生き方の変更

2005/10/4

50歳の誕生日だったと思う。これからは年と友達で行こうと決心した。決心してみると世の中を見る目が変わった。いや生活が変わった。

バイキングに行って元を取ろうとすることをやめた。食事の量はそれまでは若いものには負けないというつまらない意識があったようだ。好きなものをすきだけ食べることに変わった。女房に言わせると、それでも普通の人の倍というが・・

医者の言うことも聞いてみようと思うようになった。なかなか難しいことであった。医者は患者の体に対してカルテでのみ承知している。自分の体は自分しか分からないというか関心がないのが普通であることだと喝破したのは年の功か。親身になって心配してくれるのは、自分が一番、妻が2番、子供たちが3番、友人は番外である。医者も番外である。少なくとも心臓に関しての府中病院の上田先生、糖尿に関する山本クリニックの山本先生も番外である。カルテを見て最近の数字を見て、一般論を展開するのがせいぜいであり、個別に対応する親身さはない。何百人もの患者を見ている医者にとっては当たり前のことで、これに腹が立たないのが年の功。デ、一般論もたまには聞いてみようとしたりする。いつも反発を持ちながらである。

運動に関する反射の鈍くなったことに驚かないし、残念がらない。これはとても必要なことである。若さに対する劣等感を払拭することができた。年と友達となることの最大のメリットであろうか。さくは飛び越えない。優先席が開いていたら恥じらいもなく座る。それでも片足立ちで靴下を履く訓練は続けたりする。

反射といえば、よくむせるようになってきた。気管と食道の切り替え反射がうまく行かないようだ。これも年寄りの独特のもので、心配の必要のない出来事であると解釈すると楽である。ものを食べるときだけではなく、流動物を取るときにもむせる。要するに水を飲むときさえむせることがある。それでも無様であるが、生きている。

ゴルフが飛ばなくなるのも当たり前のことである。悔しがらない。ゴルフに負けること自体が気にならないようになる。そう、それを楽しむ境地とも言うようだ。

マージャンは負けると家計に響くので負けられない。又、負けない。経験がものを言うようである。でも、脂の乗り切っている30代後半の人とはやらないことだ。同年代がよいであろう。50台から60台の人で、年と友達になっていない人が扱いやすい。

年ですからという台詞を武器に使うことが便利である。マージャンに勝っていれば、今日はこれくらいでと逃げるし、負けていれば、年寄りのわがままを聞いてくださいと泣く。使いようがある、含蓄のある台詞であ。

視力が落ちたことを嘆かない。これも老人力の一つであろう。見えない失礼を年の所為にできるのも、年を見方に友人にする方策である。現在白内障が進行中で(自己診断)、まぶしいところで極力視力が落ちてきている。水晶体を入れ替えれば世の中が鮮明になることの楽しみを先におきながら、現在格闘中である。固定焦点方式はメガネの数が増えそうだけど100円メガネでどうにかなろうとたかをくくったりする。網膜がやられないように栄養に気をつけることが必要らしいが、このインドでどうしようかというところか。

年を友達にするとこんなにも楽に人生を送れるかと実感しながら、方針の変更をしたことに心からよかったと思えるようになって毎日を過ごしている。

年をとっても変わらないものもある。全ての物事に対する好奇心、特にインドに関する好奇心は失っていない。現在取り掛かっている三井金属の仕事は、今のところ一日の遅れも出ずに進行している。周りの人に言わせると奇跡であるといわれているが、インド流の先を読むことと好奇心があると、次々に起こることが予測できるゆえ、前もって手が打てることになる。これも年の功というところかもしれない。最近私の好奇心をかきたてたものは日本の衆議院選挙であった。でも、予想通りであったということ。

この11月で67歳、現役の評価をいただける幸せを噛み締めている。今のところ全部自分の歯である幸せ・・
 

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