ビノードの村へ X

 

車中

汽車はベルもなく既に走りだしている。館長のベッドの上の乗客と挨拶をする。どこまでと尋ねると、ジャムシェドプルまでと言う。何時着かと聞くと、8時だと言う。おやッと考えると、明日の夜の8時の予定と分かる。「デモいつ着くか、Let's see」と破顔一笑していた。

自分はジャムシェドプルの大学生で、グルガオンのマルチスズキで3週間の研修をしてきたと言う。エンジンのメカのラインだと言う。以前、タタのプネ工場の同じ部門で研修を受けたという。その差を聞いたところ、マルチはタタと比べると、効率よくまた品質に気を配っていると言う。館長は、その上にホンダ、トヨタがあるのだよと言いたいのを喉もとで抑え良い経験をしたねと彼の観察力を評価してあげた。

各寝台には枕とシーツ2枚それに毛布が支給された。前立腺に既に問題を抱えている館長は、頻尿までは行かないまでも、トイレが近いのである。早速、トイレチェックを兼ねてトイレに行く。トイレのスペックは1961年の時と大して変化がないようである。すぐにも線路が見えそうな便器である。停車中に使用は控えるように書いてある。でも立派な使えるトイレである。

トイレの見聞から帰ってみると、ビノードが館長の寝台のベッドメイキングを終えたところであった。本来の仕事を忘れずにやっているのが健気であることよ。


使用人を連れての旅は、日商岩井の小林家とプーリーへ家族旅行して以来のことで、その時はアーヤー(メイド=女中)の娘をつれての汽車旅行で、先にカルカッタで使っていた車を送っていた記憶がある。それも王侯貴族の旅行であった。35年の前の話である。

広軌を走る列車は力強いが、横揺れがする。開通当時の新幹線は、横揺れがひどく、当時の映画を見ると、吹き出したくなるほど乗客が一斉に首を同じ方向へ振っていた。今の新幹線は全くと言うほど横揺れが無い。技術の発達成果を知らされる。

汽車のエアコンはガンガン効いていて、何もかけないで寝ていると寒くて目が覚めた。重い軍隊で使うような毛布をかけて寝なおした。

5時頃目が覚めて見ると汽車はい中を走っていた。汽車の振動と、匂いと、窓の光景を見ていると、1961年の学生時代の3等列車での旅行を思い出した。インド全国をカバーする学割周遊券を買い、橋岡と竹沢と3人でカルカッタ、マドラス、ケララ、バンガロール、ボンベイ(バンガロール・ボンベイ間は日程の都合で飛行機を使った)、ニューデリー、アラハバード、ベナレス、ガヤとほぼ全インドを数か月かけて3等の汽車でまわった。A4のざら紙のフォーマットにMr.Y.Sei & Party(Tree)と名前の欄に書かれた切符は、1週間もするとボロボロで判読しがたいものになり、腫れものに触るように大事に取り扱いながら、カルカッタまで持たせた。どのコンダクターも切符よりも3人の説明を聞き信用してどの列車にも文句なく載せてくれた。たまたま乗った列車が珍しく1時間遅れであったので喜んでいると、コンダクターがこれは昨日の列車であると教えてくれたこともあった。

3等車の中で、寝台の部分が空いていると白い布を敷き詰め占有権を主張できた。空いているところへ素早く白い木綿の布を敷き胡坐をかくことができるのでる。混できても臍曲がりは布を小さくすることはしなかった。日本の花見の席取りと同じである。我が寝台車は日中は、4人掛けとなるが、そこへ白い布を敷くおっさんがいたので、今でも38年前のやり方は残っているのかと感心した。そんな現実と38年前の思い出を綯交ぜにして乗る汽車の旅は、全く退屈しなかった。

朝飯はビノードに用意のビスケットを水で良い。昼飯を頼むように指示した。ビノードに聞くと、昼飯の時間は2時ごろと言う。ガヤに到着予定が、12:40で昼飯が14:00頃ではと聞くと、「大丈夫!ムガルサライの駅で弁当を積むから。ムガルサライからガヤまでは2時間かかる。」と言う。ムガルサライは大きな駅で、ヴァラナシへ行く汽車との分岐点でもある。

ビノードが注文したのは、エッグ・ブリヤニ(卵炊き込みご飯)とマター・パニル(エンドウ豆とコテッジチーズのカレー)とローティで、どっちがいいかと聞くので、卵を取った。非常によくできたブリヤニで、付け合わせのダールも見事であった。ビノードに聞くとアッチャーと答えが返ってきた。ローティ4枚ぺロッと食べた。両方で90ルピー(180円)は安かった。
 

ムガルサライの駅と汽車。結構暑いのである・・

車中で寛ぐビノード
頑丈なトイレは1961年当時の面影が残っている。停車中は使用しないようにと・・

昼飯の卵炊き込みご飯とグリーンピースとチーズのカレー。美味いのに呆れた・・
車窓は日の光をさえぎる黒い半透明の幕が張られているため、車窓からは写真が撮れない・・デッキからの風景である・・

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