トンキール御一行様訪印

2007/3/6

ご到着初日

飛行場の写真は禁物ですので、掲載はしない。

一行4名はグリンパークのグランドサトラジホテルに宿泊。こぎれいなホテルである。

エアーインディアの機中で3食食べていたにもかかわらず、空腹とのことで、デアパークのパークバルチ(Park Balluchi)でタンドリチキン、ローガンジョシ、ダール、ナン、パラタを頬張り最後をクルフィ(インドアイスクリーム)でしめた。

明日からアグラ・ジャイプールである。

5スターホテルは300ドル以上するので、御一行はグランドサルタジに逗留することになった。
結構人目を驚かす内容のロビーではある。
ハウスカースビレッジのパークバルーチ(Park Balluchi)レストランで食事となった・・機内で3食食べてきたとは思えない食欲でした・・
なかなか雰囲気の良い店である。
最後はクルフィ(インドアイスクリーム)で決め・・
アグラ・ジャイプールを回り、御一行様は館長の勤務先に本日午後4時ごろ御来訪された。工場見学をしてもらい、4時半ごろ工場を後にした。

館長の自宅に帰る前に、一寸寄り道をした。

孔雀の屯するNH8沿いの一角をかねてから狙いをつけていたのでそこを訪れたのである。すると崩れた塀の向こう側からサドゥーが手招きをして、塀を乗り越えてお茶に来いと言う。いい機会とばかり館長はそれに応じることを決めた。塀の向うは寺であった。

トンキール4名、ガイドのマージャンさん、それに館長は塀を乗り越えて、招じられるままに先導者についていった。寺は村の中心で、村は寺領の中にあるようで、人口1500人の村と言う。寺の中心はこの寺を開いたサドゥーが祀られていた。村の名前は開いた聖者に因みアサルワース(Asalwas)と言う。勿論ヒンドゥー教の寺であるから、盛りだくさんの神が祀られていた。先導者について回るうちに、クシュティの格好をした若者が視野を過ぎった。聞いてみるとこの村はクシュティが盛んで50人ほどが練習していると言う。その現場も見せてもらった。

その後広場に行くと、茣蓙が敷かれていた。そこへ座り込むと先ずホッカが出てきた。その後お茶を御馳走になりおさらばとなった。

館長の家の食事は昼に食べすぎの所為かあまり食が進まないようであった。特に一夫氏がへたっていたようである。明日からベナレス、大丈夫かなと言うところである。
工場訪問記念撮影
塀を乗り越えてお茶に来いと誘うサドゥー・・
鐘が色々あって、鳴らしてみた。皆良い音色であった。
村の小道の先が寺である。
寺を見上げるトンキーラー
孫悟空、桃太郎の猿の原型のハヌマーン猿神である
シバを祀ってあるところである。中央にシバリンガムが鎮座する。
開祖のなんかリアルな像である。
覗き込むトンキーラー
お目当ての孔雀はいたるところに出没していた。
クシュティをする少年達
此れは順光だが夕方である。
サドゥーは黙々と牛にやる餌を電動切断機で切り刻んでいた。
ホッカを奨められたお富さんと館長はボゴボゴ音をさせて試飲した・・マイルドな味のタバコと言うところである。
村の学校の前まで送りに来てくれた。11年生の学校で生徒は300人くらいいると・・
お礼をしようかしまいか考えたが、有難うだけで済ませた。なんとも暖かい歓迎振りで、又館長はインドが好きになった。トンキーラーに対して誇らしく感じた。
バラナシ

トンキールはついにバラナシに来てしまった。

バラナシは死の町として紹介されている。と言うよりは死出の町であろうか。

此処まで来てしまうと後はこの世では行くところがない事になる。で、「ついに」と言うことになる。

館長のバラナシ感は、来るたびに印象が変わる町だなと言うことである。学生時代に来たときは、ただ「来た」と言うことと、ようやく皆が良く言うベナーレス(当時はそう呼んでいた)に自分も来たと言うやや自負のかった印象でしかなかった。

