グジャラート大地震

2001/3/1

 1月26日は共和国記念日で、インド全国でパレードが行われる。ニューデリーではインド門広場での最大の行事で、毎年国賓が呼ばれ大統領以下政府要人が出席してはなばなしく行われる。その日の朝8時46分グジャラト地震が起きた。ニューデリーではパレードの準備の最後のチェックが行われていた。

 午後のテレビのニュースで内務大臣アドバニ氏がインタビューに答えて、パレードを見物して帰ってきたら大変なことが起こっていたと表現していた。パレードの最中に内務大臣に報告が届かないいくらいのスケールで取り扱われていた。

 その後グジャラト州ブジが震源地でそこを中心とした被害の実態が明らかになるにつれて、大騒ぎになった。死者の総数は未だに正式発表はないが、テレビなどでは一万八千人以上と言う表現が使われて、最終的には二万から五万に成るかも知れないと言われている。途中経過でフェルナンデス国防大臣の現地視察の感想として10万の死者がいるかも知れないと言う話も伝えられた。商工会議所連盟(FICCI)の試算によると、倒壊した建物、村落の被害が、1千五百億ルピー(三千七百五十億円)、工場の閉鎖・労働者の不在によるGDPの損失四百億ルピー(一千億円)、インフラの損害三百億ルピー(七百五十億円)、その他の被害二百億ルピー(五百億円)にのぼり、総額では約二千五百億ルピー(六千二百五十億円)に成る。人的被害、経済的な損失は想像を超えたものになった。

 グジャラト地震のニュースが世界を走り抜けたその翌日から、世界中からインドへ向けて救援の手が差し伸べられた。世界の赤十字が動き、日本からも飛んだ。日本政府はシンガポールの倉庫に蓄えられた緊急援助物資25万ドル相当を空輸し、インド内閣の口座に現金75万ドルをお見舞いとして振り込んだ。JICA19名の医療チーム、自衛隊のテント寄贈を兼ねた80名の6機の飛行機でのブジ入り、各種のボランティアも50名になろうかとの話もある。外務省の不用不急のグジャラト州入りは控えるようにとのコメントにもかかわらず、カッチ地方の繊維関係の取引先へ、ダイヤモンドのスーラットへお見舞いの日本人もかなりいるようである。

 皮肉にも共和国記念日に大災害がインドを襲ったわけであるが、その報告が内務大臣にパレードが済むまで伝えられなかった事実は、どこかの国の危機管理を思い起こさせるものがある。インド政府はその後、急遽危機管理のための組織・システム作りに取り掛かった。また、今回の予算で所得税に3%の付加税をつけ、2%をグジャラト地震関係、1%を国家災害(ナショナルカラミティ)用とした。

 1月2日の北インドを襲った16時間の停電及び今回の危機管理の不在はインドが近代国家への脱皮の試練となったといえる。

 昨年のオリッサ大洪水の際、インド政府はナショナルカラミティに対する外国からの援助は排除すると胸を張ったが、今回の地震に対しては外国の各種の救援・援助を受け入れた。インドが国際社会の一員として今後機能して行く兆候を示したものとして評価したい。インドが誇りを捨てたのではなく、まさに世界はインターデペンデンスの時代に入った証と見たい。21世紀は国と国の垣根が低くなる世紀である。その予感をこのたびの地震で感じた。

 JICAの医療チームがブジに入る際、食料調達をするため、アーメダバドのパン屋にパンを40本調達に行ったところ、新鮮なパンを焼いてホテルに届けるとの話になり、後でパン40本とクッキー5キロが持ちこまれた。医療チームが代金を精算しようとすると、外国から助けに来ていただいた方々からお金は受け取りませんと断られたとのこと。この種の話は無数にあると言う。

 最後に被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

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