歴史観と文化

2006/12/29

歳の瀬になると何か改まって家の中、頭の中を整理したくなるのは、日本人だけのものだろうか。インド人はあまりそんなことは無い様である。門松も注連飾りもない。御節もなければ、お屠蘇もない。

今年のことで、頭をよぎるのは、アメリカ兵がイランで3000人以上テロで命を失ったいるのに、ブッシュ大統領はブッシュ大統領のままであると言うこと。もし自衛隊が3人命を失っていたら、時の総理はどうなっていたか、想定してみたことが日本人はあるのだろうか。国際貢献と言うのは、言うはやさしいが、日本人にはまだまだの概念かもしれない。いや、日本人の考え方のほうが歴史的に正しく、遍く他国がそれに同化するのが正しいのかもしれない。

一人の命は地球より重いという考え方が正しく、3000人の死をそれなりにしか評価しないアメリカ式のほうが間違いであると言うのが、地球人道的で正しいのかもしれない。

警官が発砲するたびに、その是非を調査検討し、問題はなかったとその結果を発表する国では、攻撃されたときに上司に反撃の許可を得なければ何も出来ないことらしいが、それが地球人道的に真実であるらしい。間に合えばよいが、想定外のこともありえように。

不審船を銃撃により沈没させたときの、世界の反応を覚えているだろうか。何もなかったのである。領海を侵犯した不審船を撃沈しても、それは当たり前のことであるから、世界は何も際立ったコメントしなかったのである。その事実に日本人は目をつぶってはならない。

一方ロシアが主張する領海を侵犯した日本漁船は、銃撃により殺されても何もいえないのである。今の日本はロシアとの間は、戦争状態は終結しておらず、4島は戦勝国ロシアのものになったいるのであるから、どうしょうもない。

外交の、懸案事項は、話し合いでは結論が出ないことは歴史が示していて、幾らはなしを続けても、4島は帰らないし、竹島は日本に戻らないし、尖閣諸島も日本に帰属するようにはならないであろう。外交は話術の問題ではなく、その背景になる力の問題であることは歴史が語っている。むしろ、江戸時代から執拗に狙い続けてきた沖縄を手放したアメリカの愚が目立つというものだ。

歴史から何を学び取るかは易しい問題ではないが、その歴史を教えないことに善を感じている校長や教師は日本の将来をどのようにイメージしていたのであろうか。語呂あわせで年号を覚えるのが歴史ではない。先人の努力のあとと、成功と失敗の跡から何かを掴み取るのが歴史教育ではなかろうか。

いわゆる一般道徳を一切振り切りエゴを貫き通し、僧に変身を遂げた、瀬戸内寂聴が文化勲章を頂ける国であるから、日本の国の文化と言うものも外国人には分かりにくかろうと、館長は気に病むのである。

BACK HOME