三菱商事時代には此処は担当する商品の商売がなく訪れる機会がなかった。FICCIの仕事で来ていたときに、交流基金の仕事で、アキオの通う、ヴァラーナシーヒンドゥー大学で、講演をやった。(そのときアキオとの縁が出来た。)その時の印象は、魅力に満ちた生き生きした町であった。その魅力に興奮を覚えた。チョティラールと知り合い、その歓待にも感激した。(その後、チョティラールは新婚旅行でニューデリーの小生宅によっていくれた。)

アキオの結婚式に招かれたときには、ごく普通の町と感じであった。一泊だけで町にもガートにも行かずに過ごしたせいもあるが・・(そのとき三浦君の子分の持田君と知り合った。)

で、今度である。活力に満ちた、未来を約束しているようなところに見えた。死出の町、死の町、火葬のXX、聖なる町、Holly Cityと言う感じより、明日を信じる人たちの町のように感じた。外の人は、その町を特別に視るのかもしれないが、住んでいる人は、それなりの日常を生活しているのが垣間見ることが出来、それがそれぞれ自信に満ちたもので、明日を信じているように見えた。そこに根付いて人生を送り始めたアキオのこともこの印象に影響あるのかも知れない。

来るたびに印象が違うと言うのは、二つの要因が有るように思える。バラナシが想像を超える多様性の世界で、来るたびにその異なった断面と接触するために違った印象を持つという可能性、もう一つは、バラナシは自分を写す鏡であり、そのときの自己の姿が写される故、情緒不安定な館長のその時々で異なる心の襞の違いを映し出した結果なのであろう。

今回のトンキールの訪問は、数えで70歳にしては元気な集団であったし、バラナシよりもトンキールとの再会に心が躍っていた所為であろうか、館長はバラナシに爆発する元気を感じたのである。しかもその爆発し続けるエネルギーを3000年以上持ち続けたという歴史の偉大さと、何気にそれをやってきたここに住む人間と言う生物の凄さに感動してしまった。ミセス岡崎が言ってくれた言葉「それぞれ」「凄い」に集約される、人間の勝手さと、それをやってのける人間と言う生物の中でのインド人と言う種の凄さに感動したのである。

この年になってバラナシをトンキールと訪れたことの意味の崇高さとその偶然性を確定化させる必然の地球史と宇宙論に乾杯しよう。宇宙の法則はそんな些細なことまであらかじめ組み込み、それでもキャパに余裕のあるコンピューターみたいなものに館長は思えた。宇宙船地球号のコンピューターはなかなか詳細に設計されているようである。そうなのである、トンキールがバラナシを訪れたのはあらかじめ組み込まれていた、釈迦の手のうちの孫悟空みたいなものであったのであろう。そしてそのことを意識して大事に心に、これからの余生を生きようと館長は思ったのである。

バラナシのガートの小道の奥に奥に極まったところに、通称ゴールデンテンプルと呼ばれるKashi Visiwanath寺院があった。

異教徒である我々は神の前に立つことは許されず、入り口から寺院の中を垣間見るだけであったが、その前に立つためには、あらゆる人が肩を触れ合うように行き来している狭い秘密の路地を、鉄砲を装備した警官が大勢それとなく無関心で立ちながら座り込みながら談笑しながら警備する傍らを抜けながら、カメラ、携帯、筆記用具を持つことも許されず、ガイドのマージャンさんに預けて、薄暗い、湿ったり、水が流れたりするタイルの滑りそうな小道や石畳を何の躊躇なくアキオの案内で歩いたトンキールは、言わばヒンドゥー教のホストコンピューターの深奥に触れたのである。

深遠なインド哲学を数千年実践して発信してきた根源あるいは本質を具象化したものに触れたのである。此処からある意味では釈迦の四大苦も、大勇の不殺生も、勿論あらゆるヒンドゥー教のベジタリアン哲学も影響を受けたといえる。最古のホストコンピューターではないにしても今となってはかなりそれにちかい由緒あるホストコンピューターであり続けたと言えるようだ。

そのハードを守るためにインド警察官が配備されている図は納得できる滑稽さを持っていた。このホストコンピューターは今でもインド各地に存在する端末の寺々と密かに端末が意識していなくてもそのコントロールし、更に現在ではそのインド哲学と言う崇高精緻で一見混沌としか見えないヒンドゥー哲学の影響の中心に位置し、その手先として先進世界に触手のように忍び込んで、国家機能までハックしているインド人IT技術者も支配下においているシステムに、館長は宇宙船地球号のSF的な手法を感じたのである。だからこのハードは地球号的意味で破壊されてはならないのである。それゆえ。セキュラリズムを標榜するインド政府がガードしているのである。

