ビノードの村へ  ]V

2009/7/13



5時には空も明るくなっていた中を、またトイレである。屋上に戻り、プラスティック製の椅子に座り周りを見ると、すでに働き始めている人がいる。牛や水牛を追う人があちこちにいる。あちこちにいる牛いや水牛がよく混ざらないものだと思う。

女たちが動き始める。ビノード家では、まず母親が屋上の掃除を始める。下ではかまどに火が入ったようである。この辺りの家では、要らないものは土間に捨てる。そこで誰かがいつも掃除をする必要が出てくるのである。昨夜の食事のかすや、日本製のお菓子の包みが散乱するのを掃除するわけである。ゴミ箱はないのである。

男衆も起き始め、所定の仕事を始めた。ビノードは所定の朝の仕事はないようなので、誰も起こしに来ないので、朝寝を決め込んでいた。昨日の旅の疲れもあったのであろうし、遅くまで話をしての就寝であったのであろう。

寡黙な母親のスドミヤさんが、朝の沐浴はどうするかと聞いて来たので、今朝は省略と伝えた。あとで、ビノードがもう一度聞いて来たので、今日は不要と答えた。顔だけは前の井戸で洗った。

モーニングティーが出てきた。昨日生まれた水牛の母親の乳を夕方搾っていたのでそのミルクであろう。ビノードの指示であろうか、砂糖は抜きだが、ほのかに甘く美味しいミルクティーであった。

少し間をおいて、殻付き落花生の炒ったものが出てきた。痩せたピーナッツであるが素朴な味である。

次に、棗が出てきた。少し甘く、少し渋く、果肉が薄く、小学校の時に富士宮の親戚の病院の裏庭で食べた味を思い出させてくれた。

それから、ジャガイモのカレーとプーリーが出てきた。ジャガイモが具であることをきちっと感じさせるカレーで、グレイービーが丁寧に玉ねぎを処理したものであることを感じさせる逸品であった。本当に美味かった。ついついお代わりをして、プーリーを3枚も食べてしまった。プーリーはマイダーと呼ばれる完全に小麦の甘皮を排除したものではないアターと呼ばれる、甘皮を引き込んだ粉で作られていて、マイダーで作ったプーリーは力が弱くパラパラと崩れるが、このプーリーはモチモチとして確りしたものである。ビノードの味覚の原点はここにあったかと思った瞬間である。

早飯の館長にとって一時間半をかけてのぽつりぽつりの朝飯は、何とも言えぬ優雅なもので、茶会席もかくやとの感じで、ゆったり食べたことよ・・

ビノードを通じて母親に2000ルピー差し上げた。無言の感謝の波動が伝わってきた。
美味しい朝飯のあとは、プラスティックの椅子に座り、屋上からの観察の時間である。

前の道をいろいろな人達が通る。屋根の上で猫が遊ぶ。屋上を改めて見ると、四方に壷が置いてあり、その壷には植物が植えられていた。一つの壷にはサボテンが植えれれていた。しかもその壷は、増築用の柱の鉄筋4本の真ん中に置かれていて、誰が見ても、増築が速くできるようにとの縁起ものであると知れるものであった。

道路の反対側の椰子の木に、男が登り樹液の回収をする。隣の部落も変な外人を望遠している。

隣の部落は、ヤダブではなくマンダル(Mandal)であると言う。ヤダブもマンダルも、一説によれば、クリシュナ神の流れを汲む牛飼いのクシャトリアと言う誇り高いカーストであると言う。

8時半にヴァラナシに向けて出発することにした。ガヤから汽車の予定を、ヴァラナシまで車で行くことにした。ガヤから200キロ余である。運転手に少し花を持たせることにもなり、汽車の時間を気にしなくてもいからである。その旨をアキオ、ワダワさん、ディーパックさんにも伝えて、いよいよ出発となった。

ヤダブの村の連中、それから自動車を駐車していたマンダル村の連中がわんさかと車の周りに変な外人を見にきた。決して不快なものではない。ビノードの両親もわざわ隣リ村まで見送りに来てくれた。窓から親父さんと硬い握手をした。びんびん伝わってくるものがあった。

ビノードのスクナール村には、トイレがない、電気がない、店屋がない、感謝の言葉がない。

感謝の言葉は、ヒンディー語にはないのが本当であろう。英語のサンキューをなんとかヒンディー語の中から探し出して、ダンニャバードとかシュクリヤと書いてある辞書や解説書はあるし、都会のインド人は使うこともするが、それは本来のものではないと思う。本当に素朴な田舎では、そんなことを言う場合が存在しないのであろう。すべてが当たり前、わざとらしくサンキューなどと言う場合がないのであろう。今回の館長の訪問に対して、牛小屋で親父さんが言ってくれた、来てくれてうれしいと言う表現が全てであった。自分がうれしいと感じていると言う表現である。それで充分通じるのであり、それ以上にサンキューなどと言うのは、自分の感情に嘘をついているように感じるのであろう。寡黙な母親は何も言わないが、朝の沐浴をしないのかとの心配と言うか気配りが、館長に対する気持ちを表している。息子を預かり給与を払ってくれるサーヒブに対する配慮である。

ビノードの両親から館長は本当に彼らが身を震わすほど感動しているのが波動として伝わってくるのを感じた。慈悲に感謝を期待してはいけないと凡俗は書く。人間の行動に対して、人間は当然のごとく反応する。その反応が感動で有れば、其れで良いというのが、その心であろう。そんな感動の波動を一生のうち何回人間は経験できるものなのだろうか。来てみて良かったと感じたのである・・

名残を惜しんだビノードを待ち8時40分に出発となった。
朝飯である・・モーニングティに始り、煎り殻付きピーナッツ、棗、ジャガイモのカレーとプーリ、完全な健康食である・・これが次々ではなく、1時間半位の間にポツンポツンと出てきた・・すべて手を抜いていない証拠であり、火口が一つである証拠であろう・・
 
四本の鉄筋に囲まれた壷にはサボテンが植えれれていて、いかにも早く追加の工事が始まることを期待していた・・
働く人々・・椰子の木に登る男は、樹液を集めているようであった・・ビノードの母親はいつも掃除をしているようである・・要らないものは。床へ直接捨てる習慣である・・
 
村の動物たち・・プロモードは屋上で遊ぶ子猫を一匹飼っていると言う・・山羊は、ちょっとでも高いところへ登りたがるようである・・鶏は食用であろう・・この村では豚は見かけなかった・・
村から学校へ通う子供たちである・・インド政府の言う、貧乏との戦い、教育の充実が現実の問題として目の当たりにした・・この村にはムスリムの学校がある・・履物が散乱しているのは、裸足からの進化である・・
     
親類、家族の写真である・・
昨夕ビノードに案内してもらった村の小道を、写真を撮るため、今朝また歩いてみた・・
 
ビノードの家の中の写真である・・ほとんど家具はベッドの他にはない・・泥で作った米びつが外部の者には珍しいい・・炊事は、床に座り、行う・・かまどは火口は一つである・・
 
ビノードの家からの眺めである・・どの家も中庭があるのが特徴である・・隣村との距離は約100メートル弱である・・
帰りの準備を始めると、車の周りに人々が集まり始めた・・掘り抜き井戸の隣村の人も混ざっている・・村境の椰子も名残り惜しげである・・
       
グーグルの航空写真で見ると、こんな風になっている・・これはビノードの村の写真ではないが、その近所のものと考えている・・

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