東原中学の思い出

2006/7/15

図画の時間に写生に出かけ、ヘビを捕まえ、それをおサルこと伊藤君のアルミの筆箱に入れておいたところ、授業中に逃げ出し、大騒ぎとなった。班長を務めていた館長の班は四名全員教室の外に立たされた。立っていると、三輪正明校長先生が通りかかり、4人とも校長室に呼ばれどうしたかと理由を聞かれた。説明すると、怒るのではなく理解を示しお茶をご馳走してくれた。その中に八戒こと村主幸夫もいた。船長さんこと横山叡君の連絡によると八戒はなくなったとのこと、思い出の多い仲間であった。冥福を祈る。

学校の左に雑木林があった。日蝕のときに、林の中で木漏れ日を観察したところ、何時もは気がつかなかった太陽の映像が、三日月型に重なり合い、鎌の刃を同じ方向に無数に重ね合わせたようで不気味な様相を呈していた。木漏れ日は、太陽のピンホール映像であることをガーンと知らされた。観察の意味を知り、好奇心を研ぐことの重要さを知った。

一番大きな、出会いは、八木理雄先生であった。先生は、戦車隊の跡地の杉皮のアパートに独身で住んでいた。大きな十畳くらいの部屋の壁面は、古本にカバーをかけたもので埋めつくさていて、おそらくは数千冊はあったと思う。マドラスパイプを燻らしながら、カバーの付いた古本を読む先生はさまになったいた。学校の図書館の本では飽き足らなくなった館長はよく本を借りに行った。安田徳太郎を読んで活字を鵜呑みにしてはいけないことを学んだのも先生のおかげである。

レコードの収集マニアでもあった様で、あるとき呼ばれて、シエラザードの中に、日本の旋律が入っていると解説書に書いてあるが、何回かレコードを聴いても分からない。君は分かるかねとの問いであった。一緒に聞いてみると、すぐ分かった。「金比羅船船追い手にて帆をかけシュラシュシュシュ」であった。館長はその頃小遣いをためては、新宿の末広亭に通っていたので、この手の知識はお手の物であった。(館長の落語好きは中学の頃からである。)

先生の影響で、それまでも好きであった読書の癖が定着し、毎日30分から1時間は活字を読む習慣は今でも続いている。先生には今でも感謝している。

先年、小平で先生のお葬式が行われた。横山、二瓶、飯田、長谷川、佐々など東原の生徒だけ会葬したようである。

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