異国人でも政府より許可を取ればその神前に立つことが許されると言うが、その入り口で十分である。我々は端末でその神の像を存分に検証してきているから・・

前回講演に来た際の火葬場で、館長は心揺さぶられる感動を覚えたが、今回は極々自然に感じられた。それだけ死にたいして近くなったのか、親しくなったのか不明だが、特別なものはなかった。首にかけている24kの鎖で火葬代は足りるのだろうかなどと余裕の考えが過ぎったりした。

堀田善衛、三島由紀夫、大江健三郎、杉村春子、秋吉久美子等々インド・バラナシに影響を受けた人は多い。影響を受けると言うことは、変化すると言うことでもある。それだけの感化力を持っている。その多くの影響は、バラナシからエネルギーを貰ったのではないかと館長は思うのである。変化を起こさせるエネルギーを貰い、明日を輝かしいものにしようとする意識に繋がるのではないか。今回のバラナシ詣ででいただいたエネルギーで余生を送るのには十分であると館長は今感じている。バラナシのその場所のオーラに感謝である。

このような心象を持った館長は異常なのかもしれないが、バラナシは1000枚写真を撮ってもとり足らない場所でもある。他と違うのである。因みに館長は一泊二日で約750枚の写真を撮った。そのごく一部を紹介する。
バラナシの町並みは他のインドの町とあまり変わらないと言える。活気があり、いたるところに宗教的な意味を持つ祠や寺院や施設等があるところが、特徴的であるといえる。他に取立てて言うべきものは、生パーンの店が多いことである。デリーなどでは、殆どがキンマの葉を使わないアルミホイルにパックされたドライアパーンが多いが、さすが伝統を誇るバラナシである。軒を連ねる店もある。
Ramada Plazaホテルからガートにリキシャで行った。約30分で50ルピー(125円)である。そのとき出合ったのが、リアカーにカワラケ(素焼き・テラコッタ)のチャエ用のカップを運ぶ人であった。此処では、未だに飲んだ後投げ捨てる一回こっきりのチャエ椀が使われている。此れも伝統・・
町の中に無数にある祠である。
町中で飼われている山羊である。緑がないのに如何して育つのであろうか・
誇り高き少年である。胸を張り堂々と町を闊歩している。生きる自信に満ちていた。
屋台のパーン屋である。4・5台並んでいた。
乗るときに御注意申し上げた。リキシャや商売である。気の毒に思わないで下さいと。館長は一人で一台であった。
サトウキビジュースの季節でもある。エンジン付の屋台である。
こっちはかなり重い夫婦である。手前は、アキオの子分2号のMintu Majhi君。日本語が出来る。
4784:権威あるパーン屋さんらしい。
ダサシュワメードマーケット。ガートのすぐそばで、バラナシ一番のマーケット
2軒並んだサモサ屋さん。旨そうであったことよ・・
ただいま作成中のパーン屋さん・・
ニームの小枝を切りそろえ、歯磨き用に売っている路上のお店。ニューデリーではあまり見かけなくなった。
ガートの入り口の乞食たち。その手前に、札をコインに替えるコインを山積みにした両替店があった。律儀なインド人は一人も漏らさず列の乞食にコインの喜捨をする。10ルピーを50パイサのコインに替えると20人分になる。
ガンジスが見えた。ガートに到着である。傘は脱衣場である。そこに荷物を預ける形で沐浴する。言えば、海の家であろうか・・
ビーズなどをお土産に売っている。
どこから来たのかと聞いたら、カルカッタ(彼はコルコタとは言わなかった)からだと言う。仲むつましい上品な御夫婦であった。
水に浮かべる灯明を売っている少女。一個10ルピー(25円)である。
3っのときに親父は死に、5つのときは天涯孤独となった。三年前に此処にきてサドゥの生活に身を投じた。今は幸せ一杯の16歳であると言った。パンジャブから来たと言う。バラナシは活きていると感じた。
左手に山を掲げるハヌマーン神。木の根に安置されていた。ハヌマーンの色は格別である。
船頭チョティラールの家で、子どもらに纏わりつかれるアキオ。この部屋で3家族16人が生活している。右端に見えるのは、熱を出し寝ている少女。
潰したインド式アルファ米で作った焼き飯。えんどう豆との相性がよく、旨い。館長の好物である。ハイティーである。チョティラールがどうしても寄ってけと言うことでお茶を御馳走になった。
何百年も前にラジャスタンのマハラジャによって作られた天文台の下のチョティラールの家のインド入り口。
ガートの夕暮れ
ガートの夕暮れ−その2−
凶相の対岸に上陸。何となくトンキール
彼岸を見る。
船からガートを遠望。チョティラール一家は普通の船8艘とエンジン付1艘の合計9艘の船を所有している大船頭家である。
毎晩ガンガ(ガンジス川)に供火祭(アールティ)が行われる。船からの図である。プロの此れ専用の導師達である。なかなか気があっている。
灯明に火をいれ水面に浮かべる。趣と言おうか何かを感じさせるものがあるようである。
供火を視る船がぎっしりである。ヨーロッパ人もかなりいた。
旭日である。静かに地球は回っている。
火葬場遠望。
ガートの後の迷路のような小道。地獄の小道迷路も鬼達は熟知している。外部のものには角々で未知との遭遇で異次元感をいやと言うほど味あわさせられるが、作られたものである以上有限であることを人は知るべきであろうに!
思わぬところにこんな像があったりする。この辺りから撮影禁止ゾーンなり、ペンのもって歩けない。異次元の世界を通過経験をした気がする。
アキオのスナックイーバ(i:ba)で心づくしの朝粥を御馳走になる。
イーバの中でオーナーアキオ
イーバの前で記念撮影
サルナート、初転法輪。釈迦が始めて法を説いた世界史的に非常に注目される場所。そこで遊ぶ小学生達。良い形である。
5330:サルナートに建てられた日月山法輪寺の本堂である。日蓮宗であるが、寝釈迦がインド的と言おうか南国仏教を思わせる。大きな太鼓を坊さんがたたいていた。
昼はTaj Gangaで食べたが、そこのバラ園の一番のバラが此れであった。
今は盛りのカポックの花。此れもTaj Gangaの庭である。
飛行機は1時間の遅れで無事ニューデリー着。そこからチャナキヤプリのチャイナタウンへ直行。文芸春秋で紹介され、今回のトンキール旅行のきっかけとなったワンタンを食べた。
館長のお気に入りの店である。
ニューデリー帰還

