日印修交55周年のプロジェクトを提案する

2006/6/7

小泉総理が2005年にインドを訪問してマンモハンシン首相との間で、2007年を互いの国で、インド年、日本年として、両国の理解と交流を深める計画が同意されて着々とその準備が行われている。

ここ数年インドがBRIC’sの一国として、21世紀の地球上で少なからぬ影響力を持つ国として認識さ、インド詣が盛んになり、大使館をはじめ、ニューデリーの商社はその対応にうれしい悲鳴を上げている。少し前には、考えられない変化であるが、その成果は出るにはまだ時間がかかりそうである。

中国への日系企業の進出数は2万社を超えるといわれるが、インド進出企業は200社余である。100分の一である。この差はどこから来るのか的確の分析が欲しいところであるが、一般的に言われている点を挙げておく。

先ずは、物理的な距離である。飛行機で、日本から1時間から2時間で着く中国と、直行便で9時間半かかるインド、船では、翌日着く中国と20日はかかるインドでは先ず勝負にならないという議論である。これに対する反論は、ヨーロッパからも日本は生鮮食料品を輸入しているし、切花も輸入していると言おう。

次に、インドが未知なる国、神秘の国としてしか理解されていない傾向がある。マスコミの報道は日本が進出すべきデスティネーションとしてではなく、奇妙な風習や、習慣、珍しい食べ物を紹介、観光的な興味をそそるような点に重きを置かれてきたように見える。インドが世界最大の人口大国になることや、インドがITソフトの開発において最先進国であること、国民の75%以上が農業関連で生計を立てている農業国であること、民主主義が粛々と行われている国、政治的に安定している国、日本と並ぶくらい治安のよい国、医療が進んでヨーロッパから医療観光団が来る国、国民が飢えていない国であることなどを積極的に報道してきただろうか。

第三に、インドと日本の関係についての理解が浅い。インドは、歴史的に見て、色々なものを日本へ輸出して来た。仏教の渡来を一番に言う人がいるが、それ以前にも色々あったのではなかろうか。祝詞の始めの「オーム」や、桃太郎伝説などはインドの影響なしには考えられない。仏教を通じての影響は数え切れないであろう。それは能や歌舞伎や雅楽や今日本的と思われるものの中にもちりばめられている。

東京裁判でパール判事が、日本の弁護に回り、インドはサンフランシスコ条約を蹴り、独自に日本と平和友好条約を結び、その冒頭で一切の賠償を放棄している。日本は、ニコバル・アンダマン諸島で、又、インパール、コヒマで相当な迷惑をかけている事実がある。(筆者は2度にわたり、インパールの遺骨収集団に団員として参加して、その跡を目の当たりにしている。)

戦後、日本の製鉄業が始めて鉄鉱石の長期契約をすることが出来た相手がインドであり、その製品を大量に買ってくれたのもインドである。

国家として日本がまだ世界から認められる前に、ニューデリーで行われたアジア大会に招待され、ここで国歌と国旗を日本は始めて戦後公にする機会を与えてもらっている。

他にもネルー訪日のことや、あげれば限がないくらいインドは日本に与え続けてきた。しかも、インドは日露戦争での日本の勝利を大変評価して、これを契機にアジアがヨーロッパと対等に事を構えることが可能であるとの認識を持てたと感謝している。

第四は、日本のインドに値する理解が不十分であることを挙げとく。インドは他のアジアの国とは異なり、十分の準備をして進出してこないと失敗する。その失敗の原因の多くは進出してくる側の不勉強にあることを指摘したい。インドの政府の組織は成熟していて、その官僚機構、税務体系、労働法の歴史的背景などが、非常にソフィシティケイトといわれる。これを十分に考慮に入れて、準備をしないと、あらゆるところで行き止まりに入り込み、計画は頓挫し、遅延する。そのたびに、自分の不勉強を棚に上げて、インドの所為にする報告が、インドから本社に行く。本社は、一寸考えればその報告の虚偽性がわかるにもかかわらず、その作業を怠っている。インドのインド人による会社、日本や外国の会社で十分準備と勉強をして、さらに経験によるノウハウを積み上げて、上手く儲けている会社がある事実を看過しているのである。インドの所為にする前にやることがあることを忘れている。インドの制度や、官僚に考え方の悪口を言う前にもっと研究すべきである。

インドでもっともやってならないことは、「赤信号、皆で渡れば怖くない」主義である。インドの役所では、全て別個に扱われる。他社がよくても、駄目なことが間々ある。「そんな馬鹿な」と言う議論があろうが、プレゼンテイションの仕方により結果が違ってくるのである。許可条件についても、税金についてでもある。
会社設立から工場建設・操業に関して、120以上の法律がかかわってくる可能性がある事実だけでも、その複雑さと、それゆえのインド勉強の必要性があることを指摘しておきたい。

第五は、インフラの未整備である。電気、水、港湾、道路、鉄道、通信などあらゆるものが日本の水準に無いことを指摘する御仁がいる。その通りである。先ずそれを商売に有利に利用できないかを考えてもらいたい。満ち足りたところで売るのは大変だが、何かが足りないところは、商機があると言うスピリッツはもう日本には無いのだろうか。次に、同じ条件でインド他社、あるいは日系進出企業は何とかやっていると言う事実に気がついてもらいたい。確かにインフラ、ユーティリティーを自前でそろえるのはコストがかかることは事実であるが、それも相対的な問題であろう。

以上のような要素でインド進出が対中国に比べ差がついているといわれているのであるが、それでよいのであろうか。

森総理のグローバル・パートナーシップから小泉総理の戦略的関係まで、インドとの関係が格上げされてきているのは、政府間の認識としては歓迎すべきことであるが、それを政策に落とし、官民共同で実績を挙げ、実のあるものにしなければなんらない。

来年の修交55周年を記しての、共同プロジェクトにぜひ入れてもらいたい提案がある。

現在のインドが、その経済状況、人口ピラミッド等を比較すると、日本の1960年代初めに酷似していると言う議論がある。これは、正月のニューデリー商工会主催の報告会でも、又、榎大使が最近機会あるごとに指摘されている。

日本の1960年から今に至る45年間の歴史の評価を日印の専門学者での共同研究で行う。そして、日本の45年間の栄光と影を描き出してもらいたい。その結果をインド側に提出して、参考にしてもらい、インドの今後の50年に活かせないかものだろうか。インドが、日本が犯した間違いの轍を踏まないように、光の部分を活用するように、又、日本のODAはそのような計画を進めるためにこそ使われることが、戦略的なODAといわれるのではなかろうか。

栄光の部分は、日本が世界第二の経済大国への道を歩んだことが挙げられようし、又、世界一の平均余命となったこともあろう。プロジェクトXを列挙して、その背景にある施策を洗い出す作業を行うのも良いかもしれない。

陰の部分は、今問題となっているあらゆることの萌芽は40年前にさかのぼる。教育問題、技術の空洞化、道路行政、軍事防衛力問題、人口対策、外交問題、年金問題、老齢化層の増大問題、税金、道徳問題などが陰の部分にあるように思える。つらいことであるが、日本人にとっても掘り起こすことが必要なものであろう。

今まで日本がインドから千年以上にわたり頂いたものに比べて、ほんの小さなことかもしれないが、両国が戦略的な関係を持つ手始めとして、意義のあるプロジェクトであると考えるがいかがなものであろうか?

以上

BACK HOME