富山

2007/4/13

富山での講演でANAで日帰りをした。

『日印関係の重要性と緊急性について--天竺再来 そのとき日本は--』と言う事で、結構うけていたようであった。

富山は、懐かしい場所であもあった。館長が小学校に入学したのが当時の越中中島であった。その小学校の名前は覚えていなかったので、訪問はかなわなかったが、当時の人たちの話を聞いて、そのころの館長の記憶を確かめられた、懐かしい思いをした。

大雪のため、二階から出入りしたことを覚えていたが、それは20年(昭和)の大雪のときであった。あまはらしで、大きなハマグリを捕った記憶も、その当時そういうことがあったと聞いて、足の裏でハマグリをまさぐった記憶を思い出した。運河の閘門で、エビをたもで救った記憶も正しかったし、ぼらを釣った記憶も確認された。

悲しかった記憶もよみがえった。富山大空襲の記憶である。夜目にも鮮やかなB−29の編隊、3日後に父親について富山市内への見舞いのお供をしたときの凄惨な焼け跡の光景は子ども心に大きな爪あとを残したようで、ホラー映画を見られないというトラウマを残している。

富山は名物の多いところである。先ず、第三セクターの富山ライトレール(元のJR港線)の成功、ほたるいか、チンドンコンクール、チューリップ、蜃気楼、寒ぶりに代表される魚の美味さ、米、水、黒作り、風の盆、立山、薬売り、東京の銭湯、ます寿司、鯛かまぼこ、北廻船等など、こんなに名物がある県は珍しいと思う。

数時間の滞在であったが、記憶の確認と、富山の独自性にいたく感激した。富山は伸びる可能性を秘めた場所と感じた。

さくらが満開であった。
館長の講演の図である・・
さくらが満開だった・・
数ある第3セクターの失敗例の中で、成功え例として気を吐く富山港線ライトレール・・第3セクターで、復権して、本数を増やし、路線を延長した発想が素晴らしい・・市民が当てにする乗り物に育ったようである・・一時間に一本から15分感覚は依頼度を上げておる・・
北廻船森家の囲炉裏端である・・

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