マージャン大会に優勝して・・

 

マージャンを覚えたのは小学校3年生だったと記憶している。従兄弟たちとレンガを積むように丁寧に積みながら遊んだ記憶がある。

その後は、記憶は高校時代(都立西)に一気に飛ぶ。友人の家を順番に賭場に仕立てて巡回した。純粋にゲームを楽しむマージャンで一切のかけは無かった。罰ゲームも無かった。徹夜でやりまくったが、親達はほかでぐれまくるよりはと、安心と諦めと半々の様であった。

その最高峰は、3日間5人で軽井沢の友人の別荘で連続打ち続けた。(抜けたものが飯の仕度と睡眠)ただ紙に点数を記録するだけでよく熱情が続いたと今思い出しても感心する。この友人達とはいまだに「TONQUEEL(トンキール)」同人誌を出し続けているが、大学が分かれた後はマージャンの話はしても実戦は一切やっていない。

外国語大学に入ると教える側でいろいろな同輩後輩に教えて遊んだ。その頃は千点5円とか10円で賭けていた。多少のお小遣いにはなってようであった。

三菱商事に入ると、やらされた。新入社員の頃は課長がやれと言うからいたし方が無い。それが小堀課長であった。又少し年が行くと部長がやれと言うからいたし方が無い。部長が宗田課長に頭を下げて、清を借り受けると懇請するわけである。それが5時45分である。それでは残業代が稼げないので、その分マージャンでと言う気の張りが有った所為か多少は残ったようだ。その御仁が榊田部長であった。おかげをもって随分鍛えられました。

あるときトピーの大石さんが「鉄の値段はここ20年変わらない」と嘆かれたときに、「他にも代わらないものがありますよ。卵とカメラとマージャンのレート」と言ったら大笑いされたことがあった。入社時と今でもレートはあまり変わっていないようである。

現在は商事の後輩や卒業生と月1〜2回やる程度で、アイアンクラブの大会は賞品が出るので楽しみにしている。商品券が孫にちょうど良いお土産になる。

今までいろいろなマージャン大会に参加したが、どういうわけか優勝の経験が無かったが、今回ははからずも優勝してしまい恐縮している。と言いますのは、小生が最年少であったからです。だれかれとは言いませんが、皆様のおかげでした。途中でパイを握って阿佐田哲也みたいに眠り込む人には負けないぞと言う自力の頑張りもありましたが、西浦さん、苦手の毛さんが居なかったのも、勝因かと思います。有難うございました。又、当日は多用があり皆様と食事をすることが出来ず失礼いたしました。今後とも時間が許す限り積極的に参加してゆく積りです。

 

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