政権交代はあっても政治はきわめて安定

2006/4/29

途上国の政治の安定性がその経済成長に大きな影響をもたらすことは、ヒリッピンの例を挙げるまでも無いが、その意味ではインドも政権は頻繁に交代しているので、同じように心配をする向きがいるかもしれないが、それは杞憂である。
インドの場合はきわめて民主的な選挙により、スムースに政権交代が行われていて、政権交代による混乱は無い。最新の下院選挙で与党のBJPグループが負け、国民会議派連合が政権を勝ち取った際に、BJPの党首が「BJPは負けたが、インドの民主主義が勝利した」と発言して、敗北宣言に変えたが、まことに堂々としたものである。混乱は内政外交ともに一切無かった。曰く、政権は不安定だが政治はきわめて安定している。

その背景には、政治というものに対する成熟した考え方があることと、それを支える官僚の優秀さと、インド独特の多様性を指摘したい。

現在のインドの大統領は、国民の12%を占める回教徒の出自である。又、首相は人口の数パーセントを占めるのみのシック教徒の出身である。多数派の代表が国を代表する地位に付かなくとも、インドは統治されうる素地を持つ政治的に成熟した国といえる。
そうかと思うと、階級的に一番下の不可殖民出身者を大統領に据え、それを国民が誇りにする度量もある。アメリカが口を開くと言及する民主主義が理想的に実行されている国といえる。

インドの官僚の優秀さは、日本の官僚のそれと比肩する。汚職の話もないわけではないが、優秀な人材が、無私の奉公をしている。頭脳の優秀さ、読みの確かさ、人間に寄せる信頼、システムを信頼する判断と常に新しいシステムを構築しようとする力、愛国心、外交の意味の把握、国際社会でも評価されている英語力の卓越さなど、数え上げれば限がないが、官僚機構の非効率と呼ばれる下級官僚の欠点を補っても余りある長所を備えている。
このような長所を備えた官僚とその官僚機構ががっちりと出来上がっているため、政権交代があってもインドの国体は揺るがない。

インドの下院選挙は完全な小選挙区制だが、二大政党には収斂しそうも無い。むしろ地方政党の小党分立が目立つ。この辺も、インドの多様性を現す一現象であろうか。多様性に根付く民主主義は強い。インドの多様性は、宗教、人種、言語、食生活、風俗習慣、カースト、地勢、皮膚の色、コミュニティーなど数え切れない点での多様性であり、その複雑極まりない相関図はとても描ききれるものではない。
そこで、多様性の中から生まれたルールは、余計なおせっかいを、「する」ことと、「しないこと」の最低限のルールである。互いの生活に必要な最低限のおせっかいは、誰もが進んでやるが、他人あるいは異コミュニティー間は一切おせっかいをしないルールである。
人を殺さない、暴力を振るわないなどが前者であり、人の食べ物や、趣味、宗教には口を挟まないは後者となろう。日本人が、酒の上で暴力を振るっても抗弁の余地はないが、毎晩酔っ払ってカラオケ狂いをやっても非難されないし団扇太鼓をたたいても文句は言われない。自分の生活を、自分の命を守ることを第一に考え、他人を干渉しないことが多様性の世界でのルールの基本となるわけである。
多様性の世界では付和雷同はない。選挙で選ばれるのは自分の利害を代表する党が選ばれて代議士となる。こんな広い多様性の世界が2大政党に収斂するはずがないのである。

政権与党は小党の連合となり、強引なことは強行できない。話し合いで決まる。そこがインドの強いところで、それだからこそ、政権は交代しても政治が安定していると言う、考えられないような形となる。

政権が変わっても政治が安定と言う妙な現象の意味は、木に竹を接ぐことが可能な国を意味する。日本もそうであるがインドもそうであった。江戸から明治に、軍事政権からマッカーサー体制、自民党から村山政権、自民党の復帰など全く性質の違うものを接いできたが一般庶民の生活は一日たりとも混乱は起こらなかった。
インドも英国からの独立、コングレスからBJP、経済的自立・自給自足追求から国際相互依存、BJPからコングレスへの復帰、性質の異なる接木を行っているが、アフガンや、イランの様には庶民の生活はひっくり返らなかった。木に竹を接ぐことが出来た国である。

で、政権は安定しなくとも政治は安定している国となるわけである。

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