三浦守君

実行力の百貫デブ

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三浦 守(ミウラ マモル)君は昔でいえば百貫デブである。館長にはそれ以外のピッタリした言葉は浮かばない。

館長が3度目のインド駐在をニューデリーでこなしていた時、風の便りに、由利徹の付き人で柔道やる人が・・・と言う噂を聞いた。それが三浦君であったのは、日本へ帰ってきて日印調査委員会の事務局長をやっていたときである。

朝日新聞の某記者からから頼まれ、金はともかく知恵を出そうということで協力することを約束して、彼の作った日印友好協会の副委員長の名を汚している。

彼は1985年に、カルカッタのマイダンにある柔道場で、インドチャンピオンを破るということをきっかけに、最後はパンジャブのアムリッツァールまで辿り着き、最後には柔道場を作ってしまった。その開所式には、4度目のインド駐在をしていた館長は日本人会長とともに参加した。

因みに、カルカッタのマイダンの柔道場は、館長が始めてインド駐在を拝命したときに、当時のカルカッタの重鎮であるシーメンズクラブの山内御大が奉加帳を作り日本人若手中心に金を集めて作り上げた柔道場であることも、因縁めいた話である。

三浦君は規則よりも、現実の世界を重く見ることで世渡りをすると喝破するが、彼の実行力は桁外れである。しかも、かなり強引にことをやっても憎まれない人格者でもある。といって大笑いを馬場崎さんとしたものである。馬場崎さんと知り合ったのは、道場開きのアムリッツァーでのことであった。

最近はタイの女子柔道で話題になったりしているが、本来の目的は忘れないで欲しいと願っている。

館長の会った人の中で忘れられない人の一人である。

彼の自己紹介は「1957年、鹿児島市生まれ。熊本市の鎮西高校で柔道選手として活躍。上京し、由利徹の付き人となり約7年間つとめる。1985年、インドに旅立つ。以来、インド各地で柔道を指導する。1992年に日印友好協会を設立(現在事務局長を務める)。アムリトサルに畳のある柔道場をもつ会館建設を呼びかける。」

柔道場を持つ会館は作り上げてしまった。次は何をやるのか楽しみである。

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