ホテルサルタージに三度目のチェックインをしたトンキールは、10日の朝を迎えた。過去の歴史を凝縮したインド博物館を見学した後、館長と、チャナキヤプリのビカネールワラで昼飯のため合流した。マサラドサとイディリーとアイスクリームの昼食をとり、ラジガートに向かい、HE Ram に敬意を表し、オールドデリーのダリヤガンジにある、館長30年以上御用達のお茶屋アープキパサンドで有り金叩いてお茶の買い物をした。その後、スンダルナガルのミッタルと言う茶店でカレー粉を買うところまで館長はお付き合いした。

そこで別れた。無事帰還を祈る。4人様下痢をなさったそうである。インドの所為にしてもらいたくないものである。

天竺でトンキールと会えるなんて・・トンキール10人の中で6人がインドを経験していると言うことは満更でもない。一人は医学学会で、も一人はサッカーの試合で。
マサラドサとサンバーを味あう御夫妻
マサヤシはイディリー、お冨さんはアイスクリームだけ・・お冨さんはかなり重傷で、カレーのにおいが鼻につく状況となっていた・・
小学生がガンジーの記念碑にお参りに来ていた・・日本の何に当たるのだろうか・・
アープキパサンドのカプールさんからお茶の講義を聞いた・・此処で寛ぎ、お茶を呼ばれ、お冨さん多少元気になった様である・・次のミッタルの店で積極的に動いていた・・お茶の薬効であろうか・・
別れはあっさりとが主義の館長は別れの写真は撮らないので此れが最後である・・
トンキールよ永遠なれ・・・・・

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