プラサド

2007/3/27

Prasadと言うヒンディ語の単語がある。プラサド大統領のように人の名前にも使われる。
この意味は、神の前にお供えする供物、贈り物、祝福、好意などである。

神に供える供物もプラサドなら、供えたあとのお下がりの縁起物の供物もプラサドである。道路際にテントを張り、飲み物、食べ物を振舞う宗教的な行事が良くあるが、そのときの食べ物などもプラサドと呼ばれる。此れはあらゆる宗派の行う行事でもあり、シク教徒のプラサドが音楽入りで派手である。

今日は、MH8(国道8号線)のダルヘラを過ぎた例のシャニチャールの寺でこのプラサドが振舞われた。道路の両側に、お盆に載せたスージーハルワを車を止めてみんなに配っていた。館長の運転手のサリームは、4っつ呉れと同僚の分まで貰っていた。館長は上品に自分用を一皿いただいた。美味しかった。

この場合の日本語訳は「振る舞い」が良いのであろうか。

小学生のときに東京の阿佐ヶ谷で、大塚ワカメのお稲荷さんで年に一回振る舞いが行われ、その日は自由に工場内に入り色々な食べものの振る舞いを受けたのを思い出した。

更に、館長の祖父の丑松が健在であった当時、富士宮でやはり年に一回お稲荷さんの振る舞いをしていたことも思い出した。振る舞いの起源もインドだったのであろうかとふと思った。
道行く車を止めて、プラサドを差し出す。ボランティアであろう。
例のチンバのサニー土星神(サニチャール)を祀った寺と言うか祠と言うか・・
誇らしげに交通整理をするサドゥーである。
信者の寄進のスージーハルワの賄どころである。サドゥーも猫の手をやっている。
スージーと呼ばれる粉を原料としたハルワである。かれた木の葉を成型したお皿は自然にやさしい伝統的なものである。多少油がきついが美味しいハ ルワであった。此れだけのものを用意して、寄付などを一切強要しないのがインド流である。堂々といただけばそれで良いのである。

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