栗饅頭と桃山

2008/3/4

館長は菓子が好きである。和菓子も、洋菓子も、インド菓子も、中国菓子もである。

美味しければどこのどんな菓子でも歓迎である。

同じ菓子でも食べ比べてみると、それぞれに個性がある。それにより、こっちの方が合うとか合わないとかの差が出てくる。

その結果、最中では、空也、小笹がいいなぁと感心する。羊羹はやはりとらやに極まるが、小城羊羹もいいと思う。

で、栗饅頭であるが、館長は、栗が一つぽっくりと入っているのがちょっと苦手である。饅頭の皮と、小豆の餡と、栗の硬度が合わないのである。まい泉のカツサンドが絶妙なのは、味もさることながら、パンとトンカツの硬度がバランスよく、一気に噛みきれる点にある。栗饅頭の皮と、餡と、栗が気兼ねなく噛みきれる親切さが要求されるのだが、そこまでに煮込んだ栗はもう栗の価値もなくなり、意味がなくなるので流行らない。すると栗だけが存在感を主張して、一体感のある栗饅頭ではなくなり、栗入りの饅頭になり下がってしまうのである。

そこで、第一の工夫として、栗を細かく潰して餡の中に炊き込み異物感がなくなるまで加熱した作品である。この手のものとしては、館長は栄太郎の栗饅頭を評価する。

更なる工夫は、栗を晒し餡上までに昇華させその栗餡を小豆餡で包み込む手法である。今回青山学院大学の友人Kさん、より京都の「菓匠清閑院」の栗饅頭をいただいたが、まさにこの手法の作り方で、館長はいたく感心した。まさに館長が求めていた栗饅頭の理想像であった。さらに、餡の上品さもまさに栗饅頭程度の品格であり、これをもって館長は究極の栗饅頭の称号を、とらやの羊羹のように与えようと考えている。満年樹と名付けられた栗饅頭は、うまかった。感動である・・・

和菓子のバラエティーは梱包の発展とともに様変わりした。和紙にビニールをラミネートしたいわゆる真空パックと呼ばれる梱包が導入され、プラスティック容器を密閉する手法なども加わると、和菓子の範囲が一挙に拡大した。

表面をザラメで固めた氷菓子(現在は死語であろうが、昔は氷に見立てた菓子のことも氷さしと呼ばれていた記憶がある。今は、氷菓子と言うと、アイスキャンディーや、アイスクリーム等の本物氷を使ったものだけに使われるようになってしまっった、日本語の表層化に腹を立てている館長がいる。)であるゼリーに加えて、生のゼリーがそのまま提供されることにもなった。当日または翌日までに食べきる必要のあった和菓子が、日持をするようにもなった。ただそれに甘えて、もう一つの工夫が等閑にされているのが残念である。たとえば、ゼリー菓子についてであるが、梱包を解いたときに流れ出す蜜の処理がまだまだである、良い着物を汚す可能性がある等の危惧がまだ解消されていない。トヨタやホンダのWhy5回の追及がまだまだ和菓子業界ではされていない様である。何でも小分けにして乾燥材、脱酸素剤などを入れればよいというものではあるまい。でも、和菓子の持つしっとり感を包み込むことができる梱包の進歩は大いに進歩できるし、それを利用しない手はない。

そこで生まれたのが、桃山の改良品種である。

今までの市販の桃山は、口に乾燥しすぎだなぁというざらざら感と粉っぽさがどうして残り、その食感はインドの食パンのようで、館長の味覚に耐えられなかった。中村屋の碌山と桃山を並べられるとどうしても桃山には手が伸びなかったものである。ところがである、清閑院の創作桃山とも呼びたい常盤木と名付けられた作品は、致命的な粉っぽさと、ざらざら感と乾燥しすぎだなぁという欠点を完全に払しょくした一品であった。まさに、梱包の発展を菓子の発展につなげた画期的なものである。まさに館長のかゆい所に手が届く作品で、やりやがったなという感想である。脱帽である・・

この菓子を土産に選んだかと思おうとその人の人格がしのばれると、同時にそのような友人がいることを誇りに思うのである・・
ありがとう・・

京都菓匠 清閑院
京都市左京区南禅寺草川町41-12
電話:075-762-6200

伊勢丹 府中店
0423-64-5585
 

BACK HOME