デリー日本人学校

2006/7/9

館長がデリー日本人学校を皆でデザインしたときに考えたことを、思い出しながら書いてみる。

当時の大使は野田英二郎さんで、このプロジェクトにかかわる、お役所回りもご一緒させていただいた。

建物については、「先ずデザインコンセプト」からと大上段に振りかぶるほどのことはないが、皆で色々考えた。毎週土曜日GK−Iの小生宅で昼飯を食べながらの打ち合わせ会をやり、かなり深いところまで話し合った。校長先生、美術の先生、大内さん(都市工学の博士号を持っていて、ヒンディーべらべら)、それに小生がメインのメンバーでした。校長先生は八戸出身の乗上さんでした。

先ず、木ではなく、コンクリートで作るということで、木の性質を利用した日本式建築の校舎の概念に囚われないようすることにした。

皆が望む学校を建てようとのことで、アンケートをして父兄、子供達の望みをかなえることを基本に据える事とした。

アンケートの結果、イメージとして、高く、広くという矛盾したリクエストとが拮抗し、それが、体育館側の高さと、校舎側の広さの表現となった。室内プールの希望は大使をはじめ圧倒的でオーバーフロー型の16mX25mのプールとし、その上に体育館兼講堂を載せることで高さを確保した。

デリーと言うアジアの地域に作るのだから、インド・ネパールから中国・韓国までに普遍的であるアジア独特の中庭を作ることにした。与えられた条件としての傾斜地を活かして、中庭を階段式にした。(現在中庭になっている場所は、高さ10メートルを越す大岩山でした)、先生方から職員室から運動場が見えるようにとの希望があり、多目的ホールのカーテンを開けておけば、運動場の一部が見える構造にした。

管理者が監視を楽にするための廊下と言う刑務所的な発想を排除して、廊下を極端に少なくした。中庭の周りの回廊を除くと廊下は殆どなくした。

教室は八角として、矩形の持つストレス系を排除した。

カラーイメージは赤と緑で、レンガの赤と、緑の砕石の磨ぎ出しで表現し、成功したと自負している。

入り口の扉は、内と外のコミニケーションを良くするため、美術の先生がデザインした動物の形を切り取り素通しガラスを嵌めた。

床は、コタストーンを3種の形に切り出し、ランダムに貼り、目地は明るさを少しでもの気持ちで白とした。

学校の名前は、能書家の噂の高い海部総理の訪印の際に筆を振るっていただいたものをインド人に彫ってもらった。

11.5本(一本は境界線上に生えている)のマンゴーの木はそのまま残し、木陰を作った。運動場は埃がたつのを防ぐためもあり、芝生とした。100メートルの直線を確保するため校舎のベランダの一部を削った。

プールの上の中二階はパーティー用である。家庭科室を厨房として使えば大宴会が開催可能である。日本人が通う学校であるので、和室も一室用意した。

掃除がし易いように、床と壁の角は丸く、埃が溜まらないように壁のスカートは内側にした。

学校の神秘性を高めるため、幅の広い、ステップの奥行きの深い階段を沢山作り、いわばトーラスの数を増やした。

費用の関係もあり英語もよく通じない業者のしりを叩きながら完成させたわけであるが、大内さんの参画がなければ出来なかったプロジェクトでした。

昨日久しぶりに訪門した。
幼稚園の定員は34名のところ、現在ウエイティングリストに2名とのこと・・

全部で、120名以上になるという・・100名で採算ぎりぎりであるので、今は一寸余裕が出来たとのことで、図書に充実を図ったりしていると嬉しい話を聞いた・・

また、幼稚園を増築、バスも増やすとのこと・・嬉しい限りである・・

幼稚園は特別なプールで涼をとっていた・・見学に行くとこんにちはと元気良く挨拶してくれた・・

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