インドの宗教について

ヒンドュー教、回教、キリスト教、仏教の同居

2006/4/30

 館長のドライバーはサリーム・カーン君29歳である。ラクノー出身の回教徒である。今は、ビバリーヒルズパークの裏側の格安フラットに奥さんと住んでいる。子供はまだない。館長のサーバントクオーター(使用人用住居で10畳くらいの広さで、我がフラットの中にあり、シャワー・トイレ付である。)には今2人の使用人が住んでいる。

 サミエル・アンソニー・マニ君30歳のタミルナド州出身のキリスト教徒である。奥さんはニューデリーで、日曜日には教会に行きそのまま奥さんのところへ泊まり、月曜日の朝6時ごろすっきりした顔で出勤してくる。マニ君の仕事は、館長の身の回り全てである。炊事・洗濯・掃除・執事の仕事なんでもである。月給4500ルピー(11300円)で残業代はない。
   
 ベナレスのアキオ君から預かっているビノード君15歳はジャルカンド州出身でヒンドュー教徒である。ビノード君の仕事は、マニの手伝いと日本食を覚えることである。1500ルピー(3800円)の月給である。さて、彼ら3人をこき使う館長は、言ってみれば仏教徒である。

 館長の周りの3人と館長を合わせると、4人4様の異なった宗教である。毎日漫画みたいなことを繰り返しながらの、平和な日々である。宗教の違いが人殺しにまでなるのはなぜなのだろうかと考えてしまう。

 どうも宗教間の対立を煽るのは政治のような気がする。一般庶民の間では特に宗教が異なっても問題は無いように思える。

 UP州の州都ラクノーから車で2時間半くらいのところにサヘトと呼ばれる遺跡がある。ここは公園のように、インド政府の予算で、付近の回教徒の村が手を入れていた。関西大学の網干教授が、同大学100周年事業の一つとして、インド政府と共同で、ここの発掘調査にやってきた。

祇園精舎の発掘調査であった。1986年より3次にわたる祇園精舎跡発掘を行い、その後日本政府の予算措置により調査は継続され、その結果、「伝・祇園精舎」といわれていた同地が「祇園精舎」と同定された。大変な成果である。教授が発掘中、26代観世清和家元、麻布善福寺の住職を案内したのも館長の思い出である。両氏は祇園精舎の中心にある寺の跡地で、般若心経を唱えられた。

 その網干教授が痛く慨嘆されて曰く「釈迦がもっとも重要な教を説いた、祇園精舎の発掘の第一歩が、キリスト教徒の英国人により行われ、今ではヒンドュー教のインド政府が予算を用意して、回教徒の村が管理をしている。ようやく仏教徒の日本の大学が発掘に出かけていたが、仏教国として世界的な経済大国の日本の関心が薄い。それに、反してここの発掘を漏れ聞いて、チベットの巡礼者、シュリランカの巡礼団が発掘現場から出る地下水を釈迦が当時使っていた水と、穴の中は飛び込み飲むのを、とめるのが大変だ。」と。

 で、館長は思うのだが、「四つの異なる宗教が関連を持ちながら今歴史的に意味のある結果を出したのも、釈迦の力であろう。」と。宗教は政治的に利用されてはろくなことがないようである。

2007/6/29 追加
1年2ヶ月たちました・・ビノードは16歳です・・皆、仲良くやってますよ・・

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