インド・パキスタン緊張と外国人待避

2002/7/12

 インドとパキスタンの間に核兵器をともなう開戦の緊張が高まり、当地の日本大使館は6月初めに、避難勧告に限りなく近い警告を発した。
JICAの専門家としてインドに滞在する私は、出来る限りインドに滞在しつづける事を望んだが、政府のパスポートを携行する手前もあり、指示に従い6月9日のJAL便に搭乗した。飛行機は一時的に日本に避難する日本人でほぼ満席の状況であった。

 日本では、6月17日に外務省の説明会が三田で行われ、もう少し状況を見て欲しいとの趣旨であった。
 その席上で、約2500名の滞在日本人は533名を残してインドから待避したとの報告があった。残り533名のうち、外務省大使館総領事館関係者が59名、報道関係が7名、日本企業の居残り組が114名、インド人と結婚した日本人女性等が約247名、留学生18名、旅行者67名、NGO関係者21名とのことであった。
 又、席上、ニューデリーのアメリカ大使館情報が、アメリカ人は約6万人いるが、そのうち10〜20%が待避した、と披露された。(日本人の待避率と比べると大きな差があるが、これはアメリカ国籍を持ったインド人が6万人の内7割以上いると言われ、表面の数字だけでは実態はつかめない。)

 その後事態は沈静化の方向を示し、外務省の海外安全情報もワンランク上がり、6月末より日本人の帰任が始まった。

 7月8日、前日7日のJAL便が一杯であったため、TG便で帰任した。殆どの日本人はすでに帰任し、仕事を再開している。日本人学校も7月15日より再開する。

 今回の待避はスムースに行われた。将来のこの種の事態に対するモデルケースとなるものと思われる。
 現在のところの分析では、バジパイ首相の談話として一部の新聞報道されたものに、6月の初めにインドはパキスタンに対して開戦の危機にあった、と言うものがある。それが、アメリカのパキスタンに対する働きかけにより、ムシャラフ大統領が、インドに進入した軍を引き上げると約束したため、インドはパキスタン内部の軍事基地を叩くのを止めた経緯があるのを示唆している。パキスタンのインドに対する口約束は過去に何度も破られているため、パキスタンがインドに口約束をする事で事態は解決しない状況であった。

 アメリカはパキスタンに対し、証拠を示す事を求めたが、これは、衛星からの監視で確認できる事を示唆している。アメリカ・イギリスは現在、パキスタンに対し実行の確実な履行を更に迫っている。

 インドとパキスタンの間にあるカシミール問題は、1夜にして解答の出る問題ではなく、いわゆる国際間の千年問題のひとつで、解決は簡単ではない。従い、外国人が再び両国に戻りそれなりの場所でそれなりの仕事を始めたということは、カシミール問題がかたづいたのではなく、核をともなう戦争の危機が去ったと言うに過ぎない。そして両国に残した教訓は、再びそのように緊張が高まれば、外国人の待避、外貨の逃避につながりけっして得策ではないと言う事であろう。今回の緊張騒ぎに伴う外国人待避の顛末が、雨降って地固まる結果となることを祈る。

 インドの大統領選挙、カシミールの総選挙、パキスタンの大統領選挙等が日印修好50周年の今年、目白押しに連なっている。21世紀は、いろいろ異種の行事が平行して行われていくような気がする。平和を象徴するスポーツ大会ワールドカップの最中の北鮮の銃撃戦、パレスチナ騒動等もその例と言えよう。

 

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