杉本昭夫さん

アキオ

アキオさんのホームページはここ

その1

ラジェンドラガットの入り口の野菜横丁を避けて、裏道に入ると、道幅がぐっと狭くなる。太った牛が1頭いるとすれ違うのが難しい。2メートルと言うところだななどと思いながら、血砂岩の磨り減った石畳を踏みしる。オールドデリーの石畳に似ている。

と、裸電球をぶる下げた小さな煙草屋から「アキオ、今日は観光のお客さんかい?」と声が掛かる。
「お客じゃないよ。デリーの友達さ。二人ともヒンディーがわかるよ」と気軽にわれわれを紹介する。
「ふーン、アキオの友達なんだ。ベナレスは始めてかい。」「今度で3度目さ。」ヒンディで答えると、
「ほんとだ,ヒンディ出来るんだ。さすがアキオの友達だね。」

しばらく歩くと、「アキオ、どこへ行くの?元気でやってる?」と声がかかる。
「これから友達とプジャゲストハウスで晩飯さ。」アキオが答える。「帰りに寄りなよ。」「またにするよ。」
ごくごく自然に会話が進む。まるでマフィアの若旦那が島に帰ってきたときを映したイタリア映画の一場面みたいな感じで、次から次に声をかけられるアキオとインド人のやり取りに酔いしれながら、幻想の世界に引き込まれる。ニューデリーからの二人も何時の間にか登場人物になっている。

アキオと呼ばれガットの人気者になっている杉本君はバナラス大学に学ぶ学生で、最近は大学で日本語を教え始めている。アキオがガット通いで知り合った、チョティラールの家に毎週末は泊まりに行くと言う。

1月21日、ベナレス大学で「一日本人が見たここ30年のインドの変化とインド経済の行方」と題する講演を終えた後、別室でくつろいでいると、講演を聴いていた唯一の日本人学生が部屋に入ってきた。自己紹介や幾ばくかのやりとりの後、晩飯を一緒にどうかと誘った。一寸小首をかしげて、間を置いて、承知してくれた。
「ベナレスらしいところが良いな。今日の昼はココのキャンティーンだったから。」「えっ、キャンティーンの飯を食べたのですか?」「ウン、水も飲んだし・・」「判りました、それじゃ案内します。」

その2

予定の時間にホテルに現れた杉本君はすぐにホテルの前に止まっているオートリキシャと交渉を始め、値段を決めて、我々二人と乗り込んだ。ガットの入り口まで約20分乗り、降りたところがラジェンドラガットの入り口だった。「ガットから行く道と裏道があるんですが。」との杉本君の問いに、迷わず裏道からと言うことになったのが冒頭の話である。

10分ぐらい歩いたろうか、曲がりくねった迷路の突き当たりにプジャゲストハウスが有った。ゲストハウと言うより立派なホテルである。日本流の六階が屋上で、レストランになっている。レストランは、屋外と室内とあって、我々は屋外のビルの縁に近いところのガンジス側に席をとった。まずビールを頼むと、30分かかると言う。もちろんOK。オーダーはアキオに任せた。周りを見ると、何組かの西洋人、室内のテーブルには日本人が群れていたりして、なかなか国際的なところであった。もっともインド人はこんなホテルには泊まらないから、外人だけになるのは当たり前である。

このプージャゲストハウスはこの辺りで群を抜いて背の高いビルで、眼下にガットを見下ろすすばらしい場所にたてられていた。アキオがガットから行く道と裏道からと言った意味がわかった。ガットからは間近な距離であった。ガットは最近夜間照明が行われるようになったと言うことで、かなりの高さの水銀灯に照らされた無人のガットが静かに見渡せた。8時を過ぎている。ガットは無人の舞台を見下ろしているような感じで不気味でった。水も動いていない。屋上の多少猥雑な喧騒と眼下の不気味な静けさが異次元に誘い込まれたような感じをかもし出していた。

「ここにいると、先のことが気になら無くなるのです。日本にいたときは、いつも先のことが気になってたんですが・・」アキオの話しが自然に聞こえる。
「時々日本人に案内を頼まれますんですが、人を見て案内するところを決めます。」
「じゃ、我々は合格したわけだ!」「えっ、まぁそうです。キャンティーンの水を飲んだ人たちですから」
漸く来たビールで乾杯する。25分で到着であった。食い物は、洋食と、中華と、インド飯のミックスで取りたてて言うべきものは無かったが、気がついで見ると11時半を回っていた。途中、オーナーの弟が顔を出し「なんだ!アキオ来てたんだ。言えば良いのに。」「言ったって安くなるわけじゃないし・・」
「またゆうよ!アキオは」などのやり取りがあったり、「アキオの友達はみんなヒンディを話すんだ。」
などが有ったりして、こんなに楽しい夕食は久しぶりだった。
屋上の喧騒は続くようだが、我々のホテルは20分かかるので、お開きにすることとなった。

