インド人は牛肉を食べない神話

2006/6/1

シバの聖なる乗り物である白い牛はナンディと呼ばれ、インドでは尊いシンボルで、政党のシンボルマークにも使われたりしている。そこで、牛を食べるのは禁止されていると勘違いしてしまう。マヌの法典には牛肉食いをタブーとする記述は無かったと記憶する。

インドに住んでる回教徒は人口の12%に近い。インドと言う一つの国の中に一億数千万の回教徒がいるわけで、世界でも一、二を争う回教国でもあるわけだ。又数パーセントであるがキリスト教徒もいる。これらの人達には、牛肉に関するタブーはない。回教徒、キリスト教徒の多いケララ州、ウエストベンガル州には、牛の屠殺設備があると聞いている。回教徒の中には、子宝祈願の精力剤として、牛肉を食べる人達がいることを館長は知っている。女性の周期を測って亭主が牛肉を食し、狙い撃ちをするのである。彼らは効果あると信じている。

ネパールのヒンドゥー教徒の中には、水牛は食べる人たちがいる。館長は、バクタプールの町で曲線が特有の蛮刀で一刀の元に首を落とし、その後麦わらか稲わらで身体の毛焼をやり、内臓を取り出す作業を、目の当たりにして、ショックを受けた経験がある。インドに住むネパール人の数はどのくらいか知らないが、彼らの中には水牛を食する習慣を持つ人達がいるし、彼らのパスポートがインドと言うのも有りうる話である。又インドの山岳ヒンドゥー教徒の中にも水牛を食べる人達もいると聞く。一方、水牛は牛でないという議論もあることは館長も知っているが、でも・・

「でも、ヒンドゥー教とは牛肉を食べないのでしょうという。」と聞かれる。

アレクサンダー大王が、マケドニアから歴史的な大遠征をやり、インダス河の畔まで来て、インドの七王を呼び、「インドの地はインドの王たちに任す。」と言って、帰路に着いたと言う。そのとき、ヒンドゥー教の坊主を数名マケドニアに連れ帰ったことが歴史に残っていると言う。その際に、インドに残った人達がいた。

インドの南の西海岸にマンガロールと言う港があるが、そこからマイソールへの途中にクールグ(Coorg)と呼ばれるヒルステーションがある。その辺りはインドでも有数なコーヒー豆の産地であるが、そこに住む人たちは、鼻筋がとおり、色白で一寸南のインド人とは様子が違う。彼らは、クールグ呼ばれ、誇らかにアレクサンダー大王の末裔であると言う。確かにギリシャコインの顔に似ている要素もあるが、館長曰く「アレクサンダー大王の家来の使用人の末裔じゃろ。」と。その人達は、ヒンドゥー教を奉じているが、肉食をする。もっともインドでは嫌われる豚の料理が有名であったりする。公式にはどこにも書いてないが、館長は牛肉を食べると聞いた。もう2千年以上ヒンドゥー教をやっている人達を例外扱いは一寸出来まい。クールグはインドでは軍人、銀行家として硬い商売でよい評判を立てている。

回教徒がインドに侵入してきた理由の一つは、インドを富にあったといわれる。その富が集中していたのが、各地のヒンドゥー寺院で、かの有名なソムナート寺院の富も狙われた。戦いは2日で終わったと伝えられているが、その従軍のアラビア人がものした記録に、ソムナート寺院の殷賑の様子がある。それと、同じく寺院の外側でのヒンドゥー教徒の黒ミサの実態を伝えていると聞く。その中に、寺院の中の正式な儀式と全く逆をやるヒンドゥーの一派があり、人柱や、人肉食い、牛食いをやり神の反応を試していたと言う。(これは館長の又聞きである。)

と言うことで、インド人は牛肉を食べないと言う神話は成立しないのである。インドを極めつける愚を冒してはならない。インドは多様性の国である。
 

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