偶像

2008/1/15

ヒンドゥ教徒は堂々と偶像崇拝をする。日本と同じである。いや日本は、インドの影響の流れを受けついたのであろう。

森羅万象のすべてに超自然的な力を感じ、それを崇拝、祭り上げた結果が八百万の神々となったのであろう。森羅万象そのものを神として敬う形もあるし、それを象徴化して神像に昇華させたものもある。

ギリシャ彫刻の流れでは、力ずよい筋肉の表現が、腕力脚力の卓抜さを表現するが、それを見る人の感覚により差が出てくる。見る側の観賞力の違いにより表現する意図に格差が生じる。さらに、その彫像を作る人の技術力の差により、表現力の差により、伝える内容の差が生じる。

インドの表現方法では、それが排除されているようだ。人の4倍足の速い神は8本の足をもつ。人の見えない未来を見抜く神は、人にはありえない第三の目を額に持つ。人よりすぐれた頭をもつ神は、11面観音と言うように表現される。千手観音はその手で人の500倍の仕事ができると納得がゆく。山を片手に持つハヌマン猿神は力持ちである。誰が見ても間違いなくその違いを認識できるし、誰れが作ろうが、どのように稚拙に作ろうがその意図を誤解することはない。

インドの神々の偶像は、石で造られ、土から焼きあげられ、粘土でこねあげられ、紙でもつくられ、金属で成形される等々いろいろである。

神像の形は伝統的に決められているようで、様式化が進んでいる。従い、上手に作ろうが多少不細工につくられようがあまり気にしないようである。作り手の技術の差が神像の価値に影響を与えていないようだ。

ニューデリーの南で、粘土で神像を捏ねあげている人たちがいる。形のおおよそは麦わらでつくり、それに粘土に藁を切り混ぜたものを塗り乾燥させる。その上にさらに粘土を塗り最後は胡粉に似たものを滑らかに塗りあげたのち、彩色する。それらの神像は、祭りの後には川に流されまた土に戻る。

インドでは、土をいじる人は、不可触民に分類される場合がほとんどで、この神像を作る人たちもそのコミュニティであろう。不可触民が作った偶像が神として、ブラーミンをも膝ま付かせ、崇められる不思議さに館長は感動する。
 
左に麦わらで作ったサラスバティとお使いの白鳥が、その前に置かれた粘土と切り藁を混ぜたものが、次の工程を示唆している。中央が作者で、わき目も振らず粘土と麦わらを混ぜている。後は彼の子供たちの ようである。盛んに写真を撮っていると注意を喚起するのであるが、父親は一心不乱!
白鳥に乗ったサラスバティと足もとに白鳥がいる図と2種類の形があるようだ。藁人形に粘土を重ね乾かしているところである・・
顔は型抜きでつくられるようで、どの顔も同じである。
胡粉に似たきめの細かい粘土を塗りあげ乾燥させる工程である・・
最後は彩色である。サラスバティの完成品はまだなかった。ハヌマン猿神である。極彩色に塗りあげる・・

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