第15回インド下院選挙

2009/6/4


第15回インド下院選挙は、5年の任期満了を受け、2009年4月16日・22日・23日・30日・5月7日・13日の六日に分けて、インド全土で543の議席を目指し、ほぼ平穏に投票が行われた。(選挙日程参照

その結果は、16日に一斉に報告された。
大方の予想を裏切り、コングレスを中核とするUPA(United Progressive Alliance)
が、前回より79議席を増やし262議席を確保して圧勝となった。野党連合のBJP(Bharat Janata Party)を軸とするNDA(National Democratic Alliance)は 17議席を失う結果となった。(選挙結果を参照

全議席の543の過半数に足りないUPAは、JD(Janata Dal)3人、独立系の議員9人の支持を取り付け、過半数を制することになり、さらに外部支持をSM(Samajiwadi Party)の23名、BSP(Bahujan Samaji Party)の21名、RJD(Rashtriya Janata Dal)
の4名から取り付け、最終的には322名の与党連合を組むことになった。(UPA与党連合の構成参照

5月22日に大統領官邸のアショカホールで、マンモハンシンは大統領プラティバ・パチル前で宣誓を行い元首相に再任された。

シン首相の率い内閣は5月25日に閣外大臣を含む79名(首相も含め)で発足した。首相プラス閣内大臣33名、閣外大臣45名の構成である。会員議員総数の15%の大臣を置くことが法的には認められており、81名が最大可能な大臣の数であるから、まだ2名の空きがあるわけである。(大臣名簿参照

インドの選挙はEC(Election Commissioner)が絶対的な権限を持ってお行われる。

今回の選挙に関して、ECは、出口調査の結果発表は、すべての投票が行な割れる前には、不可とした。従い、5月13日の投票が行われた後、16日の開票発表のまえわずか2日しか報道機関に、出口調査の発表の時間はなかった。

各報道機関が行った出口調査の結果は、前回2004年の調査がそうであったように、今回も全く価値のない調査であることを実証されたにすぎなかった。大外れであった。選挙前の各報道機関の予想は、与野党拮抗し、200議席がとれるかどうかが攻防線というものが多かった。出口調査もそれに近かったが、実際は、与党連合の圧勝っであった。
マハラノビスの推計学が泣いている。

ECはさらに、各政党支持する旗を持ち歩くこと、個人候補のポスターを外に張ることを禁じた。そのため、町がポスターで塗れることがなく、街宣車で旗を立ててがなりたてることも見られず、非常に静かの選挙との印象であった。

選挙民にとっては、数年ごとの国政選挙は、一種のお祭りで、選挙のたびに各政党からの振る舞い、バラ播きが楽しみであったが、今回はどこの政党も今までの大判振る舞いができず、選挙民は期待外れ当て外れの選挙戦であったようだ。その背景は、100年に一度の大恐慌に恐れた各企業が選挙への応援拠出金を出さなかったことが挙げられる。企業の協賛がなければ政治家個人が金を出せるはずがなく、お祭りの寄付がないので祭りの振る舞いがなかったのである。

その中で、光ってきたのが、昨年の予算で与党が行った農民に対する徳政令である。昨年の予算で、ローンを無償で破棄できた農民は、今年も新たにローンを組むことができるわけで、与党の施策にニンマリの農民がかなりいたであろうと推測される。

お祭りなれば、ギャーギャー騒ぎ立てるほうが空気であったろうが、静かな選挙では、何を言っているか解らないほど小さな声で話す、眼鏡を掛け涼しげな水色のターバンのマンモハンシンが理知的に見え、好感度を上げたのではなかろうか。

金持ち連中に聞いてみると、今インドに必要なのは、安定政権であり、政権を争う時期ではない。過去5年に与党は大きな過ちを犯していない。その辺が粉気の結果であろう。歓迎するといの意見が多いようである。

78名の大臣を選ぶにあたっての、シン首相と、ソフィアの平仄のあった協力ぶりは見上げたもので、二人の間は非常にうまくいっている印象である。6月3日に選出された、クマール女史の下院議長のアイディアもソフィアから出たと言われるが、名コンビの印象を受ける。

更に二人の間の平仄の良さは、ソフィアの息子のラフールガンディーを閣僚にせず、党務に専念させ、しかも多くは喋らせなかったことにあると見た。これによりラフールの重みが増し、次が楽しみとなっている。なかなかの知恵である。

カマルナート商工大臣が、横に滑らされたのがチョイと気になるが・・

以上館長の結果報告と所感である・・
 

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