ジャム・カシミール騒動

2008/9/6

ヒンドゥの聖地アマルナート洞窟

不死のシヴァ神の妻パルヴァティが、シヴァの首飾りの人間の首について尋ねた。シヴァ神答えて曰く、
「お前が生まれ変わるたびに、1首づつ増やしてきた。」
パルバティは、シヴァに願っていわく
「私にも不死性を付与してください。」
シヴァ神は簡単には妻の要求を受け入れなかったが、彼女の執拗さに負け、不死の秘蹟を与えることを決心する。

シヴァ神は不死の大事を他に聞かれてはならじと、他の生き物の生息しないヒマラヤのアマルナート洞窟までパルヴァティを誘う。

途中のパハルガム(Pahalgam)で聖牛ナンディ(Nandi)を捨て、チャンダンワリ(Chandanwari)で
髪飾りの月を捨て、シェシュナグ(Sheshnag)で光背のコブラを捨て、マハグナス(Mahaqgunas)峠で息子のガネシュ(Ganesh)を捨て、最後にパンジタルニ(Panjitarni)全ての生きとし生きる者の根源であるシヴァの属性の地・水・気・火・空を捨てる。

洞窟に入ると、シヴァは鹿の腰巻を脱ぎその上に座し、火をもって周囲を焼き清め瞑想に入る。其の鹿の皮のベッド(Asan)の下に卵が一つ隠れていた。(鹿の子と鳩の卵の似ている点に注目)その卵からつがいの鳩が生まれ、シヴァの不死の秘蹟を傍受した故に不死性を付与されたという。Asanという言葉が使われていることから、シヴァとパルヴァティは交接をしながら秘事アマルカタ(Amar Katha)を説いたと思われる。

これ以降パルヴァティは不死となりシヴァとともに生き続ける神となった。

氷河地帯にあるこの洞窟には、毎年鍾乳洞の石筍に似た氷のシヴァリンガム(シヴァ神の象徴である男根)ができる。それがシヴァの秘蹟の洞窟である証拠として、信仰の対象となって久しい。

伝説によると、ブータ・マリックと言う、回教徒の羊飼いが、ヒンドゥの聖者(Sadhu)から石炭をもらい、家に帰って袋を開けてみると金貨に変わっていた。びっくりして聖者がいた場所に戻ると、聖者は消え、洞窟が口を開けていた。中に氷のリンガが大中小と3柱そそり立っていた。この3柱がシヴァ、パルヴァティ、ガネシャを現すという。

この氷のリンガは最大18フィートまでに成長して、夏の巡礼団の前に姿をさらしていたが、2003年ころから、巡礼団が到着する前に溶けて流れて姿を消すようになったといわれる。地球温暖化と、巡礼団の蝋燭と線香それに巡礼団団員の人いきれの所為といわれている。

ブータ・マリックの子孫は、この洞窟の世話をするとともに、巡礼団から上がる供物を以て糧とすることになり、今に繋がるという。

この洞窟はシヴァがパルヴァティに不死の秘儀を伝えた聖なる洞窟として、多くのヒンドゥの巡礼者が毎年夏の決まった時期に訪れるようになり、多い年には50万人を超える。

位置的には、シュリナガルから141キロ、パハルガムから45キロの地点にあり、通常5日の行程でパハルガムから往復する。この行程はシヴァが生きとし生きる者を一つづつ捨てて行った跡をたどるものでもある。

今年の巡礼は6月18日に始り、8月9日の第25団の巡礼団でもって無事終了となった。その数60万人と言う。これらの巡礼団は、Shri Amarnath Shrine Board によりコントロールされている。冬には接近は不能な地域である。

ここで、注目したいのは、巡礼団の具体的な世話をしている人は、回教徒であるという点である。ポーター、ガイド、馬方、支援団全てが回教徒であり、そのおかげて整地巡礼が可能となっている。

洞窟は高度3888mに位置し、途中のマハグナス(Ganesh Hill)4600mの峠を越す必要があり、ベテランの支援がないと乗り切れない。

巡礼団の構成はShri Amarnath Shrine Board にレジスターされるがその後の支援は回教徒のベテランによって行われているということである。


騒動の始まり

今年の騒動は、コングレス党の率いる州政府が、5月26日にShri Amarnath Shrine Board に聖地巡礼団用にと100エーカー(約12万坪)の回教徒が所有していた土地を提供したことから始まる。

これに反対してthe People's Democratic Party (PDP)が与党を離脱した。反対の理由は、回教徒の強硬派からの、回教徒の居住地にヒンドゥの施設と作ると定住するヒンドゥが出かねず、住民のバランスを崩すとのことらしい。

で、州政府は政権の危機的状況を乗り切るために、7月1日にShri Amarnath Shrine Board に対する土地の提供を白紙に戻した。

しかしこのような手品は敵を変えただけで問題の解決とならず、ヒンドゥ教徒の強硬派に火をつける格好となった。

騒動が繰り広がった州には、7月1日に戒厳令が敷かれた。当事者能力を無くしたGhulam Nabi Azad は7月7日に州首相を辞任した。その結果ジャム・カシミール州は大統領直轄州となった。

以来2カ月に渡り、波はあったが戒厳令が敷かれたまま経過し、食糧、燃料のカシミール地方への供給も危うい事態となり、ジャム地方の経済も完全停止の状況となり、膨大な被害を同州にもたらす結果となった。

その間巡礼団は、地上の騒乱をよそに、粛々と聖地巡礼を続けていた。

9月の初めになり、中央政府の思惑もあり、土地をShri Amarnath Shrine Board に戻すことを主眼とする妥協案を軸に事態は収拾しつつある。2日か月余にわたる騒動にようやく光明が見え初めている。10日もすれば、同州は正常に戻るという人も出てきている。

しかし、失われた経済活動が旧に復するにはまだ多少の時間はかかるかも知れない。

年末までには選挙が行われようが、その結果に注目したい。

背景

インドが1947年に独立して、カシミールの一部をインド領とした。その際、カシミール地方だけを州として扱うと、回教徒の意向を反映した州政府がいつもできることになるので、隣の地域のジャムを合わせて、ジャム・カシミール州として、バランスを取る知恵を絞り出した。いわば、水と油を一つの瓶に入れた状態となった。

山岳地帯を主とするカシミール地方は、ジャム経由のNH1(国道1号線)からの補給が生命線である、今回のように、そこを封鎖されると人道問題が発生しかねない。また、カシミール地方の特産品である生鮮果物の出荷も止まることになった。カシミールにはパキスタン側からの補給線があるがそれは国境で封鎖されているわけである。

中央政府の思惑は、NH1の封鎖が継続すれば、カシミールに対する食糧燃料などの供給が人道問題として、パキスタン側より行われかねない。これは是が非でも避けたい事態で、また聖地巡礼に傷をつけたいくないという思惑があった。

巡礼団の最後が完了した時点でなるたけ早くということで、9月初めがぎりぎりということで時間を読んだ気配がある。

インドにとって幸いしたのは、隣国パキスタンがムシャラフの大統領辞任劇で、大揺れに揺れ、インド、カシミール問題に真剣に取り組む余裕がなかったことである。

今回の解決も、時間を味方につけるというインど流の結末かもしれない。

所感

インドという舞台に登場する万物は、宗教も含めて、インドという摩訶不思議な場に支配される。
しかし、それに政治という人為的な思惟が加わると、天然自然のバランスが崩れ、人為的な損傷が起こるということを、今回も実証したような気がするのである。
 

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