インドの外貨準備
三菱商事の3度目の駐在の帰国が決まった1991年の2月インド政府は新規LCの開設、外貨送金の全面停止を宣言した。インドの手持ち外貨は5億ドルを割り通常の外貨決済の2週間分しかなくなり止むおえぬ措置であった。この発表を聞くなり元大蔵次官のマンモハンシンさんのところに懸け込み、「延払いの期日の来たものと、サイト付LCの決済は例外としないと、デフォルトを起すことになるから至急措置を取った方が良い。」と忠告をした。
彼は、その場で電話を取り、大蔵省に上記の忠言をそのまま伝えた。インドはデフォルトを起さず、日本銀行、輸銀からの二億五千万ドルのカンフル注射を受け何とか危機を乗りきった。その年の7月に新経済政策が発表され、外貨規制は徐々に緩和の方向に向かいながら、外貨危機を乗りきった。2002年8月末現在の外貨準備高は610億ドルで隔世の感がある。
外貨危機を規制を強める事をせずに、自由化の方向で克服した国の例をインド以外に聞かない。4~5年前のアジアの通貨危機の際にもインドはその影響を受けず、最近は対ドル相場も堅調を維持し大変安定している。インドの外貨準備はもう心配は要らない状況である。
インドの経済指標
インドの人口の約7割は依然として農業に依存している。英国統治時代から1947年の独立数年後までは、大体5年に1度くらいの割りで飢饉に悩まされ数十万の人が飢え死にしていた。それが1960年台のパンジャブ州を中心にして起こった所謂グリーンレボリューションと呼ばれる大農業革命により、穀類の生産が増産され、いまでは年に数千万トンの余剰が出るようになっている。このためインド政府は、穀類の生産がこれ以上増えると買い取る量が増えるので嬉しい悲鳴を上げているのが現状である。
インドの国民所得の伸びを見るときには、工業生産と農業生産を分けて見る方が良いのかもしれない。工業生産の伸びが農業生産の低い伸びに食われてしまい停滞していると勘違いされる結果になりかねないからである。農業生産は1%以下の伸びでも政府の買い上げ負担は大きくなり、政府は公言していないがあまりの農業生産の伸びを期待してない節もある。
年度 |
93 |
94 |
95 |
96 |
97 |
98 |
99 |
00 |
農業生産 前年比 % |
3.6 |
5.0 |
-2.7 |
9.3 |
-5.7 |
7.7 |
-0.2 |
5.8 |
製造業 (売上高) |
18.3 |
27.8 |
24.7 |
10.9 |
7.2 |
6.9 |
11.8 |
14.9 |
国内総生産 |
5.9 |
7.3 |
7.3 |
7.8 |
4.8 |
6.6 |
6.1 |
4.0 |
インドのGDPの伸びは大体4〜6%台で推移するのが正常と考えたい。最近史を振り返ると7%以上を継続的に維持し軟着陸を達成した国は無いのではなかろうか。その意味でマンモスの歩みのように4〜6%程度の伸びを続けるインドは着実な国と評価できる。7%以上の伸びを続ける国は必ずリバウンド(破断点)がある。
インドの一人当りGDPは、2000年に450ドルになった。ちなみに、中国は840ドル、タイは2000ドルである。この数字を低いと取るか、伸びる可能性があると取るか、意見は分かれようが、私は伸びる可能性がある数字と考え期待を込めたい。
インド進出日本企業
日本のインドへの進出はインドが期待したようには伸びてきていない。
現在は、自動車、電気を中心に約200社が進出しているが、インドの期待はそんなものではなかった。
1991年の経済自由化はそれまでのマハトマガンジー・ネルーの自給、自立、独立を目指すところから180度転換し、国際的相互依存(インターディペンデンス)に宗旨変えをした。国際的に評価の高い最新技術の導入をし、外貨を歓迎する政策である。
しかしながらインドの外貨歓迎政策は、外貨を優遇すると言う政策で無い事を指摘しておきたい。歴史的にインドは外貨がインドの富を収奪した苦い経験をしているため、外貨が自由に振舞う事を極度に恐れ、悪名高い規制一本槍のFERA(外為法)を作り、外貨の流入を押さえてきた。その政策を、外貨がインドでインドの資本と同じ条件で仕事をする事を歓迎すると言うところまで、清水の舞台から飛び降りる決断を1991年にしたわけである。
インドの英知はインドの市場性を評価すれば目先のきく外貨資本は喜んでインドに進出すると考えていた。特に、20世紀に奇跡的な経済発展を遂げた日本が先頭を切って進出をしてくると分析していた節がある。残念ながら、1991年と言う年が日本のバブル崩壊の整理期間が始まる時期であったこともあり、インドが期待したほどの日本資本は進出して来ていない。
日本企業の進出分野は、先ず自動車産業が挙げられよう。経済開放以前から進出していた、スズキを筆頭に、トヨタ、ホンダ、三菱が轡をそろえている。それに付随した部品メーカーの進出が目立っている。二輪車ではホンダ、スズキ、ヤマハ、カワサキが進出している。特に目立つのはホンダの2輪で、バイク,スクーターに進出している。ホンダのバイクの生産量はここ6年の間に年間15万台から150万台の10倍の伸びを示し、更に先を窺っている。
家電関係も、ソニー、松下、シャープ、サンヨー、日立、東芝、ダイキンなどが進出をしているが、韓国のLG、サムスン等の大型進出にはかなわないのが現状である。
