三菱商事  
3度目のインド、2度目のニューデリー駐在

2006/06/01

1986年3度目のインド、2度目のニューデリーである。鉄鋼についてはさして言う事も無い。流すと言えば語弊もあるが、インド人スタッフが頑張ってくれるから、スーパーバイズが主たる仕事となった。それでもリンクディールを考え出しインドの外貨不足の改善に尽力した。その縁で、トラベルエージェントを作り、ワダワさんとの縁が始まった。

特命事項担当が、面白い仕事であった。

三菱商事の事務所を現在のビジャヤビルに移転した。工期5ヶ月で、一日の遅れも無く、テレックス、電話の移設も上手くいった。5ヶ月前に引越しの期日を明言しても信用する人はなかったようである。

海部総理訪印の大使館への助力も面白い仕事でした。タジパレスホテルの2階に陣取り司令塔のスタッフをやった。インド側が用意した、ロールスロイスが期待通りに(?)故障して、スタンバイの次の車へ切り替えの離れ業などがあり、ヒヤヒヤものであった。でも、上手くいった。

又、インド月間で観世元正お家元ご一行33名を迎えての、ビギャンバワン公演も、舞台作りから始まり大変な経験をした。33名分の幕の内弁当を作るのが所長婦人を始めに大変なイベントとなった。インドで初めて能を見て、その素晴らしさに惚れ込んだ。これがご縁で、後に観世清和お家元のお手伝いをすることにもなった。

最も汗をかいた特命事項は、日本人学校建設プロジェクトであった。後にインド国籍を取得して今もインドで活躍中の大内さんとともに、現在のバサントクンチにある日本人学校を建設した。工費節減のため、英語に堪能でない現地業者を選び、ラージャスタンの石工を使い、廊下の無い学校を作った。野田英二郎大使と役所回りをすることもあり、大使の積極性に頭が下がる思いでした。完成直前に任期が終わりかえることとなった。

楽しんだニューデリー駐在であった。
 

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