マルチ・スズキ伝説

2007/6/17

1981年に発足した会社の、正式名称はMaruti Suzuki India Limitedである。初代の会長はドクタークリシュナムルティである。当初はフランスとの提携を念頭においていたといわれ、サンジャイ・ガンディの命を受け、提携先が決まる前に工場上屋を建設してしまった。レッドテープの悪評高い、インドでは考えられないスピードであった。此れが伝説の始まりであろう。

1982年にスズキが合弁に踏み切った時には、スズキ側はシェア26%のインド政府の会社であった。その後、インド側と50%・50%の時代を経て、現在はスズキが54%のシェアを持っている。マルチ社の株式をスズキに譲渡することに反対であった商工大臣を、時の政府は、商業大臣と工業大臣に分割して、彼を商業大臣に据え、新工業大臣がスズキへの株式譲渡を推進した。大岡裁きか、一休さんの話みたいな伝説である。

Marutiの意味は、風神 Vayuのことらしい。猿神ハヌマーンの父親である。ハヌマーンは桃太郎伝説のあの猿であり、西遊記の孫悟空の原型であるといわれる。まさに伝説の世界からの社名である。

1982年、鈴木修氏が、晴海の自動車ショーを見に来ていたマルチ社のチェアマンのクリシュナムルティ氏と帝国ホテルの一室で、前の日まで本命と噂されていた三菱自動車との話をひっくり返し、一日で全ての事項に決着をつけて契約に至った経緯はいまや伝説に成っている。

1983年の極月14日(インディラ・ガンディの誕生日)に第一号車を出荷して、インドに自動車革命を起こした。それなりの品質、価格、大量生産と言うそれまでのインドでは考えられないことをやってのけた。鈴木修氏が現在でも神に近い崇拝を受けているが、篠原 昭さんの存在を忘れては成らない。彼無しには予定通りの生産開始は出来なかったといわれている。インド人の中には今でも彼の事を神のように言う人がいる。伝説の人である。

ギネスには乗っていないが、自動車音痴の館長が言うのもおこがましいが、一つの自動車工場で年間50万台を生産しているのは、この地球上で、グルガオンのマルチスズキだけではないかと思うのだが、いかがなものであろうか。これも伝説であろう。

インドでの成功が鈴木修氏をして、世界戦略を語らしめることを可能にした。いまやスズキは世界的な会社になっている。ここにも伝説がある。

鈴木修氏がインド側に突きつけた条件の一つが、インド側CEOの変更に修氏の承認が必要としたことといわれる。当時のインドの政府系の会社は大体2年か3年でチェアマンが変わるのが普通であったが、マルチ社は、1982年から今まで、3人のでカバーしている。2代目がバルカバ氏で、3代目が今のカッタール氏である。一人が8年以上継続していることになる。インド政府の方針を返させた伝説である。

スズキがインドに持ち込んだものは、日本式労働哲学といわれ、インドでは評価されている。その一つの例を挙げよう。チェアマン以下全ての人が同じ食堂で同じ飯を食べるというインドではタブーとも言われることをスズキは実行した。スズキコミュニティを作ることに成功したのである。新しいマルチスズキと言うカーストを作ったとさえ言われる。新伝説である。

マルチがインドで成功したのは色々な理由があるが、ここで最も肝心な理由を挙げる。それは、スズキと言う会社が、全力で、全社を挙げて、このプロジェクトに臨んだと言う事である。鈴木修氏以下全員で何の疑問もなく本プロジェクトに邁進して、インドにあたり成功にまで持ってきた点である。日本での注力以上にインドプロジェクトに注力したことである。インドは日本以上の市場であることを見抜いた鈴木修氏の判断に神業を感じる。それまでの日本の英邁なる経営者達がなしえなかった判断を、伝説的な洞察力で成し遂げたことがその成功の引き金でもあった。

発売当時マルチの車を入手するまで注文後6ヶ月かかるのが普通であり、申し込みと同時に払い込みが行われたので、マルチは逆金利をあの高金利(20%近い金利があったと聞く)の時代に享受でき予想外の利益を上げえたのも伝説である。

マルチ・スズキと言う会社が出来たその波及効果でグルガオンは変化した。ハルヤナ政府によると、グルガオンはシガポールを念頭に置いていると。そして、グルガオンがこのように成れたのはマルチがここに進出したからであると認識している。一つの会社が、一つの地域を変え、それが一つの国を変えることに繋がっている。新しい伝説を織り始めている。

マルチが言うには、スイフト以降インドは新しい市場に変わった。価格第一から、デザインが優先する時代に突入したと分析している。古い安い車を作り続けるだけでは、インド市場では生きていけないと考え、新車の導入を積極的に行う方針を再確認したようである。新しい伝統を紡ぎだすパイオニアの役割をして行く覚悟のようである。
グルガオンのマルチ・スズキ社の入り口である・・この門の中で、年間50万台の車を生産している・・
ワーカー用の出入り口である・・

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