近時雑感

2002/3/13

ベルリン映画祭ゴールデンベアー賞

 宮崎峻の作品が好きである。「ルパン3世」シリーズ、「風の谷のナウシカ」、「上空の城ラピュタ」、「となりのトトロ」みんな好きである。好きになれなかった作品は「紅のぶた」くらいであろうか。昨年末に「千と千尋の神隠し」を見た。奮えるほど面白かった。

 それまでの宮崎作品は、日本人の原心象風景よりも、西欧的な或いは普遍的な人間の心象風景を絵に直していたような気がするが、この作品は多分に日本人の心象風景を絵にしている。

 となりのトトロのなかで出てくる、真っ黒クロスケを前面に押し出し、1つの作品に育て上げたような作品ではないかと、インドで想像していたが、実際見てみて、あたらずしも遠からずとの印象を持った。

 お化けの形、お化けに対する感情移入など日本人特有なものが前面に押し出されていたような気がする。

 今回この作品がベルリンの映画祭で大賞のゴールデンベアーを得た事に、いたく感動した。日本人の原心象風景を書き出した、宮崎作品を世界の人々が理解し、評価し、審査し、大賞を与えた事の意味を考える必要がある。

アニメが映画の大賞を受賞したここも大事件であるが、日本人の深層に潜んでいる心象風景を絵にしたことを理解した世界に事件性を感じた。

 テロを始めてとして相互理解の難しさが色々な解決困難な問題を提起している今の世界に、人間の深層の心象風景は互いに理解可能であるとの証明をしたのではないか。ここに今世紀の人類相互理解の可能性の芽を感じ取る必要があるのではなかろうか。

ベルリン映画祭の受賞の報を得て、ひそかに感動た。人類も捨てたもんじゃないと。

快楽の追求

歌舞伎の坂東三五郎はフグの毒に当って死んだ。このニュースを聞いたとき、食通の意地の汚さを第1に感じたと同時に、自分で包丁を握る勇気を何となく感じた。

しかし今になってみると、そんな生易しい話ではなかったのではないかと感じている。

フグの毒が食べる時にピリッと舌に来ないと江戸っ子はフグを食った気がしないという枕をふる噺家がいた。それによるとわざと毒が少し回るように包丁を使うと言う。(フグの毒のテトラドキシンが舌にピリッと来る毒かどうか小生には疑問があるが)

三五郎は包丁をよく使った食通で、ただ食べて美味い不味いを言う食通ではなかった。自分で料理をよく作った。

この二つの話を重ねると、彼は、わざと毒が回るような包丁使いをやった可能性があるということに気がついた。これは大変な事であると気がついた。命をかけて味の快感を突き詰めたケースであったかもしれないと気がついた。

ジョッギングハイという言葉がある。ジョッギングを始めて20分ぐらいたつと、ドーパミンという脳内麻薬が分泌されるようになり、快感を覚えるようになる。散歩して大体25分位たつと散歩が苦ではなく楽しくなるのも同じであろう。

それより強烈な刺激があることを最近発見した。狭心症の発作が起こっている時、ニトロを使用せずに、ソロリソロリと体をだましながら発作が行きすぎるのを我慢する。ゴルフ場で、ヤバイ状況ではあるがと思いながら何食わぬ顔をしながら、パートナーに気付かれないように、目立たない片隅を歩む。

キャディと二人で練習コースを回っている時は、そのまま芝の上で空を見上げて寝転ぶ。そして何かのきっかけで、狭心症の発作がおさまり、暗雲立ち込めた空に青空が覗き、見る見る打ちに一面の青空になり、痛みがなくなり快感がみなぎり生きている事を再確認できた時の嬉しさ、これは止められない快感である。

これが数秒の間に起こる。大空に向け両手を伸ばし八百万の神を抱擁し、大地にひれ伏し口付けをして地獄の閻魔さえ祝福したい、生きる意味を確認できる瞬間、この快感は経験者にしか判らない。その後のその一日は誰にも言わぬが、うきうき幸である。ドーパミンどころの話でない。

最初のこの経験は、心筋梗塞で府中病院に担ぎ込まれ、カテーテルで詰まった冠状動脈の流れを掃除してもらった時に、それまでの世界の、宇宙の不安さを全て身に受けて、痛みでその不安感を支える作業から開放され、自己の快感に身を委ねた瞬間にあった。

しばらく忘れていたが、それを最近2回経験した。ニトロを舌の下にいれての解決も、不安からの開放と言う快感はあるが、徐々である。覗いた青空が全体に及ぶと言うより、雲が徐々に薄くなるというナマッチョロイ感覚である。

三五郎はひそかに命をかけて、そんなフグの美味を楽しんでいたのではないかと気がついた。命をかけた快感の追求というのに誰も文句は言えないのではなかろうか。危険であるが止められないのではなかろうか。この年になるとそれも許せるような気がなする。

 

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