インドに淫するの記  ‐1つの答えかも‐

2002/9/16

 9月12日、ベナレスは朝から雨だった。モンスーンが遅れた今年はまさにモンスーンの真っ只中のような雨であった。

 マンマンディルガートの船頭チョティラール一家の洞穴みたいな家で、雨が小止みになるのを待ち、小雨の中をガートに出た。ガンジス川は増水し、とうとうと粘土色の水を流していた。雨のため普段は賑あう乗合船は岸に繋留されてゆれている。

 その船の繋留されている川岸の水面から3段上の階段に直径60センチばかりの耳の大きい鉄鍋をしつらえ、ギヒーを塗った牛糞と香木とを組合わせ丁度お盆の迎え火のような小さなやぐらを作った。言ってみれば簡易護摩壇であろうか。

 日本からの両親と、生まれて10日で死んだ見ぬ兄「薫」の位牌を取出しガンジスの水で清め、その小さなやぐらに載せた。強い風のため火は簡単につかなかったが、一旦燃え始めると牛糞の火力は強く、小一時間で3つの位牌は完全に灰となった。灰をガンジスに流し自分の頭をガンジスの水で清めて一連の儀式は終了した。

 小雨の中、この小さな儀式を最初から見ていた子供達とサドゥ(聖者)それぞれにニューデリーから用意してきた10ルピーのピン札を配った。最初は受け取らなかったが、チョティラ‐ルがプジャ(祈り或いはお祭りの儀式)に参加してくれたのを日本人のサブ(旦那)が感謝していると説明すると快く受け取ってくれた。

 前日にサルナートを訪れ、日蓮宗の宗徒であった両親の位牌と兄の位牌を抱いて、日月山法輪寺にお参りし、釈迦に自分のやろうとしている事を報告した。

 日本を出る前に兄弟二人と話をして、長男である私の意見を聞いてもらい、自分の墓を作る積もりはないこと、従い両親の墓守をする積もりがないこと、又祖先を祭る事もする積もりがないことの了承を取り付けた。既に存在する位牌についてはおそらく地上では1番極楽或いは天国に近いかも知れない、しかもお釈迦様の生まれたインドのガンジス川で焼却することを提案し、快諾を得た。更に既に存在する墓については、ある程度の時期を見て墓を管理するところに対し無縁佛としての処理にお願いする事も決めた。

 兼ねてより、墓のむなしさと、無限増殖を続け生きる人間の場所を蚕食しつづける墓の恐怖に終止符を打つ必要があると考えてきたが、先ず自分から始めることを決断した。更に今を生きる人が先祖の呪縛から開放される事が人間として正しいのではないかということのためにも第1歩を踏み出した。

 これにより、先祖祭はなくなり、誰が仏壇を管理するかの議論は親戚からなくなり、墓守の必要もなくなり、かなりすっきりして人生の最終時期を過ごせる。自分の骨は散骨してもらい供養は不要と遺言を残す。

 この方法が最善とは言えない事は十分承知でいるし、他人に強要する事も考えていない。しかし1つの答えかも知れないと考えている。
 

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