけれども、7割8割儲かっているんですよ。儲かっていないところも、あと1〜2年すれば儲かるという確信を持っていますね。

現在の経済成長率はだいたい6%から7%の間くらいで伸びていっています。世界の歴史を見ますと、7%以上の経済成長率を無限に未来永劫続け得た国はありません。上昇すると、必ずストンがあるんですね。そういう意味ではなだらかな伸び、6%から7%の間くらで伸びていくというのは、非常に健康的でいいんじゃないかなというような気がします。この間の東南アジアの通貨危機の時も、インドは微動だにしませんでした。まったく大丈夫でした。

インドの影響で、先ほど仏教の話だとかアイウエオの話をしましたけれども、もう一つ、ちょっと思いつかないものがあるんですが、ご披露しておきましょう。何かの話題になるかと思いますが、インドにはベーダというのがございまして、ヒンドゥ教の教えを説くひとつの聖典ですけれども、四大ベーダというのがありまして、リグ・ベーダというのは哲学的なこと。サーマ・ベーダというのは神に捧げる賛歌を集めてあるやった。そういうようなのがあるんですが、神に捧げる賛歌の歌い方、これがいまだにインドに残っているんですね。この神に捧げる賛歌というのが、結局、お経の読み方に影響を与えて、中国経由で日本に入ってくるんです。
お経の読み方だとか声明だとかいうのを元にして、室町時代に謡というものができたんです。だからお能というのが完全に日本発生のものだという勘違いをしないでいただきたい。インドで起こった神に捧げる賛歌の歌い方、腹式呼吸、腹から声が出るやり方は、インド発生なんです。それが脈々と流れて日本に声明として、お経として伝わり、それが室町時代に世阿弥によって謡という分野を確立して、いまに続いているんです。これは観世のお家元も認めていらっしゃることです。
実は観世のお家元のお手伝いをしばらくしたことがございますので、そのへんのことは家元とも何回も話し合っているんですけれども、そういうことで、意外にわれわれの身の回りにもインドの影響のものがあるんですね。
例えば言葉で言えば「卒塔婆」という言葉、それから地獄という意味で「奈落」という言葉。奈落というのは、いまでもインド語で地獄のことで使われております。日本では舞台用語として奈落の底だとか、ああいう意味での奈落。せり上げのあれのことを奈落といっておりますけれども、そういうように言葉の中でもたくさんあります。
例えば「さら」という言葉があります。さらというのは新しいという意味で日本は使いますけれども、ヤクザの方々が使うらしいんですが、インドではサラというのはやっぱり新しい、完全なというような意味なんですね。これは英語に入ってサラリーのサラと、ひょっとしたら同じじゃないか。そういう意味で同じものがずいぶんあります。

インド語というのはヨーロッパ語から分かれてきていますので、英語やなにかの兄弟だといわれていますからね。アーリア人というのはインド・アーリア語族といいますから、ヨーロッパのほうへ行ったのとインド側に来たのと両方いるんですけれども、ヨーロッパへ行ったほうの方々は、途中でキリスト教に影響を受けてキリスト教、一神教になっちゃうわけですね。それまではギリシャを中心としてわかるように多神教だったわけですけれども、ごまかされて一神教になっちゃった。インドに来たのは、いまだにヒンドゥ教という多神教なんです。

一神教の方々から見ると、多神教なんていうのは宗教じゃないと。神というのは一つなんだという考え方が強いんです。ご存じだと思いますけれども、中近東でうまくいかないのは、回教というのは非常にレトリックがうまかったんですな、モハメッドというのは。上手に説明したんですね。いままで神はモーゼを使わした。だめだった。キリストを使わした。だめだった。それで神はしようがなくて最後にモハメッドを預言者として地上に送った。だから回教がいちばん正しいんだと回教では言うわけです。これはどうしようもないですよ。あとからできたものが正しくなっちゃったんですね。すごい上手なレトリックですよね。モーゼがだめで、ユダヤ教。キリストがだめで、キリスト教。で、神は最後にモハメッドを使わしてできた回教、これがいちばん正しいんだということをモハメッドが言っちゃったんですね。それを信じているんだから、キリスト教と回教はうまくいくはずがないです。

ただ、これは全部共通しているのは一神教ということです。一神教を信じている英国人がインドに来て、「God is no where in India」といったんです。要するに、何でもかんでも、石ころまで神にするような国には神はいないというふう言ったわけです。そうしたらインド人が、「それはそのとおりだ。ただしおまえ、ちょっと綴りが間違っているよ」といって、no whereのwを前へくっ付けて「God is now here in India」と、こうインド人はやった。このインド人のユーモアというのは大変なもので、感心させられます。

日本とインドの共通点

インドと日本でもずいぶん違うところがあるんですけれども、共通点も幾つかある。共通点というのは、共通なことが起こっているということですね。似ているという意味じゃないんですよ。例えばインド人は働くことが好きなんです。日本人も当時は好きだった。ワーカホリックといわれていた頃、皆様が現役だった頃は、仕事が面白くて面白くてしようがなかった。面白い仕事の合間に麻雀やったりゴルフやったりするから面白かったのであって、暇を持て余した時ゴルフやっても麻雀やっても面白くないんですよね。仕事の面白さというのは、ものすごいものだと思うんですね。