その他の目だったところでは、旭硝子のフロートガラス、日清ラーメン、三菱化学のPTA(ペットボトルの原料)、YKK等が挙げられるが、中国に対する進出に比べると著しく進出分野が限られている。
インドのIT産業
アメリカのカーネギーメロン大学に国防省の資金でSEI(Software Engineering
Institute)がソフトウエア開発会社のランキングを作っている。トップであるレベル5に位置する世界の企業は69社あるが、その中でインドの企業が67%の46社を占めている。
レベル4の73社中28社がインド企業である。(2002年5月現在)残念ながら、日本の企業はレベル5および4には1社もなく、大手の殆どがレベル2或いは3と言われる。
インド人はチームワークは不得意といわれる。そのインド人の会社が組織としてレベル5に綺羅星の如く並んでいる。今後のインドのソフト開発はどこまで行くのか見当がつかない。最初は、プログラムのバグのチェックを行う事から始めたインドがいまや世界のソフト開発の先達として君臨している。
アメリカにいるインド人、その数322万人と言われ、IT産業のあらゆる分野に浸透している。もはやアメリカはインド人無しではITが動かなくなっている。クリントンをして5日間インドに滞在せしめた理由はこの辺にあるのと考えるのが妥当なところであろう。
先進欧米諸国はインドのソフト開発会社を起用するのに躊躇は無い。先進国で唯一日本がインドのこの分野での実力を評価し得ないでいる。インドを起用すれば安くソフト開発が出来るのでは等と、勘違いしている。世界のソフト開発の先端がインドであることを認めていないのである。
カーネギーメロン大学 SEI(The Software Engineering Institute)による高度ソフト開発企業リスト
2002年5月 * SEIはアメリカ国防省がスポンサーのR&DのInstitute
国 名 |
レベル4企業数 |
レベル5企業数 |
オーストラリア |
2 |
|
カナダ |
|
1 |
中 国 |
|
2 |
フランス |
1 |
|
インド |
28 |
46 |
アイルランド |
1 |
|
イスラエル |
1 |
|
ロシア |
|
1 |
シンガポール |
1 |
|
アメリカ |
39 |
19 |
日 本 |
|
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インドの将来
インドの人口はおそらく21世紀の半ばには中国を超え、世界第1の人口大国となる。しかも、食料を自給しうる国である。この二つを取って見ても、インドがいかに市場として大切なところであるかがわかる。家電製品で飽和状態になっている日本の家と違い多くのインドの家々には、家具すらない。そのインドを支える農民の懐にはルピーがある。それが需要に結びついて来るのはすぐ先の話であろう。
又、ITについてのアメリカとの関係を考えると、アメリカとの蜜月は続く事は確実であろう。IT不況といわれたこの2年間でもインドの一流IT企業は売上を着実に伸ばし利益を増やしている。インドのITソフトの開発レベルは世界で群を抜いているといえる。
大国を支えるバックボーンの農業と、世界の先端をリードするIT産業とを併せ持つインドは21世紀の経済大国として看過できない存在である。21世紀の経済大国は、アメリカ、中国、インド、日本の順になるであろう。しかもインドは、政権は不安定としても政治機構が非常に安定しているし、過度の成長率を示していない点から見て、非常に安定性のある国である。
今日本では第2の中国投資ブームと言われるが、インドの市場も遅れはするものの必ず花開くことは確実であると判断される。中国一辺倒のリスクは中国がこけた時の事を考えるとゾットするものがある。そういうインドに進出を決めた財閥系韓国企業はアメリカとインドの関係を分析し、中国の危うさを考慮に入れ、戦略的に進出を決めているように感じる。日本のメーカーの中にもインドの重要性を理解し、又、その資質を評価して、進出をしてきている企業もある。
トヨタは新たにトランスミッションの工場をバンガロールに作り、アジアの工場にトランスミッションを供給するプロジェクトを開始している。ホンダは2輪の生産基地をインドに移しR&Dおよびデザインまでをインドで行うのでは無いかといわれている。YKKの進出もインドの人口を目においてのことと思う。近々味の素も進出を考えているようである。日清食品はインド人の食生活を変える気迫でマーケッティングを行って、ついに数年前年間100万食を売上げている。
1961年の夏、外語の学生であった私は、船で21日をかけてカルカッタ(現在ではコルコタと呼ばれる)に向かった。途中バンコクに寄港した際にそこの日本人からタイ人の男性がいかに働かないかとの苦言を聞いた。今2002年、タイ人が働かないとの話は聞かない。今インドでインド人が働かないと苦言を呈する日系進出企業と、インド人の資質を他のアジアの国より優れていると評価する会社とが混在する。
ホンダは最新のスクーター工場で操業をはじめたが、日系のベンダーは出入りしていない。インドのベンダーを教育して、世界のホンダの品質を作り出し輸出も行っている。インド人の資質、インドの会社の可能性を引き出している。私はホンダの物作りに関する洞察力を評価すると共に、その決断力に日本の可能性を託したいと考えている。
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