宮原 巍(みやはら たかし)さん

宮原さんのヒマラヤ観光ホームページ

彼と初めて会ったのは1968年だったろうか。ネパール政府の中小企業局で、溶接の指導等などの現場指導をしていた。そのときから延べ何回会っているのだろうか。カトマンズへ肥料の商売で出かけるたびに会った。

当時のカトマンズには夢を語る若者が沢山いて、若い館長には出張が楽しみであった。

彼は、信州山出しの訥弁で、夢を熱く語る姿は人をひきつけて離さなかった。エベレストにホテルをと言う破天荒な夢を。

トランスヒマラヤを作り、エベレストビューホテルを作ったとき、迷わず館長はJALに飛び込み、トランスヒマラヤにJALの切符をきらせる仕事を任せるようお願いした。当時のJAL所長の協力でこの件は実現した。

彼の人柄の真意を理解すると、手伝いをせざるを得なくなる。三井不動産の江戸さんを動かしてヒマラヤホテルに金を出させたのも人柄であろう。

また、ヒマラヤホテルをカトマンズに建てる際には、インド側の情報をフィードするお手伝いも若干したような記憶がある。

尊敬すべき彼とは、よき碁仇で、ニューデリーでも、カトマンズでも、新橋でもよく打った。手合いは互先である。

エベレストビューを作るときに、ヒラリーに会い、ナムチェバザールにホテル建設をする夢を語り、彼に反対にあったと聞いたことがあった。山の礼儀を知る男である。誤解も受けるがそんなことは気にせずに生きてきた山男である。

館長はエベレストビュウーホテルへの無料招待を受けているが、飛行機嫌いと、心臓のこともあり、未だにその栄誉をキャッシュしていない。

 

「マニ・リンドウ」祭りで、寺院のリンポチェに観客の面前で曼荼羅を贈呈されて喜んでいる宮原巍さん。

資料引用
 

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