日本学生会議の皆様へ

2000/11/8

インドのソフトウエア開発は世界に知れ渡り、今やインドのIT技術者は世界各国から引っ張りだこの状況である。インド国内でもIT技術者の需要は伸びていて、インド政府はその需要に応えるようにいろいろな施策を行っている。2008年までに180万人の技術者を育てると言う目標を持っている。

そこで1つ、人種的には変わらないパキスタンとバングラデシュから優秀なIT技術者が輩出しないのはどうしてなのだろうか。

この問題の解答はまだ定説がないが、敢えて私的な暴論を披露しよう。

その違いは、一に教育にあるといえよう。さらにその背景にある文化が大きな意味を持っているようである。

インドのカレッジの教育は定評があり、カレッジの共通試験の結果に校長の推薦状を添えて、アメリカの大学に留学希望と奨学金の申請をすると、アメリカの著名な大学の学長より3千ドルから7千ドルの奨学金付の招請状が手元に届くことは良く知られた事実である。

そのくらいアメリカはインドの教育制度及び水準を評価している。パキスタン、バングラデシュについてはそこまで評価されているとは聞いていない。日本の学生でも留学以前にアメリカ留学先の大学の奨学金が決まったと言う話は聞かない。

次ぎに、その文化的背景を考えてみよう。

インドは言うまでも無く多様性の国である。文化の背景も多様性を認める文化である。ヒンドゥーイズムは元来がSECULARであるとインド連続24年滞在の記録保持者の山内利男氏はその遺書とも言える本の中で喝破している。

それに反して、パキスタンとバングラデシュは回教文化を背景にするいわゆるモノカルチャーと言えるのではなかろうか。物心付く前から回教のモノカルチャーのコーランを聞かされ育つ人間と、百家鳴争どころか万家千変議論のの中で鍛えられた発想法では相当の開きが出てくるのは当たり前であろう。ソフトウエアの開発には柔軟な頭が必要で一人一人がユニークな発想が出来る事が不可欠であるといわれる。まさにインドがその環境である。

モノカルチャーの最たる国の1つが日本であるが、一体日本のソフトウエアの開発はどうであるのだろうか。ある部分では日本のソフトは世界を凌駕している。ゲームとか、iモードとか、2000年問題とか、いわゆる限定された枠の中のソフト開発は群を抜いているようだ。

いわば箱庭の中のソフト開発といえようか。これには世界が脱帽する開発力を持っているといえる。しかし枠を乗り越え、箱庭の外の世界に付いては手がつかない。それはモノカルチャーの教育の結果と言えよう。皆が同じようなことを考える世界では重箱の隅をつついたソフト開発は得意としても、奇想天外なアイデアは出てこない。

インド学生会議に出席する日本の学生は幸運にもその奇想天外な発想をするインドの学生と接触の機会を持つ。日本のスタンダードから見ると大幅に常識外れの発言や議論が出てこようが、日本の常識は世界の非常識と言う観点から自分の発想法を豊かにしてくれる提案と考えてみて欲しい。

その影響を最大限に活かして自分を豊かにして欲しい。間違っても、インド人の言う事が非常識で取り上げるに足りないといきなり切り捨てることをしないで、何故そのような発想法がありうるのかを考えて欲しい。

第一回目の会議から関心を持ちつづけるサポーターの老婆心である。

第一回からお世話を献身的にしている長浜さん

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