三菱商事
 
入社の顛末
三菱商事から電報で内定の通知をもらったとき館長は武蔵境のアパートに住んでいた。隣の、大家さんの電話を借りて、即座に翌日の人事部長のアポを取り付けた。

人事部長の通称「岡信」に会って、「内定有難うございます。ですが、私にも条件があります。入社後5年以内にインドに出していただけなければ、会社を辞めますがよろしいいでしょうか。」と畳み掛けた。人事部長は慌てず騒がず、ニコッとワラって「いいでしょう。」とおっしゃった。

配属は業務部
その年の三菱商事は、いきなり新入社員を営業部に配属するより、非営業部門をある程度経験させてから、配属したほうが良いかもとのことで、将来は営業に出すことを前提に、若干名を、業務、総務に配属した。その中にたまたま入り、業務部に配属されて、かの有名な外語のインド語の大先輩でもある頑固ものの石川義吉課長に仕えることとなった。

課の中には専門家が溢れていた。カンボチャを得意とする人、インドネシアをこよなく愛する人、中国語の大家などなどである。業務部には半年くらい席をおいた。
当時の三菱商事では、テレックスが命で、世界各地とテレックスで情報をやり取りしていた。テレックスの用紙は3枚組で、業務部の担当課にはピンク色の3枚目のコピーが落ちる仕組みになっており、国別に問題ないか業務の専門家がモニタリングをしていた。早速ピンクのテレックスのロールの山を毎朝与えられた。

館長が担当したのは、NDL、CAL,BOM、MDS(それぞれ、ニューデリー、カルカッタ、ボンベイ、マドラスの省略表示)と日本の関係各部課との往復のテレックスである。正直言って書いてあることがまるで解らない。館長のインストラクターで且直属の上司である林さんに聞こうとしても、全てがわからないわけだから、どうしょうもない。

館長は、黙って読み始めた。暗号を解くように。1週間ほど読むと、おぼろげながら、日本語がわかるようになって来た。英語の省略にも見当がつくようになってきた。それは、書いてある字が読めるということで、内容は全くわからない。

2週間目も暗号の解読は進み、あて先、発信部課名が解った。当時の社内電話帳にその答えがあった。KYと書いてあると鉄鋼輸出部であることが電話帳の欄外表示で知ることが出来た。しかもそこには階数が書いてあったゆえ、当該部課の場所もわかったわけである。これにより全社のインド取引が、どの部課で建物内のどの場所で行われているかがつかめるようになった。

3週目に、各部課の分けて読み始めたテレックスのコピーの物語を探偵小説を読むように理解を進めた。その結果、問題が凝っているものとそうでないものの区別がつき始めた。値段の表示、船積み案内、数量の訂正、色々の情報が行き交うがそれは正常なやり取りであり、業務介入の余地はないことが解ってきた。問題があるものは、大体において長文で、ローマ字での日本語でのやり取りが多いことがわかってきた。そんな中から今でも思い出す件がある。

主題はDESUと言う略称でやり取りされていた。ここに納入した発電機が、どうも振動を発生していて、客先からクレームになりそうな気配であるとのことが読み取れた。そこで、担当課の担当者に社内電話をして、アポを取り付け、伺った。そして、何が問題なのか、聞きだした。その上で業務部に何かできることはないかと聞くと、吃驚した顔で、今までそんな話は聞いたことがないと。インドの専門家として、何かお役に立つことを考えるのが館長の仕事であると、大見得を切った。そん担当者とは仲良くなり、その後も色々情報交換を行った。

今、ニューデリーの住民は三菱重工が納入したDESUの発電機の恩恵を受けて、この猛暑を凌いでいると思うと、当時を思い出しなんだかこそばい。結局、あとで土台の調整を行い振動は克服したようだ。今でも健在で働いている。

LINK DEALと言う表題で、わけの解らないテレックスが、KYとNDL,CALの間でやり取りされている。それを、当時のKYの課長代理の加藤さんのところに聞きに言った。問題点は何なのかと。太いペン先の万年筆を使って、説明してくれた。日本の鉄鋼ミルがインドから輸入する鉄鉱石の特別増加分の一定パーセントに当たる金額を日本から輸入する鋼材の外貨に当てようとするスキームで、金額はこのくらいになりそうとの説明であった。幾ら丁寧に説明を聞いても何か臨場感がないので、さらに突っ込むと、その鉄鉱石の輸入に関しては、三菱商事は直接は関与していないと言うことが解った。いわゆる鉄鉱石御三家である、三井、日商、大倉が窓口で、ミルが直接MMTCと交渉する形となるため、わが社は情報を貰うだけの立場であると解った。それでは、わが社はインドの鉄鉱石の商談には積極的ではないのかとの詰問に、それは製鉄原料部の問題であるとの回答であった。うんーんとうなって、製鉄原料部に聞きにいくと、世界の鉄鉱石商売のバランスを取りながら対応しているとのことで、残念ながらインドはわが社の主柱ではなかったことが判明した。

入社一ヶ月そこらで、社内をうろつき色々聞き出す生意気さ加減が、多少は反応があったようだ。

業務に入社した同期と色々話し合ううちに、どうも業務が何をやっているか良くわからない。特に、部長席に、次長、部長代理が山盛りいるのがわからない。では、一人づつ呼び出し話を聞こうではないかとなり、順次、飲みながら話を聞きだした。

オリンピックの年でもあり、もしインド人選手に関係するトラブルが起これば、通訳として24時間呼び出しありとのことで登録され、所在がいつでもわかる用にすることを求められたが、結局インド人選手の素行が良かったのか一度も呼び出しはなかった。

オリンピックが終わるころ、鉄鋼輸出部からお呼びがかかり、転部することとなった。部長席の聞き出しも中途での転部である。送別会で課員の誰かが、「君は運の良い人だ。石川さんに一度も怒鳴られなかった。」としみじみいわれたのを覚えている。しかられるような仕事を任されていなかったためであろう。
 

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