引き際の悪さよ

2007/10/1

引き際の美醜

2007年と2006年を比較してみるとちょっとがっくりする。

2006年の三大引退劇は、小泉純一郎、新庄剛、それにディープインパクトでいずれも惜しまれつつ引退した。後味が良かった。日本のお美意識を感じたし感動もした。

今年の、朝青龍、赤城、阿部は最悪(皆アがつく不思議さよ!)であった。引き際の美醜がそのものの価値を変える。


年寄りの話

年寄りの話を聞くことは厭われる。特に家族、親類にはそうである。年寄りは、話を聞いてくれる人をあえて求めないで、とりあえず、ところ構わず話しては顰蹙を買い嫌われる。そしてだんだん無口となり、人嫌いとなり、人に恐怖さえ感じるようになり、アパシーが楽と承知してニートになる(用語が不適切をあえてご容赦)。その結果が脳トレ不足となりボケを早める。(暴論であろうか?)

マルちゃんちの友蔵ジーさんには仲良しのマルちゃんがいて素晴らしい環境である。

で、わたくしの場合、インドについての講演を頼まれることがままある。これは年寄りにとってはまたとない機会であり、喜んで引き受けている。ただでさえ話したいのにお礼までいただけるのであるから、こんな嬉しいことあない。

女房と話すのだが、年寄りは声がかかる内が華であり、声が掛らなくなったらそれは死に体である。従い、講演でも麻雀でも、仕事でも声が掛ったらすべて受けるのが良いと考える。女房も敢えて反対はないようである。


インドについて

最近のインド算数ブームは聊か食傷気味である。小生は20年余インドに生活して何人の人に会っただろうか。千人いや万人のオーダーかも知れないが、残念ながら二桁の九九をスムーズにそらんじているインド人に会ったことがない。

インド政府の発表によると、識字率は6割を超えたという。で、識字の基準は自分の名前が書けて数字が読めると識字に分類されるという噂を聞いた。そうであれば、おそらく流暢に読み書きできるのは5割を割っているかもしれない。

そんなインド人を捕まえて、誰でもが二桁の九九をそらんじ計算に長けていとのマスコミの報道には、そこまでインドを高く評価していただけるかと頭が下がる思いである。


引き際再び

引き際の不首尾、醜悪さを見せる行為を斯く言う自分もしてしまったようだ。

「さよならインド」と一文をものし、帰国した舌の根も乾かぬうちに、またインドへ行くことになった。9月27日から、最長2年の約束で、三井化学の現地の工場立ち上げのお手伝いである。

みっともないったらありゃしないという気持ちと、年寄りにかかる声のありがたさに負け、さらに間違ったインド紹介を少しでも減らそうとの自意識もあり、単身赴任をする。住まいは同じデリーの南のグルガオンである。

さらばトンキール!!またインドである・・

まぁっ住民税を逃れるためにも悪い話ではあるまい・・

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