要するに工場で一日仕事やって、5時になって家へ帰ってきて5時半。「今日、会社でなあ」というのをビール一杯飲みながら、あるいは焼酎でもいいんですわ。親父さんが女房あるいは子供を前にして会社の自慢話をする。それが日本人の生き甲斐だった時代があるわけですよ。
それを称して、要するに「労働は時間の切り売りである」なんていった西洋人が、日本人をワーカホリックといった。だけど仕事が面白かったら、それに超したことなかったわけじゃないですか。それを否定することはぜんぜんなかったわけですよ。

いまインド人はまさにそういう状況で、働くことが、金を儲けるというのが、面白くて面白くてしようがないんです。 カルカッタにインドで有名なマルワリの一人のミッタルという家族がありますが、これが小さな町工場の親父だったのが、いまや世界の鉄鋼王になったんですね。その会社1社で2000万トンつくっているんですよ、鉄鋼を。
しかも、この鉄鋼景気ですから濡れ手にアワ、言い値で売れる格好になっていますから、すごいですね。英国に豪邸を構えて、世界中に君臨していますよ。

こういう金儲けの仕方というのは、インド人はものすごく上手ですね。ロンドンのLME、要するに非鉄をやっているLondon Metal Exchangeの会長も、ミスター・バグリというインド人です。英国でサーをもらったインド人もたくさんいます。それからシリコンバレーに働いているインド人の数、数知れず。しかもそれのミドルマネジメント、いまや上層部あるいは社長になっている人は、枚挙にいとまがないくらいたくさんいます。
世界各国で政治家、代議士になっている異邦人の数というのは、インド人がいちばん多いそうですね。そういうふうにインド人は世界に進出しています。国連、ワールドバンク、インド人だらけです、上層部は。日本人は英語で太刀打ちできません。

インド人はものすごく自己主張が強く傲慢で、世界中で嫌われています。嫌われていますけれども、世銀やIMFや、WHOもそうですが、インド人なしでは動かなくなっちゃっているんですよ。ものすごいです。

アメリカ人が感心するのは、インド人のマネジメントというのは、採用したその日からマネジャーが仕事ができるというんですね。インド人には2種類あります。一人は命令を下す人。一人は命令を下される人。この2種類です。生まれた時から人を使う訓練ができているインド人達、これが上層階級になったり、あるいはアメリカへ行ったりしているんです。こういう人達は生まれた時から訓練を受けていますから、新しいオフィスへ行って、「今日からおまえはここのマネジャー」。「わかった」と、自分のジョブ・ディスクリプションをもらうと、それでもってその日から部下を使って仕事ができるんです。アメリカ人は感心しますね。日本人はだいたい半年から1年くらい様子を見ながら、少しずつ人に命令できるような格好になってきます。それに比べるとインド人を使ったほうが効率がいい。

そういう意味では中近東でも大活躍していますね。要するに中近東の人達の下でミドルマネジメントをやって、インド人は非常に優秀だと。インド人は目がいい。手先が器用。仕事が好き。こんないい人達いないじゃないですか。
だからインドに進出しているホンダだとかそういう方の経験談を聞きますと、中国人、インドネシア人は、後ろ向くと何をやっているかわからないけど、インド人は1週間留守にしても、ちゃんとマニュアルどおり仕事をやってくれているということなんです。

木に竹を接ぐ

先ほどインドと日本の共通点、ワーカホリックが出てきているというのも一つですが、もう一つ最近気がついたのは、日本とインドは文化的にはものすごく違うんですが、木に竹を接ぐことができた人達。要するに日本は明治維新、幕政から天皇親政になり、終戦を迎えて天皇制からマッカーサー制になり、自民党から村山政権になり、村山さんからさらに橋本さん、ずうっとこう来て、ずうっと木に竹を接いできたんですが、一日たりとも、イラクで起こっているようにマーケットが封鎖されたり、水道が止まったりしたことがありますか。

インドも英国から独立し、コングレスが政権をとり、BJPになり、BJPからさらにまたコングレスになった。この間の選挙でBJPというところからコングレスに戻ったんですけれども、その時負けたほうのBJPの党首が言ったことがふるってますね。「BJPは選挙で負けたけれども、インドの民主主義が勝利した」と。一日も停電もありませんし、何にも起こらなかった。きちっと木に竹を接いでいままで来ている。

先ほど言いましたセルフリライアンスからインターディペンデンスに180度転換しても、ちゃんと軟着陸しているんですよ。混乱は起こってないです。これがインドと日本でできているんですね。

それを経験したアメリカがイラクで、アフガニスタンでやろうとしたって、うまくいくはずがない。普通の国では木に竹は接げないんですよね。それがインドと日本ではできているというところ、非常に面白いなと最近は思っています。

まだしゃべりたいことの百分の一もしゃべってないんですが、時間が来たのでやめます。どうもありがとうございました。

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