網干善教さん

2006/8/23

網干 善教さんが7月29日に亡くなられた。関西大学名誉教授で、専門は考古学、古代史、仏教史でした。

善教さん(よしのりさんが正式な読みですが、館長はぜんきょうさんと呼んでいました)と知り合いになったのは、関西大学100周年記念事業として、伝祇園精舎の発掘調査をインドの考古学局(Archaeological Survey of India)と共同でやられているときであった。

UP州のサヘトでの発掘現場にも数回にわたりささやかな慰問品を持って訪問し、先生の仕事を邪魔した。先生はニューデリーから来た小生を快く迎入れてくれた、行く度に現場を案内してくれた。

この話を日本で、観世の家元に話すと、「祇園精舎はお能にも縁がある地です。是非訪問したい。」とのことで、インドまでおいでになられたが、不幸にも、霧で飛行機がニューデリーからラクノーまで飛ばず、涙を呑んでお帰りないなり、1週間後に改めて、来印され、現地訪問を果された。

善教さんに案内されて、麻布山善福寺の若住職と、観世のお家元は、サヘトの仏塔跡で般若心経を誦された。善教さんは、一心に般若心経を唱える二人の若者に暖かい視線を送られていた。

現地での生活は非常に厳しいものがあったにもかかわらず、自分達の生活には愚痴一つ言わずに、「毎日、周りを飛び回る綺麗な鳥を見ていると、これがお経にでてくる迦陵頻迦 (かりょうびんが)ではあるまいかなどと思っています。」と、苦労を笑い飛ばしていた。

善教さんとの話は尽きることなく、色々しましたが、その中から三つをここに記して置こう。

祇園精舎の発掘を始めたとのニュースで、ここを訪れる仏教徒が増えてきている。特に、シュリランカとチベットの巡礼者である。彼らは、発掘している現場の穴にある水を見ると、釈迦の時代の水であると考え、穴の中に飛び込み顔面を水に付けてその水を拝飲するのである。貴重な発掘現場を台無しにされるので止めたいのだがその熱意に負ける。今でも釈迦の教えは生きていると実感する。

この地を最初に発見、試掘したのはキリスト教徒の英国人であった。その後、ヒンドゥー教徒のインド政府が、お金をかけてこの地を公園として、保存してきた。そして、その保全の仕事を実際やっているのが、この近所の回教の村の人々である。そこへ、ようやく我々が来て発掘しているわけだが、仏教のおかげもあってここまで来た日本が、釈迦が一番大切な経を説いたこの地を今までほっといたのは真に嘆かわしいことである。もっとこの種の事業に対して、日本の仏教とは関心を持つべきでしょう。

善教さんのお母さんは、善教さんが登校するときに、家の前で善教さんが見えなくなるまで、手を合わせて、ブツブツ言っていた。あるとき善教さんはトリックを使い、お母さんの後ろに戻りそのブツブツを聞いた。「大難を小難に!小難を無難に!」と善教さんの方に手を合わせて祈っておられたそうである。善教さんは、若い母親達に、子供を育てる意味と、祈ることの素晴らしさを説いていた。

日本へ帰って知ったのだが、東京の阿佐ヶ谷の有志が、年に2回善教さんをお招きして、最近の飛鳥の発掘事情(記憶が定かでないが)と言うような題で講演をしていただいていた。日本にいる限り、館長はその講演を聞きに阿佐ヶ谷にある杉並センターに出向いて貴重なお話を聞いた。反骨精神を穏やかな表現に含ませる絶妙な話術でした。今はもう善教節は聞けない。

善教さんの発掘プロジェクトは、各方面からの働きかけもあり(館長も多少はお手伝いをしました)、その後日本政府の支援プロジェクトとなり、サヘトは伝祇園精舎から祇園精舎へと同定された。大変な仕事を善教さんは成し遂げたのである。その膨大な調査報告書を拝見したが、大変懐かしい思いを新たにした。

新聞によると、「網干さんが評議員会議長を務めた飛鳥保存財団(同村)が11月にインド旅行を予定しており、その際にサヘート遺跡を訪れて分骨したい と言う。旅行は今年1月、網干さんが財団設立35周年を記念し「飛鳥の渡来文化の源流を訪ねる」と立案。自身も講師として参加する予定だったがかなわず、参加予定者から「先生と一緒にインドに行って、供養したい」と声が上がったと言う。

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