プロローグ

 最近、私が強く感じることは、インドは数千年変わらぬところもあるが、5年前のインドを語る人はもはやインドの専門家とは言えないし、インドはこうであると断定する人は、インドの変化に対応できない、ということである。

 日本では、インドはこうであるとの既定概念から、自分の頭の小箱のインドという知識を再認識する作業をやっている場合も少なくないように見える。また、インドに対する嘘の定着化(例えばインド式の九九)が行われたりしている。

 多様性の国インドに関して、数多くの情報が錯綜し、本も出版されている。それらの情報は、「群盲象を撫ぜる」という観点からはすべて正しい情報なのかもしれないが、その象の全体像をつかんだ上で、象とは何かがわかるようなものにはなっていない場合が多いように思える。

 例を挙げてみよう。インドの人口構成については、正ピラミッド型として紹介されるが、その人口抑制政策については語られることがない。
 インド繊維製品も5年前にはエスニックものとしてしか日本に紹介されていなかったが、今では普通に流通する繊維製品として輸出ベースになる方向になってきている。
 しばしば問題となる停電についても、2003年に新エネルギー・再生可能エネルギー省が創設され、小規模水力、風力、太陽光、牛糞等を利用したバイオマスを利用した発電が、すでに全体の7・7%を占めるまでになっている。しかし、これらの事実はほとんど報道されることはない。

 インド人も日本人も同じ人間である故、人間としての共通点は無数にある。その人間がつくる国であるから、共通点は多々ある。しかし、場所が異なり、歴史が異なる故、文化、慣習、考え方に相違があり、相違点も数多くある。

 仏教関係の観光団の人は、どちらかというと共通点を模索して仏蹟を巡礼する。 ビジネス関係の人は、その世界観の相違と言おうか、考え方の相違に悩まされ、日夜その調整に苦慮する。

私は学生時代にインドを一周して、「この国は20年住んでみないと理解できない」と思い知った。ようやく在住歴が通算20年を超えた今、多少インドのことが見えてきたところである。

 この地球が過去半世紀に経験した、最も大きな変化のひとつが、日本とインド・中国の台頭である。1945年の第2次世界大戦終了のとき、この3つの国はゼロサム状態であった。戦後の混乱の時期の日本の記録に映るものから、今の日本の現状につなげられるものはごく少ない。車体がボコボコの木炭車のバス、窓から乗り降りする満員列車、上野の浮浪児、鐘のなる丘、つぎはぎだらけの衣類、増量剤いっぱいの各種混ぜご飯、粗悪品、アメリカ製のチョコレート、駅前の闇市等々は、どこへ行ってしまったのだろうか。今や、日本は高品質の代名詞となり、ミシュランの星をいただくレストランが東京には世界一存在し、ファッションの発信源にすらなっている。

 独立後のインドも、数年置きに訪れる大飢饉により数十万を超える死者が飢餓街道を満たし、着たきり雀の裸足の人が街に溢れていた。それが今では数千万トンの余剰食糧を出し、GDPはドイツを超え、世界第4位になっている。IT関連では、アメリカが頭を下げるまでの国になっている。核兵器を持ち、人工衛星を自分で打ち上げ、世界的な鉄鋼王を生み出している。

 こんな変化を世界の誰が予想したであろうか。

 私は幸いにも日本人に生まれ、インド語(ヒンディー語)を大学で学び、1967年以降インドに20年以上駐在して、両国のドラマチックな変化を目の当たりにした。それどころか、世相の変化を舞台の上の登場人物のひとりとして演じながら体験できたことは、おもしろかったの一言に尽きる。

インドからインド人がいなければ、インド大好きと言った日本人がいる。確かにインドの自然は好ましいものであるが、インド人のいないインドは、ワサビの入っていない寿司のようなもので、気が抜けてしまって存在価値がない。インド人あってのインドである。

 カーストというシステムと共に今日まで生きてきたインドに対しては、得てして単一性をそこに見ようとするが、実は正反対の多様性の世界となっている。一人ひとりが異なった考えを持っている国である。カーストという縛りと、オウンリスクという独自性を持った不思議な複合世界である。親子夫婦で同じヒンドゥー教徒でありながら、違った神に重点を置いている場合もあるし、奥さんだけベジタリアンという家庭もある。

 仕事となれば、更にオウンリスクの考え方が増長し、人によって千差万別の世界が展開する。日本人の実業家が相対することになる役人、商売人、実業家など、すべて一人ひとりが異なり、一般論ではいかないのがインドである。

 それでもインド人の共通項として、困っている外国人は助けてくれる、弱みは見せない、信仰心を持っている、自分の家庭料理が一番旨いと思っている、他人ができることは自分ならもっとスマートにできると自負している、自国の文化に誇りを持っている、商売のためなら嘘もつく、自分を大人物に見せようと努力する、政府や他のインド人の悪口を平気で口にするが外国人がインドの悪口を言うと必ず反論してくる、などを挙げることができるだろう。

 インド人と付き合うには、これらの前提条件を頭に入れて、目の前のインド人がどんな考え方をする人かを見分けることが大切である。相手の赤裸々な姿を知るには、こちらも裸になる必要があるかも知れない。その辺りは人類共通であろう。

 オリエンタルな側面としては、相手にする日本人が尊敬に値するとわかると、非常に人間的な親しみ感を醸成してくる。インドも日本人同様であると感じる一瞬である。

 私の体験に基づき、感性に響くものの見方でインドを見たものが本書である。異論、反論、批評、非難、反対を頂くことを覚悟の上で、独断を敢えて公にする次第である。少しでも多くの方がインド人と付き合う際に、お役に立てていただければ、望外の幸せである。

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2009年7月             グルカオンにて      清好延
 

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