「明日の予定は?」アキオが聞く。「舟の上から日の出を見ようかなとおもってる。」「ふーん舟は決まってるの?」「いや、何も」「ジャ僕の友達の舟に乗ったら。チョティラールって言うんだ。毎週末には、彼のところに泊まりにくるんだ。今日も。」「うン。それに決めよう。下の朝6時15分前にガットに来るよ。」
アキオと佐藤君の会話である。当然私も異議は無い。
「大学の寮にずーっといると気が滅入るんで、週末は、チョティラールのところに泊まりに来るです。」
「ふーんそうなんだ。」
3人でスクータータクシーを雇い、助手と運転手と5人で犇めあいながらホテルに向かう。途中、酔っ払っているのか、運転手が助手に水を頼み、停まり、その水をアキオも分けてもらって飲む光景は、とても自然で、違和感が無い。薄汚れた、プラスッティックの手桶の水を分け合っていた。

その3

昨夜の興奮の余波を感じながら、ラジェンドラガットの入り口の青物横丁に降り立ったのは5時45分だった。昨夜の帰りには三輪タクシーを拾うにもなかなかであったのが、この時間にはもうひとひとひとの賑わいであった。家族づれはもちろん、団体もいる。早朝のインド人の沐浴を見にくる外人の団体もいる。ひとりぽっちの外人もいる。日本人らしい人たちも。そんな人を舟で案内しようと静かに声を張り上げる客引きもいる。未だ空は暗く、霧が掛かっている。八百屋はもう開いている。朝起きの町である。車から降りて、町の様子に感動している二人に、

「アキオの友達かい?俺、チョティラールだけど」小柄なインド人が話し掛けてくる。「そうだけど。」
「おはよう、アキオはガットで待ってるから。」と案内してくれる。「二人ともヒンディが出来るんだ。」
「マーぁね」

ガットまでは数分の距離。アキオが誰かと話しながら待っていた。コットンパンツと白いクルターは昨日と変わらない。もやってある船は10人ぐらいは詰めれば乗れる大きさで、やおらアキオが漕ぎ始めた。チョウティラールは周りにひしめいている船の間を舳先がぶつからない様に押したりしている。岸から20メートル当たりを上流に向かう。前後して、平行して、沢山の船が上流を目指す。岸ではガットの階段を利用して沐浴をしている光景が目に入る。
「深い川」の情景である。日の昇る前だから、色は死んでいる。霧の所為か、音も死んでいる。色と音のない世界で舟が進み、沐浴の光景が流れて行く。霧が濃くなってきて、ガットの上の方は見えない。無限の高さから階段が降りて続いているように見える。ガットの趣は、一つ一つ違う。血砂岩の赤いガットは宮殿を想像させる。
コンクリで固めた単純に階段だけのもの、大きく宣伝文句が書かれているもの、久美子の家と言うのもあった。大統領の名前のついたラジェンドラガット、神の名前のついたガット、マハラジャの名前のついたプライベイトガットの余波を残すもの、約五キロ続くガットは混沌の中の調和である。何処のガットでも沐浴をしている。おなかの突き出た、中年盛りの毛深いオジさんが赤い腰巻ひとつで太陽が出ているであろうと思われる方向に向かい水を拝み捧げる。頭までザンブリともぐり両手で髪の毛を後ろ絵跳ね上げる。子供が母親と一緒に沐浴する。やせた若者が震えながら水をかぶっている。若い女が、胸の線もあらわに水浴している。花をショウロウ流しのように流している年寄りがいる。霧の中に景色が流れていく。反対側の対岸は霧に消えている。四十九日前の宙ぶらりの世界に迷い込んだ感じである。この世ではない。異次元に遊ぶ感じである。いつのまにか漕ぎ手はチョティラールに変わっている。言葉少なに何かに感動してしまったような4人、チャポン、チャポンと櫂の音がリズムを刻む。霧はますます濃くなってきている。霧が作り出す面妖な世界。

いつのまにか、周りの船がいなくなっている。もうほとんど船がの引き返している。さらに上流に進む。コンクリと石で固められたガットが切れ始めた。土が露出して、もう階段はない。そこでも人々は水浴をしている。更にしばらく上りつづけるとさすがに人の数が減ってきた。そこで舟を舫い、足場の悪い板の上を歩いて、柔らかい濡れたガンガの土の上に降り立つ。霧の所為で20メートル先は見えない。

