詩が嫌いの訳

2008/2/9

中学の時にいろいろな先生に出会った。そして、心の中に眠っている兄弟たちを起こしてもらった。

読書の習慣は八木理雄先生起こしてもらった。古本漁りも含めて。

重松先生の存在は、反面教師としてカモ・・美術の中西先生のいい加減との戦いなど多彩な人物に恵まれていたようである。

国語の先生に山浦先生と言う口を少し曲げている女性ががいた。ある時の国語で、詩を作ることになった。

館長がものしたものは「夕日に向かった立つ鶏の胸から今にも手が出そうだ。」と言うような趣旨の詩であった。彼女に見せると、「こういうのは詩ではありません。」と言った。説明がわからなく、それ以来館長は詩がわからない人間になっらようだ。従い、館長は詩を書かない、いや書けないのである。鑑賞もできないようである。

でも阿久悠の歌詞はわかるような気がする・・芭蕉も、山頭火も分かるような気がするのだが・・

これも一言の影響か?

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