サンジャイ家の誕生パーティ

2008/2/25

サンジャイは、館長が最初のニューデリー駐在の後半に、デリーゴルフ場でアゲワラ(ボールボーイ)をやっていた、当時は15・6歳であった。いまや40歳を超えている。

館長は彼の結婚式にも招待された。結婚式の会場で、白馬の上のサンジャイは、持参金の問題がこじれ、約1時間待たされた。

花婿がバラト(Barat)という踊る行列で花嫁のいるところに到着すると、入口で、持参金の交渉が始まる。実は、前もって持参金の取り決めは終わらして、形式的な交渉を行い目出度く入場となるのが普通の通常の結婚式の形だが、サンジャイの場合は本当の、持参金の交渉が始まってしまった。両家の親類が、口角泡を飛ばし、テレビだか冷蔵庫があるのないのの交渉だったと聞く。それでもサンジャイは、にこにこ馬上で待っていた。館長もそれを眺めて車から降りでにやにや待っていた記憶がある。落語の、堤で釣り人を眺める人の伝である。

1週間ほど前に、長女のコマルの誕生日のパーティーをやるので出席してほしいとの電話がった。2月22日の18:00からだという。館長は、別の約束がるので、6時は無理だが、努力はすると返事をした。

当日5時に行ける暇を見つけ、電話をして出向いた。彼の住まいは、タジマハルホテルの前のスラムよりちょっとましなところであった。

車で目印のハヌマン寺院の前までゆくと、奥さんと二人でやってきた。40を過ぎたサンジャイは昔に比べ張りが無くなっていた。やせたねと言うと、最近黄疸を患ったという。でもなかなか睦まじい感じの夫婦である。

子供は。15歳の長女コマルをかしらに、キシャン(Kishan)という息子と、イシャール(Isyar)という娘の3人で、これで打ち止めだという。

一間はない家と家の隙間の路地の奥まった所にある家に行くと、親戚一同が待ちかねていた。四畳半よりちょっと広めの部屋一つが彼の家であり、その中にベッドにテレビ・冷蔵庫などが置かれ、ぎっしりと密度の高い感じの部屋であった。天井には今日のためのいろいろな色のゴム風船が十数個張り付き、有線テレビからはダンスの曲がガンガン流れ、華やかな雰囲気である。

次から次へと、親類の紹介があり、それが一巡するとやおら部屋の中央にバースデイケーキがおかれ、コマルと館長で入刀の儀がおこなわれ、館長は最初の一切れをコマルの手により口に入れられた。ケーキはすぐに箱にに入れられまた冷蔵庫の上にしまわれた。聞くと、6時から盛大にも一度儀式をやるとのことであった。館長のために、前倒しで一口だけの儀式をわざわざやってくれたということである。恐縮である・・

多少のご祝儀をサンジャイに上げるを潮に引き上げたがなかなか良い会であった・・

館長にはいろいろな友人がいるがサンジャイもその中の一人である。
 
庶民の住むところである。不幸があったのであろう。坊主刈りにされている・・
仲睦まじいサンジャイ夫婦。一寸黄疸でしぼんだ感じがする・・彼は前駐印榎大使のご令室のキャディーをやっていた・・
息子のキシャンである。後は従弟だという・・
コマルとイシャールである・・冷蔵庫がある・・壁は煉瓦がむき出しである・・
特製の誕生日ケーキである・・ローソクは15本ではなく、数字の「1」「5」の形である・・
親子の写真である・・
3尺の路地には子供があふれている・・宝がごろごろ・・

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