紀子さまの思い出

2006/9/26

と、表題を書いてみたが、別に紀子との間に何かあったわけではないのは当たり前であるから、こんな断りを書く必要もないのかもしれない。

秋篠宮様と紀子様ご夫妻はインドを訪問している。1992年11月に、日印平和条約締結40周年を記念して訪印された。

その当時、日印調査委員会の事務局長として、四半期ごとにインド側との打ち合わせのため、インドへ出張していた。日印調査委員会は、インド側では、れっきとした政府の委員会で、その事務局は、Planning Commissionにおかれていた。日本側は外務省の息のかかった民間の組織であったが、インド側との事もあり、出張のたびにニューデリーの日本大使館に顔を出し、報告をしていた。

そんな報告に行ったときに、担当の方から(古い友人である)「荷物沢山あるの?」と聞かれた。「いや何もありませよ。何時ものように手荷物だけです。」「じゃ、これを日本までもって帰ったくれない。」といって、部屋の片隅に大事に置かれている、素焼きの馬とプラスティックのケース入りのシタールを指差した。

「一寸待ってよ。シタールはいいけど素焼きの馬は一寸ね。高さ2メートル近くあるじゃない。これは飛行機じゃ一寸。」と難色を示して、どうしてこれを日本へ持ち込むのかと聞きただした。

実は、秋篠宮ご夫妻がおいでになったときに、入手されたもので、ようやく大使館に今届いたのですとのこと。馬はその大きさの完全なものが出来るまで、又、シタールはそのシタール用のプラスティックケースが出来るのに時間がかかった由。

色々やり取りがあり、シタールのみを持ち帰ることにした。

当時は、JALの直行便はなく、TGでタイのバンコクまで夜行便で行き、翌日の朝のJALに乗りつがねばならかった。重量制限を多少オーバーしていたようで、ニューデリーのTGカウンターで「一寸重量が」といわれた。実は、これは紀子様のお土産でと実情を話すと、真に快く、OKしてくれた。バンコクのJALのカウンターでも同じやり取りがあった。紀子様の名前は絶大の効果であった。

成田から、東宮御所まで何時ものタクシー(ここ数十年ミナトタクシーの小杉田さんの車を必ず到着、出発の際に使っている)でいくと、門にも連絡が行き届いていたようで、何のお咎めもなく入門し、秋篠宮邸に連なるの宮務官事務所に直行した。小杉田さんは、東宮御所は初めてで、一寸緊張気味であったようだ。

宮務官がでてきて、品物を受け取り、何気に「外務省の方ですか?」と聞いてきたので、「いえ、一般人です。」と答えると慌てた様子で、「一寸お待ちください。」と奥へ引っ込んだ。

数分の後、足無し三方の上に紫の袱紗に箱を載せてきた。「どうも、有難うございます。」の言葉とともに差し出されたので、「いえ。」等といいながらその箱を頂いて失礼した。タバコであった。早速小杉田さんと一本ずつすったが、好みに合わない味であったので、残りは小杉田さんに差し上げた。小杉田さんは「恩賜のタバコですな。」と恐縮して押し頂いていた。

後で聞くと、運転手仲間に鼻が高かったそうである。

その後、観世のお家元と高円宮の宮務官打ち合わせに行ったとき、秋篠宮ご夫妻がテニスに行かれる格好で、家を出られたときで、軽く妃殿下は会釈をされた。そのときのテニスは、皇太子殿下と雅子様とのデートのテニスであったことを翌日のニュースで知った。

タイから乗った飛行機の1A席に座られた秋篠宮様の後姿を4C席から見た記憶がある。タイ鯰の研究の帰りだったのであろうか。
シタールと言う楽器である・・   大和屋さんの展示品である・・
お土産用の素焼きの馬である・・  2メートルが最大のサイズかもしれない・・

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