ピアオー兼ダラムサラ

2007/1/3

グルガオンからデリーに抜けるMGロードの端にダウリピアオーがある。一寸見過ごしてしまうような遺跡だが、一寸気になるものである。

このピアオーは先ず井戸がある。当時はおそらく牛に引かせて水をくみ出していたものであろう。今でもこの手の井戸は田舎に行くとよく出会う。井戸で汲みたての水を旅人や通る人たちに用意していたのであろう。

1930年と年号が書いてあるので、おそらくその頃までは使われていたという意味なのであろう。それに付随して、ダラムサラ(Dharamsara)が建てられている。ダラムサラと言うとダライラマが亡命して住み着いているところの地名を思い浮かべる人が多いと思うが、本来の意味は旅人に無料で宿泊してもらうための慈悲の建物である。旅人は寝具や食べ物は自炊で結いしていたので、雨露を凌ぐ屋根があればよかった。そういう建て方の無料宿泊施設である。

此れは、インドだけではなく、ネパールでも館長は目撃している。(ネパールではダラムサラパティと呼んでいたような記憶がある。)

今のインドでは、もっと金をかけた無料宿泊施設が、宗教的な意味のある街道などには金持ちの喜捨によって建てられていて、巡礼たち宿泊と食事の便宜を図っている。

看板にスポンサーの名前が書いてあるのがインド的である。メセナの規模も色々あり、この遺跡の維持を自分の会社のメセナ活動としているわけである。公園にも、街路樹にも、交番の建物にも、交通標識にもそんなアイディアが使われている。
井戸である。渡してある棒に滑車をつけてそれを牛に引かせてくみ上げる仕掛けである。今は鉄格子が嵌められているが落ち葉の間から水は視認できた。
ダラムサラである。ピアオーは左手前となっている。道路際のため全景が撮れていない。そのうち追加しよう。
ダラムサラの道路に面した部分から撮ったもので、舞台よろしく3ウォールの仕掛けである。寒くなければ此れで一夜を十分過ごせるわけである。
スポンサーの看板である。名前と年号が入り立派なメセナ活動である。1930A.D.のA.D.が利いている。年号であると主張している。INTACHというのはThe Indian National Trust for Art and Cultural Heritage
のことを言うらしい。復元者の身元が確りしている。
ジャイプール街道にあるダラムサラの遺跡である。おそらく駱駝の商隊などが一夜の宿をしたのであろう。ずいぶん広い。今は無惨にも広告塔になってしまっている。
外気に面した部分と、奥がある。偉い人とか、大事な人が奥で休んだのであろう。今は国道NH8号沿いにあるが、当時は、砂漠に近い荒地の中の道沿いにあったものであろう。
デリーでは違法建築や違法営業の封鎖等が、派手に行われている。その例外が宗教に関する遺跡である。道路にはみだす様に立てられている、寺院や墓は取り壊しから無いようで敬遠されていた。

又、デリー外ではそこまで厳しい遵法は無いようで、グルガオンでは取り壊しは今までなかった。

ところがである、館長が関心を持ったピアオー兼ダラムサラがメトロの建設のジャマとばかりに一気に取り壊された。
いまは使われていないし、宗教的な意味もないので密かに取り壊された。館長としては、博物館の展示物に加えておいてよかったと思っている。メトロ様が走る走るグルガオンまで。
デリーメトロは善でありそのために傍若無人がまかり通るような感じである・・

BACK HOME