「アキオ、こんな早く珍しいね!」ここにもアキオの知り合いがいる。「ウン、テンプルホテルで朝飯さ。」
昔の寺院の跡の敷地の中に立てられたホテルの名前がテンプルホテルである。外見は洒落た感じのホテルで、屋上は5階くらいか。階段を上り屋上に出る。霧に濡れた椅子を拭いて席をしつらえて朝飯を注文する。メニューは洋食である。外国人が泊まるホテルの感じで、宿泊中のフランス人が何人か屋上の様子を見に上がってくる。霧で見通しがきかないのと、椅子が濡れているので遠慮している。屋上は我々4人の独占である。サンドイッチとチーズトーストとヨーグルトを頼む。霧は未だ晴れない。雲の上に浮かんで食事をする感じである。こんなに霧が深いのは始めてとアキオは言う。

「霧も良いじゃん。」とニューデリーの二人。
もう八時を回ってるのに霧は晴れない。ヨーグルトが秀逸であった。
舟に戻り一気に下る。乗船地点よりさらに下流に行く。火葬場の有るところである。
「少し歩きませんか?」アキオの提案である。「そうだね。」ガットの階段を歩き始める。
「お茶に寄っててくれよ。良いだろう。」平行している舟からチョティラールが声をかけて来る。
「ウン、寄らせてもらうよ。」

おきゃんな女の子がお土産を売っている。アキオをからかう。アキオもからかい返す。そんなことをしながら歩いていると、火葬場に行き当たる。火葬の現場を突っ切って進まないと岸の上の道路まで迂回しないとならず、とんでもない遠回りになるので、ズカズカと突っ切ることとなる。五つ六つの火が燃えている。其の間50センチも離れてないところを縫って行く。目の前を死体を載せた担架を担いでグループが行く。焼く前にガンガの水に浸すのである。隠亡が近づいて説明する。

「これは夕べから焼いてるんだ。もう終わりさ。そこの一寸膨らんでるところが頭さ。婆さんだった。」
不思議ににおいを感じなかった。隠亡もアキオを知ってるようだった。どう言うわけか、ごく普通に歩けた。特に感動も、恐怖もなかった。どうしてか判らない。遠巻きに外人達が見ているのも気にならなかった。
そろそろ霧が晴れてきた。10時を少し回っている。
ラジェンドラガットのすぐ傍に、昔の天文台を背負ったマンマンディルガットがある。其の天文台を見学する。サルが遊んでいる。ジャイプールのマハラジャが作ったものという。日時計があった。20分狂っていた。霧が晴れたのに気がついた。其の天文台の真下がチョティラールの家である。8畳2間に3家族が同居している。チョティラールは独身だが、兄夫婦が二組と其の子供達8人,合計13人が共同生活をしている。男の子が2人であとは女の子。そこへアキオが泊まりに来るのである。雑魚寝になると言う。子供達は皆アキオに慣れて次から次への遊びの誘いに来る。

チョティラールは、ボートの選手として全国大会に出場したことがあるとアキオが言う。先日その実績が買われたのか、ベナレス大学にタイピストして採用されたと言う。ヒンディ語のタイピストである。まわりのインド人は、今度来た副学長夫人が日本人だから、アキオが工作したのではと噂したりしていると言う。
チョティラールの一族はここに300年住むと言う。ジャイプールのマハラジャからUP州に建物の所有権が移ったとき、150ルピーの家賃を払うように言われたが、ここ300年払っていないことを告げると、それきりになったままだと言う。数年前の話である。インド万歳!!

チョティラールの家で呼ばれたお茶は最高だった。今までアキオが見たことのない紅茶茶碗を蔵出ししての美味しいミルクでのお茶は、チュラマタールと言うインド式カレーチャーハンと相マッチして、今まで経験したことない美味しさで圧倒された。合計15〜6人と近所の子供達と親戚の人達の歓迎の混沌の中で頂いた所為も在るかの知れないが、すばらしく美味しかった。そんな人達のところへ週末泊まりに来れるアキオは幸せだと思った。

佐藤君の熟慮とアキオの配慮で、400ルピーをチョティラールにお礼としてアキオ経由差し上げることにした。辛い別れだったが、又来れるさと思い込み、サヨナラをした。

又一つインドの良い旅をした。ベナレスを旅するならアキオの案内が良い。

2002年9月
チョティラールは可愛い奥さんを娶り、アキオは日本語を教えながら観光事業会社を設立した。チョティラールの可愛い奥さんが取締役である。

アキオ後日談

館長はアキオに頼まれて、15才のビノードを仕込んでいる。

将来、アキオの「イーバ」カフェで働き、多少とも日本の香りのものを作れるようにと期待しての話である。

館長の好みの日本食は、常軌逸したものが多いので一寸心配でもあるが、勘はいいようだしセンスも悪くない。

先日アキオがニューデリーに出向き館長宅に泊まったときの2人の写真である。

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